PANORAMA STORIES

ロンドン母一人、子一人、バイリンガルを目指す Posted on 2017/03/15 清水 玲奈 執筆家・翻訳家 ロンドン

私がロンドンで暮らし始めたのは20年前。
それから、パリで暮らしていた時期もありますが、いろいろあって、結局ロンドンに戻ってきました。

振り返れば、私は小さい頃から谷川俊太郎訳の『マザーグース』に親しみ、『不思議の国のアリス』や『メアリー・ポピンズ』を愛読し、その後も卒論のテーマにメアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』を選ぶなど、常に英文学が好きでした。
 

ロンドン母一人、子一人、バイリンガルを目指す

中学生になって英語を勉強し始めると、英語は国語とともに一番好きな科目になりました。
そして20年以上前、東京で大学生だった頃。柴田元幸先生の授業で、『マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』(アート・スピーゲルマンによる漫画)の原書を読んだことが、私の語学熱に新たな機軸を加えました。
ネズミの姿で描かれるユダヤ人の主人公。
ネコの姿のナチスの迫害を受けますが、語学が達者だった彼は、英語ができたおかげでブタの姿のポーランド人監守に気に入られ、窮地を乗り切り、生き残ります。
「語学を身に着けておけば、いざという時に生き延びられる」というのが、そこから私が学んだ教訓でした。
 

ロンドン母一人、子一人、バイリンガルを目指す

同じころ、ある同級生の男の子にこう言われました。
「語学の勉強をするより、その時間を使って、高収入の職に就いて、思う存分通訳を雇えるような立場になった方が効率がいい」
当時、英語に加えて、第二外国語の中国語と第三外国語のフランス語を必死で勉強中だった私は、思ってもみなかった発想に、純粋な驚きを感じました。
それと同時に、強制収容所で通訳雇えるか? と心の中でつっこんでいました。

少し後にその男の子に告白されたのですが、結局おつきあいすることはなく、私はロンドンに留学し、現地で仕事に就き、念願のイギリス生活をスタートしました。
 

ロンドン母一人、子一人、バイリンガルを目指す

やがてフリーランスとなってパリに渡り、パリではイタリア語も勉強しました。
なぜか中国人にみられることの多い私は、パリの街中でたびたびにこやかな中国人に話しかけられ、その時はかろうじて覚えていた中国語の「ごめんなさい」「私は日本人です」というフレーズが役に立ったものです。
今までの数十年の人生の中で、語学にどれだけの時間と労力を費やしたでしょう。
たしかに、語学ほど効率の悪いものはないかもしれません。ふと、あの男の子と結婚でもしていたら今頃、などと考えたりもします。
現実は、再びロンドンに戻ってきて、一昨年娘を出産、仕事の傍らシングルで子育てをし、今度は1歳の娘の日本語・英語教育が新たな、大きな課題になっています。
 

ロンドン母一人、子一人、バイリンガルを目指す

もうすぐ2歳の娘は、著書『世界の美しい本屋さん』の出版当日、ロンドンで生まれました。
1歳になる前から、絵本を毎日繰り返し読み、本が大好き。今のところ読む本も話す言葉も100パーセント日本語。これから現地の幼稚園に行くようになると、周りの環境は100パーセント英語。
果たして娘は英語、そして日本語をちゃんと身に着けてくれるのだろうか、と心配の種は尽きません。
でも、これから娘とともにイギリスの児童文学を、そして将来的には幅広い英文学を読み直し、発見するのはとても楽しみです。
そして、ひとりの人間が(願わくば)バイリンガルに育っていく過程を一番近くで観察することも、同じように興味深い体験になるでしょう。
 

ロンドン母一人、子一人、バイリンガルを目指す

ロンドンは多文化・多民族の都市です。
2011年の国勢調査によれば、817万人の人口のうち、白人のイギリス人は44.9パーセントにすぎず、外国生まれが3割を超えています。娘が通うことになる小学校も、白人のイギリス人は半分くらい。そして4人に1人は、第一言語が英語でない子どもたちです。
ハーフであることも、バイリンガルであることも特別でないという環境で、私たち母子はこれから、バイリンガルを目指す長い旅に出るところです。
 

ロンドン母一人、子一人、バイリンガルを目指す

Posted by 清水 玲奈

清水 玲奈

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Reina Shimizu
執筆家・翻訳家。東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。著書に『世界の美しい本屋さん』など。ウェブサイトDOTPLACEで「英国書店探訪」を連載中。