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ペイザン(農民)にしてアルチザン(職人) ある果物に執着した男 Posted on 2020/08/12 町田 陽子 シャンブルドット経営 南仏・プロヴァンス

コロナ後、初めてこんなに遠く離れた場所へやってきた。南のプロヴァンスからまっすぐ真北へ400km。車で4時間のニュイ・サン・ジョルジュ。ワインで有名なブルゴーニュの村である。ブルゴーニュ地方は縁あって時々来るが、農民が多く、見栄を張らない土地柄という点ではプロヴァンスに似ている。同じ高級ワインの産地ボルドーはシャトーを訪れるとネクタイをしめた紳士が登場するが、こちらブルゴーニュは世界でいちばん有名なロマネ・コンティでさえ、小さな個人経営のワイン農家といった佇まいである。

ペイザン(農民)にしてアルチザン(職人) ある果物に執着した男




今回は同じ農家でもワイナリーではなく、ある果物農家の収穫を見にやってきた。ブルゴーニュのもう一つの名産品カシスをビオディナミ農法で作っている生産者。イザベル、シルヴァン夫妻、息子のカミーユで営んでいる家族経営の農家フリュイルージュだ。カシスは日本語では黒スグリと呼ばれる、黒い木の実。ほとんど生食しないフルーツなのでイメージしにくいが、カシスのリキュールにブルゴーニュの白ワインを注げば有名なキールというカクテルのできあがり、と聞けば、お酒が好きな人にはすぐわかるだろう。フランスのアペリティフに欠かせない赤い食前酒だ。

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ヨーロッパにおけるカシスの栽培は、13世紀に東ヨーロッパのキリスト教シトー会から始まった。当時は葉を薬にしていたそう(今でもカシスの葉を水蒸気蒸留して作る香料Hydrolat de cassisは消化薬として用いられる)。ブルゴーニュでは今から遡ること4世紀前から栽培され始め、ノワール・ド・ブルゴーニュというアルコールを作るのに適した品種がとくに名高い。

3年前にフリュイルージュの畑に入って以来、この農家のファンになった。まず、土が絨毯みたいにふわふわなのだ。そして、いろんな草花がのびのびと自由に生え、バッタなどの虫が飛び回っている。まるで、カシスを女王とする一つの小宇宙のよう。朝には土から水蒸気があがり、空気中にカシスのエッセンスが充満しているのが目に見えるよう。
シルヴァンはカシスを栽培し、リキュールやシロップなどの加工品を作り、瓶に詰めて販売している。フランスの名だたるレストランやホテル、例えばラムロワーズやフロコン・ド・セル、ヴィラ・ルネ・ラリック、オテル・ド・クリヨン、アラン・デュカスなどがこの小さな作り手の製品をこぞって購入する理由は、味わってみれば理屈ぬきにわかる。混ぜものが感じられない、ピュアな味わいと香りが口いっぱいに広がる。

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ビオディナミというのは、1920年代に思想家ルドルフ・シュタイナーによって提唱された農法である。自然界に存在するものだけで作られた肥料を用いて土の中のエネルギーを活性化し、抵抗力を高め、調和のとれた生命体を作ることを目的としたもの。月の周期が生物に及ぼす影響も考慮して農作業が行われるのも特徴だ。
人間でいえば、添加物の入った食品を取らず、自然な食品を食べ、月のリズムにあわせて生活して健康を維持する、といったイメージだろうか。そんな話を先日、プロヴァンスの僻地で陶芸をしている80歳のおばあちゃまと話していたら、「おやまぁ、私は昔から月の満ち欠けには気をつけて爪を切ってるわい」とおっしゃられて驚いた。たしかに月が人体に影響をもたらすことは昔から知られていたのだから、今でもその生活習慣を大切に暮らす人たちがいるのは不思議ではない。新月の日にタネを蒔き、髪を切り、満月の日には刈り入れはしない、といったことだ。ちなみに爪切りは、いわゆる「上弦の月」の頃が適しているそう。

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カシス収穫の日。イザベルもシルヴァンも喜びに満ちていた。トラクターの運転は24歳の息子カミーユ。彼はベビーフェイスだが、成熟したしっかり者で、収穫のために集めたアルバイトの若者たちを相手にリーダーシップを発揮していた。
シルヴァンは25年前にこの農家を継ぎ6代目となってから、妻と二人三脚でカシス生産を模索してきた。ビオディナミどころかビオという概念もまだ一般的ではなかった当時、父親からは「なぜ大昔のような農業に戻らなくてはいけないのか?もっと楽な近代的な農法が目の前にあるというのに、なぜわざわざ苦労するのか?」と大反対を受け、勘当寸前にまでなった。
「葛藤はあったけど、今日という幸せな日を迎えられた。子育てと同じで、手をかけなければ育たない。人間と同じで、つねに問題が起こる。カシスは放っておけば枯れてしまう繊細な樹木だから、ほとんど毎日畑で根を見、香りを嗅ぎ、葉を味わってみる。いつもカシスの声に耳を傾けているんだ」
「畑に生きているものたちはそれぞれの役割がある。悪い草というのは存在しない。草には草の、昆虫には昆虫の役割があるから、そのままにする。収穫も同じ。完熟した甘い果実、まだ熟成していない酸っぱい果実、葉っぱなど、混ざったままにする。完熟した完璧な実だけを選別したりはしない。私たちが目指しているのは、畑で無造作に枝から実を採って食べる時の、あの自然なおいしさだから」

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そのこだわりを形にしたのが、「ブール・ド・カシス」。カシスの果実、水、保存に必要な最低限の砂糖だけを銅鍋でコトコト煮詰めた、ピュアなカシス。見た目はコンフィチュールだが、「コンフィチュールは砂糖を大量に入れるのでどうしても畑で食べるときのあの感じが薄れてしまう。カシスの香りそのものが味わえるよう、昔の記録を調べに調べ、見つけたレシピで作っているんだよ」とシルヴァン。レシピを“発見”するのはいつもイザベルのお手柄。専門は哲学というブルターニュ出身の妻は、いつも根気強く文献を探している。カシスのケチャップも同様で、18世紀にインドからスパイスがフランスに伝播した頃に作られたレシピを文献から探しあてた。トマトの代わりにカシスを使い、カシスのビネガーと5つのスパイスを混ぜ合わせたものなのだが、一度食べたら忘れられない美味しさ。焼き豚のお供に最高。フレッシュチーズに合わせても最高。ゆで海老にトッピングしてもイケる。

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ブルゴーニュ伝統のシロップ作りを手伝わせてもらった。数週間、赤ワインにつけた果実を昔からの手動の古い機械で、ガッチャン、ギーギーと音を立てながらゆっくりプレスする。その後、フィルターで濾してから煮てアルコールを飛ばし、砂糖を加えてさらに煮る。一方、カシスの芽は昔から香水に使われてきた。なかでも有名なのは、マリリン・モンローが愛したシャネルの5番。シルヴァンは、春に摘んだ芽をフリーズドライにして粉にした「ポワーヴル・ド・カシス」を作っているが、瓶の中にずっと鼻を突っ込んでいたいほど繊細ですばらしい香りがする。ポワーヴル(胡椒)とは名前だけで、胡椒が入っているわけではない。この香りのいい粉を白身魚のカルパッチョに一振り、フロマージュ・ブランやヨーグルトに一振りすると、それはかぐわしい一品になる。

ペイザン(農民)にしてアルチザン(職人) ある果物に執着した男

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5ヘクタールの畑から採れるカシスは約10トン。今年は豊作だと満面の笑み。2003年は35キロだった。木をリスペクトし、無理させないため、収穫量はアップダウンが激しいが、その分、木は長生きする。「僕ら人間は、宇宙と自然の真ん中にいるのではなく、一緒に存在している。自然をリスペクトするのは当然だよね」。シルヴァンはAvec(ともに)の単語を強調して語った。
ブルゴーニュのカシス農家は減っている。カシスだけでは生活できないため、穀類やブドウ生産の片手間でしか作れない。シルヴァンが生産から加工、販売までを一貫して手がけるのは、考え抜いた結果、それしか生き残る方法はないと理解したからだ。しかしその結果、彼らにしか作れない価値のある加工品ができあがったのだから、どんなこともあきらめずに追求することによってしか成功の道はないのだと思う。収穫のこの日はフランスのテレビチャンネルFrance3の取材チームも入っていた。人と違うことをすると最初は馬鹿にされるが、最後は賞賛される。

ペイザン(農民)にしてアルチザン(職人) ある果物に執着した男

私とダヴィッドはコロナの影響で時間ができたため、以前からやりたかった、フランスのすばらしい生産者を日本に紹介するプロジェクトを始めた。フランスの質のいい、丹精込めて作られたものを紹介し、それと同時にフランスで一生懸命ものづくりをしている人たちの応援にもなればと願っている。インポーターに紹介するのも一つの方法だが、1ヶ月に一度、「今月のパニエ」と題して直接個人のかたに販売も始めた。小さな生産者が多いし、私たちもダヴィッドと二人きり(ときどき義理パパと義理ママのヘルプあり)なので、期間限定で少量しか販売できないが、興味があるかたはサイト➡️ villamontrose.shop をのぞいてみてください。8月のパニエはフリュイルージュのカシス! 
収穫の後に飲んだ、冷えたカシス・シロップの美味しかったこと。自然の酸味と甘みが体にしみわたった。

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Posted by 町田 陽子

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Yoko MACHIDA
シャンブルドット(フランス版B&B)ヴィラ・モンローズ Villa Montrose を営みながら執筆を行う。ショップサイトvillamontrose.shopではフランスの古き良きもの、安心・安全な環境にやさしいものを提案・販売している。阪急百貨店の「フランスフェア」のコーディネイトをパートナーのダヴィッドと担当。著書に『ゆでたまごを作れなくても幸せなフランス人』『南フランスの休日プロヴァンスへ』