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パリ・アート情報「ノートルダムの足元に眠る、2千年前のパリへ。『シテ島考古学博物館』」 Posted on 2025/12/16 Design Stories
パリ・ノートルダム大聖堂が再オープンしてから、一年が経った。今も多くの人々が訪れるこの場所の地下に、「パリがどのようにしてパリになったか」を紹介する、興味深い考古学博物館がある。

ノートルダム大聖堂前の広場に、地下へと続く小さな階段があるのをご存じだろうか。
遺跡が見つかったのは、今から60年前、1965年のことだった。地下駐車場の建設にあたって発掘調査が行われた際に、調査班が約2,000年前の古代遺跡を発見したのだ。博物館では、そうした遺構が当時の姿をとどめたまま保存されている。

※シテ島遺跡納骨堂

博物館の正式名称は、「クリプト遺跡納骨堂(Crypte Archéologique de l’İle de la Cité)」。とはいっても、こちらはカタコンベのように遺骨がたくさん並ぶ場所ではなく、発掘された遺跡そのものを舞台とした博物館。遺跡のまわりをぐるりと歩きながら、パネル展示を通して島の歴史をたどっていく、という仕組みになっている。

※1965年、遺跡が発掘された当時の写真
これほど多くの遺跡がノートルダム大聖堂近くに集まっている理由は、“パリの起点”がつねにシテ島にあったため、なのだそう。先史時代〜古代ローマ時代〜中世と、セーヌ川に囲まれたシテ島にはいつも人々の暮らしがあった。

※中世の時代では、ノートルダム大聖堂のあるシテ島が城塞に囲まれていた
実はかつて、パリはパリではなく「ルテシア」と呼ばれていた。パリ最初の都市・ルテシアは、古代ローマ時代の紀元前1世紀ごろにシテ島の南側につくられたという。この都市ではローマ浴場や円形の劇場、広場などもしっかりと整えられていたそうだ。
ちなみにシテ島では、ローマ浴場の遺跡が発見されていて、館内ではそれを実際に目にすることができた。

※ローマ浴場跡
また、この辺りを流れるセーヌ川は以前、食料を得る大切な漁場でもあったそう。発掘調査では漁に使われた設備の跡も見つかっていて、ルテシアの人々がウナギ・カワカマスといった川魚を日常的に食べていたことが分かっている。さらにセーヌ川沿いでは、それよりももっと古い時代に生きた“マンモス”の牙も発見されている。

※漁に使われていた道具

※櫛やピンなども見つかっている
こうして人々の暮らしの跡をたどることができるのも、クリプト遺跡納骨堂の面白いところだ。パリという都市が、人々の工夫の積み重ねで少しずつ形づくられてきたこと。そしてその歴史のそばには、いつもセーヌ川の存在があった。
そんな歴史を展示するクリプト遺跡納骨堂は、「博物館」というには少し質素かもしれない。照明はかなり抑えめで、遺跡の陰影・石の質感がきわだつ仕組みになっている。やはり博物館というよりも、「考古学的な散策」に近い空間だ。ただ、階段や通路がしっかりと整備されているので、体力を使わず、どんな人でも無理なく見学することができる。

※1722年の大火災前、ノートルダム広場の模型

※現在のシテ島
シテ島の主役が、13世紀に完成したノートルダム大聖堂であることは間違いない。ただそのすぐ下に、さらに古い時代の街並みが眠っていることは、意外にも知られていない。
現在では、かつてここが壁に囲まれていた雰囲気など微塵もなくて、人々が自由に島を行き来する光景が広がっている。
こうして今の街並みと見比べてみるのも、もちろん面白い。ノートルダム大聖堂とセットで訪れれば、シテ島の“時間の層”をしみじみ感じることができるだろう。(大)
【シテ島遺跡納骨堂(Crypte Archéologique de l’İle de la Cité)】
住所:7 Parvis Notre-Dame – Pl. Jean-Paul II, 75004 Paris
公式サイト:https://www.crypte.paris.fr/
開館時間: 10:00〜18:00、月曜日休館
入場料:一般11ユーロ


