JINSEI STORIES

滞仏日記「この世界は新しいフェーズに入った」 Posted on 2020/04/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日、息子にRODEのマイクを貸した。二時間後、かっこいいリズムが聞こえてきたので、覗きに行ったら、出来たばかりのスロー・ラップを聞かされた。「何について歌ったの?」「これは16歳の今を歌った。ぼくらはベッドから出ないで、仲間たちと携帯を通してネットフレックスを一緒に観て、家にいて、外では物凄い問題が起きているけど、とにかく家にいて、それが僕らの人生だから、今はベッドの中から出るのはよそう、それがぼくらの16歳だからって、歌なんだ」と言われた。慌てて、携帯で流れている音を撮影した。「これ、インスタにあげてもいい。きっと誰かに届くと思う」「ああ、いいよ。べつに」

もはや世界は手に負えなくなってきている。思わぬ方向へどんどんこの星の運命が、まるで墜落する旅客機のような勢いで、どこへ向かおうとしているのか、パイロットにもわからない状態で、高層ビルに激突しそうになったので、驚いて目が覚めて、それが夢だと気が付いた。アメリカの各地でロックダウンに反対するデモが開催されたが、社会的距離もへったくれもない。トランプ大統領がこの抗議デモを支持しているというのだから、…。いろいろな国があって、考え方があっていいと思うけど、冷静になるべき必要な時期に、真逆の方向に舵を切っているアメリカが正直、わからない。74万人もの感染者がいて、4万人が死んでいても、この状況を理解出来ない大統領、確かにアメリカはいつもそういう無茶ぶりで世界を牛耳ってきたのだけど、時代遅れになっていることに気が付かず、銃砲店には行列ができ、いまだにカウボーイ幻想に取りつかれている。しかし、もう一つ冷静な目で見ると、74万人も感染者がいても、今を生きることの方が大事だと思う人の気持ちも単純に無視はできない。命が大事なのは当然だけど、経済がその命を運んでいる。生きるか死ぬかを選択させるのがこのウイルスの恐ろしい毒性なのだということを世界中の人が、今、アメリカから学んでいる。



そういえば今朝、息子が死ぬ夢を見た。4階の踊り場から落ちたのだ。ぼくは息子の悲鳴を聞きつけ走って踊り場に駆け付け下を覗き込んで目が見開かれた。地面に叩きつけられている16歳を見て、大声を張り上げ、それが夢だと気が付いて、目が覚めた。反射的に半身を起こしたら、長閑な春の光りが窓から差し込んでいた。フランスの精神科医がロックダウンも一月が経つと、平気だとは思っても精神のバランスを崩す人が出てくるので、出来る限りのんびりリラックスして生きるように、と語っていた。自分がどんなに頑張っても息子の未来を守ってあげられるかわからない。そういう世界への歯がゆさが、知らぬ間にぼくの精神を蝕んでいるのかもしれない。見えないところ、感じないところで、人類は心を痛めているのだ。コロナウイルスの思う壺であろう。人間たちを仲たがいさせて、この星を滅ぼそうとする悪意がこのウイルスが持つ、もう一つの恐ろしい毒性なのだということを人類は悟らないとならない。

トランプ大統領はWHOへの拠出を停止させた。ぼくもずいぶん前に「WHOのバカ」という日記でテドロス事務局長を批判した。今もその考えに変更はないが、このタイミングでWHOへの拠出を停止するのはいろいろな意味で世界にもアメリカにとっても危険なことだろう。医療制度の整った富裕国は時間がかかるものの、ある程度の収束をやり遂げられる可能性がある。しかし、アフリカなどの貧困地域ではそれが出来ない。インドや南米でも同様な現象が起きるだろう。仮に、WHOの組織が破綻するとなるとアフリカを守れなくなり、アフリカでパンデミックが起こると、衛生上も医学上も人道上も手に負えなくなる。仮に先進国が新型コロナを抑え込んだとしても、アフリカでの大規模な感染爆発が起これば、地球は一つなので結局、再び大きな波が世界を覆うことになる。第二波、第三波が実はもっとも恐ろしいのだ。先進国でさえマスクも人工呼吸器も足りないのだから、WHOには腹が立ってしょうがないけど、事務局長を変えることを条件に拠出をするとか、方法を考える必要がある。WHOに変わる組織が今、現在はないからだ。トップはダメでも、素晴らしい人材はいくらでもいる。



フランスがロックダウンをしてから一月が過ぎたが、日々、この新型コロナを巡る世界情勢は変化している。どんなに学んでも追いつけないし、数字は倍々ゲームで日々膨張をしている。3月13日、アメリカの死者数は0だった。今は感染者74万超、死者4万人超である。そのアメリカは市民が拳銃を買うために銃砲店に並び、ロックダウンに反対してデモをやり、社会的距離など無視して大統領に逆らう州政府を目の敵にしている。まさに、新型コロナの戦いは新しいフェーズに入ったということだろう。

滞仏日記「この世界は新しいフェーズに入った」

自分流×帝京大学