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滞仏日記「希望から絶望へと向かう父ちゃんのもとに届いた一通の手紙」 Posted on 2020/10/06 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、厚労省クラスター対策班で活躍した京都大学大学院医学研究科教授の西浦博教授(43)から、送っておいた拙著「なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない」を読んだ感想と科学者としてどうコロナ禍と向きあうか、これからの日本についての考察など、ちょっと長い手紙が届いたので、ご本人の許可を頂き掲載します。
科学者の考えるコロナ禍と物書きが考えるコロナ禍の向き合い方の違いが出ていると思います。
科学の力はとっても必要です。しかし、科学以外にも必要なことがあります。西浦さんの視点はぼくに再び考える機会を与えてくれました。
絶望から希望を取り戻すために人間が今、考えることの意味、一緒に探ってみましょう。

滞仏日記「希望から絶望へと向かう父ちゃんのもとに届いた一通の手紙」



辻仁成様

前略 この度は貴著をお届けいただきましてありがとうございました。本をいただいた第一印象が「強烈なタイトルだ」と思ったのですが、読み進めてすぐ、タイトルよりも中身が強烈であるのが辻さんであることを思い出しました。すぐに読みふけってしまいました。

 当たり前ですが、いつもご子息への愛にあふれていて、16歳がまっすぐ親に立ち向かってくるところに向かい合う家庭内の会話は、子を持つ全て者がうらやましがるものだと思いました。僕も12歳の息子とキッチンに立とうと思いましたもの。辻さん、とにかく感染したくないのですよね。それが子どもと時間を添い遂げるためであり、そのために懸命に情報を収集して、何とか予防して生き抜こうとしていることを知り、僕は専門家として胸が熱くなりました。そういう1つひとつの願いと気持ちが重なって、皆が暮らす社会の中で、集団を感染から守る仕事が如何に重要であるのか、僕は心を新たにしました。僕は辻家のような気持ちを踏まえて、1つひとつの努力が結実するような社会に繋げるように研究者として取り組まないといけない。

 流行の急性期に価値観が変わろうとしている世界への率直な物書きの方の反応も知ることができて、それは貴重なものでしたよ。いまこの流行は単なるウイルスの流行でなく、1つひとつの流行対策が行われるたびに社会全体が動揺にも反応をしています。これまでの暮らしに対する影響が大きすぎるからなんですが、一つ一つの度合いがとてつもないものになってきたのですよね。その荒波の中、それらを受け止めつつ、「生きよう」と思う姿、しかと拝見しました。

 ご覧の通り、また、考察されている通りで、流行対策と経済が対立する構図の中で流行が進んでいます。また、瞬く間に流行が世界中に拡大したので、この流行がしばらく続くのは間違いないものと思います。日本では、国の政府は制御を半ばあきらめたような本音が見え隠れするようになってきました。GDPが20-30%落ちるのと、数十万人が死亡するのを天秤にかけたら、前者を選ぶ決断をそーっとしたのかも知れないことを大変心配しています。日本の医療が社会資本でなくなり、流行が拡大すると患者をもう見れない、と断ってしまうことも起こり得る状況です。でも、経済がこれ以上に痛むと自殺者が出るのも事実です。だから、感染症対策だけを考えた政策を打つというのを今後も続けることは決して正しくはないものと思っています。

 でも、どうしても感染したくない辻さんを救うのは、周りに感染者がいなくなること、というのが感染症対策のセオリーです。病院でクラスターができるのは街に感染源がいるからであって、そうでなくなれば病院内クラスターは発生しない。辻さんも街に感染者が少なくなれば外出しても多くの心配をしなくて済むかも知れない。

 僕は数理モデルを使った研究者として、このような状況の中でも防ぎ得る死を最小にするにはどうすればいいのか航海図を示さなければならないと思っています。もちろん、重症患者の治療は少しずつ確率してきましたが、それでも社会で一定数の方が亡くなってしまうのを黙って是認するわけにはいかないと思っています。僕たちが進むべき道はどうすればいいのか、流行予測モデルに経済的損失を加味してみるだとか、様々な政策選択肢を考えてみるだとか、いくつかのことを考えています。

 これからが正念場ではありますが、まだあきらめるようなところではありません。制御は可能だと信じており、科学の底力を見せてやりたいと思っています。

 辻さんの本で必死に感染から免れようとする人がいることを知り、元気をもらいました。心を新たに努力します。

西浦博 拝

滞仏日記「希望から絶望へと向かう父ちゃんのもとに届いた一通の手紙」



政治家も、科学者も、物書きも、市民も、Covid-19への向かい方は様々です。でも、それぞれの立場でこの難題と向き合い、あらゆる選択肢を眺め、それぞれの意見に耳を傾け思考することが今は大事なのだと思うのです。
ぼくが上梓したこのエッセイ集は、ロックダウンの中、日々考えたこと、とくに息子と向き合う生活の中で、父として息子を守りたいと思う気持ちで行動し続けた記録でもあります。生き抜きたいという強い信念のもと。
この記録は今、読み直すと、未来へ向かっているのが分かります。
最近、息子が「ロックダウンは意味がない」と言い出しました。
今日、スッキリという日本のテレビ番組の取材を受けました。
いろいろな意見があるということに、ぼくは耳を傾け続け、物書きとして、何がいいか悪いかと決めつけるだけじゃなく、真摯に再思考したいと思います。

滞仏日記「希望から絶望へと向かう父ちゃんのもとに届いた一通の手紙」



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