JINSEI STORIES

滞仏日記「携帯が紛失した夜、僕はまた眠れなくなった」 Posted on 2019/07/17 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、ひとつ仕事が終わっても僕に終わりはない。今日も朝から次の仕事でクタクタになるまで歩くことになった。疲れ切っているので頭も体も動かないけれど、老体に鞭打って頑張った。夜、おふくろと息子と弟の四人で夕食をしてからホテルに戻ると、そこにあるはずの携帯(フランスで使用している方)がなくなっていた。今朝、フランスの出版社とメールでやりとりをしたので、ベッドの上に置いて出たことだけは覚えている。掃除が入り、クリーニングが届けられていた。このフランスの携帯を宿から外に持って出ることはない。なぜなら、Wi-Fiがないと使えないからだ。そして、僕と息子がフランスで生きていくために重要なデータやメールや機能が満載なので、もしものこと(紛失)があるとフランス生活に支障をきたす。だから、絶対持ち歩かないし、Wi-Fiも何かあるといけないのでこの携帯専用のを持ち歩くという念の入れようなのである。

結局どんなに探しても出てこないので、ホテル側に相談をした。3人の男性スタッフがやって来て、僕を含め4人でもう一度探すことになった。ベッドを動かしたり、いろいろとやったが、結局出てこなかった。こういう時、なんとなくだけど、僕も疑われているのかな、と思う瞬間がある。僕の友人の一人は「飲みに行く時に間違えて持って出たんじゃないの?」と他人事のように電話口(日本の携帯)で笑った。いや、そんなことはない。でも、もしかするとホテルの人もそう思っているのかな?
「あの、絶対に部屋から持ち出すようなことはありません」
なぜか僕は必至で訴えていた。こういう時、ホテルの方々は絶対にごめんなさいと言わないのだということも分かった。そりゃあ、そうだと思う。どっちに非があるのか今はわからない段階なので、そもそも謝るにも根拠がない。でも、僕は自分のことをよくわかっている。お願い、信じて、早く探さないと大変なことになるよ!

そうこうしているうちに、撮影終わりのくたくたが押し寄せてきて、僕は眩暈に襲われた。もういい、なんとかなる。なんとかなってきたし、命の方が大事だから、ここまでにしよう、と僕は自分に言い聞かせるのだった。
「でも、もしかしたら、シーツと一緒にリネン工場に行ったのかもしれない。すぐに調べてもらえますか? 今なら間に合うでしょう」
と僕が言うと、
「いや、もう工場は終わっているので、明日、明日の朝いちばんで工場に問い合わせてみます」
とその中の一人が言った。その言葉を希望に、僕は眠ることにした。人生、いろいろとある。今日、解決できないことはきっと明日が引き受けてくれるだろう。新たな難題を抱えながら、僕は眠りにつくことになった。

しかし、その携帯の写真フォルダーには息子と旅したいろいろや、毎日こつこつ拵えたご飯の記録など、世の中的にはどうでもいい写真なのだけど、僕にとってはとっても大事な思い出の倉庫(宝庫)でもあった。そのことを思うと涙が零れる。ベッドにもぐりこんだ後も僕はちょっと苦しくて寝付けなかった。
 

滞仏日記「携帯が紛失した夜、僕はまた眠れなくなった」