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滞仏日記「ビートたけしと北野武」 Posted on 2019/02/08   

 
某月某日、日本だとビートたけしさんだが、フランスだとタケシキタノということになる。日本だと国民的コメディアンだが、フランスだと世界的な映画監督になる。僕は今日、この二つの顔と名前を持つ、ビートたけしさんこと北野武さんの番組「たけしのニッポンのミカタ!」(放送日は22日?)に出演するため天王洲のスタジオにいた。実は初めてお会いする人であり、17年前に生まれて初めてファンレターのようなものを書いたことのある人物でもあった。ファンレターといっても僕が見た北野武の映画についての評論的な内容を含んだ少し長い手紙で(しかし、それはご本人には渡っていなかった。字があまりに汚かったので怪しまれ破棄されたのかもしれない)、その中で多く割かれたのは映画「ソナチネ」についてであった。そういう過去もあり、仕事よりも本人に会えることが楽しみで仕方なかった。すぐ近くに座ったたけしさんは若い頃にブラウン管を通して見知ったツービートのたけしさんではなく、72歳のどちらかといえば矍鑠とした紳士だった。実際にはとても腰の低い、シャイな方であった。当然のことだが頭の回転が速かった。じっくり映画や文学の話をしたかったが、本番中に出来るわけはないか、と思っていると、僕がそういうことを期待しているのを見抜いたか、映画のことや文学のこと、或いは今回テーマだった70年代の新宿についてしゃべり続けて下さった。その中には「敵に一度ひよったと思わせたなら、それはチャンスで、すぐに巻き返して刺せ」という独特の人生教訓もあった。番組の都合上、たぶん、そういう専門的な部分は放映されないかもしれない。でも、僕には夢のような時間となった。たけしさんの一挙手一投足が僕の口元を最初から最後までずっと緩めさせた。生きている間にこうやって会えてよかったと思えた。正直、僕は誰かのファンになったことがなかった。中上健司や三島由紀夫などはファンだったけれど、彼らはもう他界しているので、生きている人で会ってみたい人といえばたけしさんをおいて他には思い当たらなかった。しかし、僕が会いたいのは芸能人のたけしさんじゃなく、表現者としてのもう一人の北野武さんだった。そのことを彼は理解してくださったのだろう、だからか、収録中、驚くべきことをやってくれた。

番組がはじまって30分も経たない時に、いきなり、台本にサインをしはじめたのだ。辻さんへ、と最初に書いた。「これであってるかな」と照れながら言った。スタッフも出演者もみんなびっくりしていた。誰かが「とっても珍しいことだ」と言い出した。ただただ恐縮していると、完成したサイン(日付も入っている)を一度眺めて、「これじゃ、誰が書いたかわからねぇなあ」と言い出し、空白に、「北野武」と改めて書き足した。カメラが回っているし、本番中だが、誰も止めることが出来ない。たけしさんはそれを僕に差し出した。僕はカメラの前でそれを受け取った。まるで勲章を授与されるような感じの出来事だった。収録は4時間近くに及んだが、終わったあと、プロデューサーさんが走ってやって来て、「これははじめてのこと。自分が10年一緒に番組をやらせて頂いているけど、経験ありません。そのサインを撮らせてください」と言い出した。スタッフがやって来て、サインされた台本の撮影が始まった。たけしさんはニコニコと楽しそうな笑顔を浮かべながらスタジオを後にされた。別れ際、「パリに行くことがあったら連絡するよ」と言い残した。彼はあんな調子で、まるで自分の映画のワンシーンみたいに、ニコッと笑うと出て行った。このようなことが起きた一日だったが、今、この日記を書いている僕のパソコンの横に台本が開かれ、彼のサインが広がっている。これはきっと「辻さん、あんたも頑張れよ」ということなのだろうと思った。
 

滞仏日記「ビートたけしと北野武」