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滞仏日記「人生にも子育てにも、ちょっと疲れたので、ここまで」 Posted on 2021/11/17 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、いろいろと疲れた。
なんも知らんくせに、他人の生活や人生に干渉してくる暇人が多過ぎて、ちょっと、実に厄介なのである。
そういう時は、もう誰も応援できないし、励ませない。
ぼくは真剣に人生を考えて行動しているが、人の家庭問題とかに、ちょっかいをされて困ることも多い。
人の心配なんかする前に、ご自分たちの心配をされたらどうですか?
ということでこの数日、ぼくは面倒くさくなって、完全に人生を投げている。
そのうえ、息子はぼくに不満があるようなので(これは人づてに聞いた。ま、ぼくはうるさい親だからね。気持ちはわかるよ)、しかし親だから、応援はするけど、関わってほしくないなら、いいですよ、少し離れていることにしよう。

滞仏日記「人生にも子育てにも、ちょっと疲れたので、ここまで」



ということで、ごはんは作るけど、一緒に食べたくないので、出歩くことにした。
渡仏後、こんなに毎晩出歩いたことはなかったけど、家にいると、暗いので、受験生の息子の人生を邪魔もしたくないし、ぼくは近所のカフェとかレストランで昼、夜、渡り歩き点々としている。パリの仕事が終えたら、田舎に引きこもる予定・・・。
邪魔な存在になりたくないから、そっと、外に出ている。
最近見つけたイタリアンに食べに行ったら、またまた、アドリアンがいた。
いつも彼の横にいるのは、同居人のカリンヌである。彼女は弁護士だ。
彼らは夫婦じゃないらしい。そこが、実にフランスっぽくて、いいなァ、と思う。
「あらら、最近、毎日会うね。昨夜も」と苦笑する哲学者。
「そういえば、昨日もレストラン一緒だったね」と苦笑する作家。
「なんか、会ったの?」
「別になにもないけど、ま、家にいたくないだけ」
「おやおや、そういう時もあるよ」
街の哲学者、アドリアンは、ニヒルに笑った。

滞仏日記「人生にも子育てにも、ちょっと疲れたので、ここまで」



ぼくも思えば、父親が嫌いで、近づかなかったし、話しもしなかった。怖い人だったし、厳しい人だったからだ。
振り返ると、一生でちゃんと向き合って(5分以上)話したことなんかないし、だから、苦手でちょっと毛嫌いしていた。(親だからね、ぼくは外で悪口は言わなかった)
母親も父親のことを「あの人はねー」とよく小言を言っていた。
たぶん、本人に言いはしないけど、ぼくには言ってたので、(誤解ないように、両親は愛しあってました。ただ、近すぎる不幸もある)それがたぶん、おせっかいな親戚とかを介して、父の耳には入っていたと思う。
弟はいつも真ん中にいて、中立だったかな。あいつはいいやつだ。
でも、ぼくはお金がなくなると、母さんに連絡をし、1万円ほしい、とか援助を求めていたけど、たぶん、出していたのは父さんじゃなかったか、と思う・・・。
父さんは、
「俺は家族に愛されてないな。ならば生きていても面白くない」
と呟くようになり、それは、たぶん、弟からある日、聞いた。
母さんを家から出さないような昔の日本の男だったので、高齢になり、母さんの立場が強くなると、母さんは自由に外に出るようになり、持ち前のパワーで人気者になった。
父さんはさらに孤独になった。
弟が、時々、報告をしていた。でも、自業自得だよな、とぼくは思っていた。
で、ある日、入院し、誰にも迷惑をかけず、あっという間に死んだ。本当に、静かに、消えるように、死んでいった。立つ鳥跡を濁さず、みたいな・・・。

滞仏日記「人生にも子育てにも、ちょっと疲れたので、ここまで」

※ 外食はいいけど、こんなの食べきれんわ!!!



毛嫌いしていた父さんだったけれど、時が立ち、自分が同じ立場になって、何か同じような気持ちを味わうようになり、因果応報というものだな、と思うことが多くなった。
父親の気持ちは、たぶん、なかなか理解してもらえないだろうな、と思う。
自分が父親になり、年頃の子供が思春期になり、同じような目にあって、あの時、父さんは、同じような気持ちだったのかも、とようやく気が付いた時は遅かった・・・。
最近、本当に、ぼくの夢に父さんがよーく立つ。
今まで、夢なんかに出てきたこともない人だったから、夢の中で、斜め前の席なんかにいて、じっとぼくの話しを聞いていたりするのは、もしかすると、ぼくを心配しているからか、まさかね・・・。
「お前の子育てや、生き方はそれでいいのか」
と聞こえてくるような気もする。
拙著「ミラクル」の幽霊たちは父の幻影なのだ・・・。

滞仏日記「人生にも子育てにも、ちょっと疲れたので、ここまで」



父さんが亡くなる数年前だったと思うけど、母さんと電話で長話をしたとき、
「あの人ね、不意に生命保険を解除したのよ」
といきなり言った。
「愛されてないのに、保険を掛ける必要がないだろうということかしらね。まだ、65歳なのに」
父は保険会社で働いていたので、その意味はよく知っているはずであった。
その後、生命保険問題がどうなったのか、わからないし、母さんは今も刺繍の先生を続けているので、金銭的には困らなかったとは思うけど、愛し合っていても夫婦というものはいろいろとあるものだな、と思った。
実家に帰ると、仏壇があり、そこは今も、母さんが守っている。父さんはそれでよかったのかな、と思うこともある。。
すくなくとも、ぼくはいじけないで、知り合いの店のいつもの席にぬくもりを求めることにしよう。

「父さん、天国ってのはどう? ぼくたちは大丈夫だよ。美味しいお酒を飲んでね」

つづく。



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