JINSEI STORIES

滞仏日記「子供が返事をする時」 Posted on 2019/01/31 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、「おはよう」と言っても「おはよう」が返ってこないことが多くなった。
「お腹すいたか?」と訊ねると「お腹すいた」とは返ってくる。
どうやら、自分が伝えたいことに関してはきちんと返事が出来るようだ。
「ごはんだよ~!」と呼ぶと「はーい」と遠くから返事が飛んでくる。
「いってらっしゃい」と送り出す時はだいたい「・・・・」なのだが、反抗期思春期の子どもなりにきっと心の中では返事をしているのだろうと僕はいい方に想像している。
自分がそうだったじゃないか、甘えられるのは家の中だけなのだから、いちいち怒らない。

ただ、スタッフの前できちんと挨拶ができなかった時があって、その時は烈火のごとく怒ってやった。
「人に挨拶もできないのか? 君はいつから王様になった?」たまに怒られることも大事だ。それ以降、きちんと挨拶が出来るようになった。
でも、家の中では大目に見ている。
自分が小さい頃、よく父親に怒鳴られ時には叩かれた。
それが嫌だった。
いちいちそこまで偉そうに叱らなくてもちゃんと理解できると思っていたので、僕はそれを息子で実践している。
公共の場所などで他人にきちんとした対応が出来ない場合に限って、怒るようにしている。



しかし、僕の子育ての基本は「大目にみる」。
なぜなら子供には子供の社会があり、そこで生きるのは大人社会で生きるのとかわらないほどに大変なのだから。
年上の僕に出来ることは頭ごなしに教えつける躾ではなく、話し合った上で礼儀作法を自ら獲得してもらうことにこそある。
教育というのは難しい。
教えて育むと書いて教育だが、大学で教えていた時も、腑に落ちないことが多かった。
ものを知っている人たちがその知識を子供に伝えているだけで子供に何を学ばせたいのだろうと思うことも多かった。
これは日本の多くの学校に言えることだと思う。
学ばせることよりも、教え込むことに重心がある気がしてならない。
自分で考えることが出来ないで数や単語や年譜ばかり暗記してもそれが将来何に役立つというのか。
日本の教育制度はものを生み出すクリエイティブなシステムが欠けている。
これだけノーベル賞を輩出しているのだから問題ないだろ、という意見もある。
でも、先は増えないという意見もある。
実際、優秀な才能は外に引き抜かれている。
少子化で大学経営が危ないと言われて久しいが、大学側にどこまで子供たちを面白がらせる取り組みがなされているのかも疑問で、そういう取り組みをやっている大学は経営もいいんじゃないか、と想像する。
僕が新世代賞という25歳以下向けのアートの賞を創設したのは、正直、いてもたってもいられなくなったからで、お金もないくせに個人で若い人を奮起させる賞を拵えてしまったのである。今年で、5回目になる。がんばった。

それはさておき、日本の大学だが、大丈夫か、と疑問を投げかけても耳を塞ぐところばかりでびっくりする。
現実の厳しさを知っていながら、手をこまねいている日本の大学にどのくらいの可能性があるのか、わからない。
『おもしろき こともなき世を おもしろく』
と言ったのは高杉晋作だが、この言葉は今の教育界にこそ当たる。
少子化といっても子供はいる。
その子たちが詰めかけて溢れるような学び舎はなぜ生まれないのだろう。
資源のない日本の資源は子供たちの才能、なのだから、大学は明るい資源発掘の場所でもある。



ライブが近いので、この一週間は筋トレに明け暮れていたところ、不意に肋間神経痛のような胸の周辺に激痛を覚え動けなくなった。
ライブ前なのにヤバイと思ったが、これが絞るような強い痛みを伴っていて、どうにもならない。
倒れた場所が寝室だったので、離れた子供部屋で勉強している息子の名を呼んだ。
「いたい・・・、おい、たのむ」
あまりにか細い声が飛び出して、まず自分が驚いてしまった。
すると珍しく「何?」と大きな返事が返って来た。普段返事もしないやつなのに。
「すまないけど、水をいっぱい持ってきてもらえるか? 動けない・・・」
と掠れ声で訴えたところ、届いたらしく、椅子の引く音が聞こえたと同時に「わかった。待ってて」と大きな返事が戻って来た。
まもなく、息子はコップに入った水を持って走ってきた。
「どうしたの?」と心配そうに告げた。
「食道かな、この辺が痛い」というと僕を起こしてくれて、水を飲ませてくれた。
食道を通過する水の感触が有難かった。
すると痛みが和らいだ。
「急にハードな運動をするから・・・。ストレッチしたの? あまり無理しちゃだめだ」と叱られた。
普段、返事しない子なのに、と思ったら泣けてきた。
 

滞仏日記「子供が返事をする時」

 

自分流×帝京大学
地球カレッジ