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英国を代表する作家、イシグロ文学のルーツ Posted on 2017/11/15 清水 玲奈 執筆家・翻訳家 ロンドン

カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞が発表された10月5日。BBCラジオ4局は「英国人作家たちにとっての快挙」と報道しました。
イシグロ氏自身は、受賞について謙虚に「自分がずるいことをしたみたいな気がするし、他のさまざまな現代作家に先立って賞をもらったことに罪悪感をおぼえる」と語り、村上春樹、サルマン・ラシュディ、マーガレット・アトウッド、コーマック・マッカーシーの名を挙げました。
この中でインド系英国人作家のラシュディは、「旧友イッシュ(イシグロ氏の愛称)おめでとう」と親しみを込めて祝辞を送りました。そして、元ミュージシャン志望の彼を「ギターを弾くし、歌も作る。ボブ・ディランも降参です!」とユーモアたっぷりに称えています。

ふたりはともに、1983年、イギリスの文芸誌グランタの「最も有望な若手作家」に選ばれて以来、活躍しつづけています。同世代の英国人作家には、香港生まれのティモシー・モーもいます。移民の国イギリスでは、文学界でもさまざまなルーツを持つ作家たちが登場して久しいのです。
 

英国を代表する作家、イシグロ文学のルーツ

1979年に若きイシグロ氏に出会って才能を見出したのが、かつての担当編集者ロバート・マクラム氏。処女作『遠い山なみの光』に「当時としては破格の」1000ポンドの前払い金を払って契約しました。やはりイシグロ氏を「イッシュ」と呼び、40年近く交流を続けているマクラム氏は、オブザーバー紙に寄稿し、イシグロ作品の魅力について「イングランドと日本にしかない繊細な感性に貫かれている」と分析しています。

長崎生まれのイシグロ氏は5歳でイングランドに渡り、学校ではずっとクラスでただひとりの非白人でした。日本をルーツとする生い立ちに創作の上で影響を受けていることを、ご本人も認めています。
 

英国を代表する作家、イシグロ文学のルーツ

一方、イギリスの大衆紙デイリーメールの見出しは「カズオ・イシグロ、ソーシャルワーカーからノーベル賞作家へ」でした。
実際、ミュージシャン志望のかたわら執筆を始めた頃、イシグロ氏は昼間の仕事にソーシャルワーカーを選んでチャリティーショップの店員を務め、そこで出会った同僚の女性と結婚しました。
ガーディアン紙のインタビューに答えて、イシグロ氏は「私のノーベル賞受賞が、善意と平和をもたらす原動力となることを願っています。世界が国際的な場所であり、私たちみんなが、それぞれが暮らしている世界の片隅で、より良い世界に貢献しなくてはいけないことを思い出させてくれますから」と述べました。
 

英国を代表する作家、イシグロ文学のルーツ

ノーベル賞アカデミーによれば、イシグロ作品を通底するテーマは「記憶、時間、そして自己に対する幻滅」です。『日の名残り』では失われた英国の伝統にこだわる執事が、『わたしを離さないで』では若くして死ぬことを運命づけられたクローン人間たちが、厳しい現実に直面しても誇りを失わず「世界の片隅」で懸命に生きようとします。
揺るがない理想と良心に支えられ、さりげないユーモアの力を借りて人間の尊さを追求し続けるイシグロ氏は、文学界のソーシャルワーカーともいえるかもしれません。

そんな作家自身の語りが聞こえてきそうなのが、音楽小説集『夜想曲集』の冒頭の作品です。ヴェネチア、サンマルコ広場のカフェで、時代遅れのアメリカ人流行歌手と、観光客相手に演奏して日銭を稼ぐ東欧出身の若きギタリニストが出会います。老いた歌手は「こいつは仲間だよ。ミュージシャンだ、それもプロのね」と妻に説明します。そして、ふたりの「ミュージシャン」の交流が、深い共感と敬意を込めて描かれます。
 

英国を代表する作家、イシグロ文学のルーツ

イギリスでは中学校の教材にも使われているイシグロ作品。平易な英語で書くのは、翻訳されることを意識した結果でもあるそうです。10月に開かれたフランクフルト・ブックフェアでは、イシグロ作品を出しているイギリスの出版社フェイバー&フェイバーのブースに、受賞を祝う垂れ幕が掲げられていました。社員の女性は「昨夜はイシグロ作品を出している26か国の版元が集って、盛大にお祝いをしたの」と満面の笑み。日本ではイシグロ作品がパンケーキみたいに売れているらしいですね、と私が言うと、「パンケーキといえば、日本の版元さんが、ナガサキ名物のパンケーキみたいなお菓子をお土産に持ってきてくれたわ。すごくおいしいの」。もともとポルトガルから長崎に伝えられたお菓子なんですよ、と教えてあげました。
 

英国を代表する作家、イシグロ文学のルーツ

 
 

Posted by 清水 玲奈

清水 玲奈

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Reina Shimizu
執筆家・翻訳家。東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。著書に『世界の美しい本屋さん』など。ウェブサイトDOTPLACEで「英国書店探訪」を連載中。