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パリ・アート情報「絵の中を歩くような一日。パリ郊外、ゴッホ最期の町へ」 Posted on 2026/10/08 Design Stories
生涯のうちで、いろいろな場所に移り住んだという画家、フィンセント・ファン・ゴッホ。フランスのパリ郊外には、そんなゴッホが生前最期の70日間を過ごした町がある。名前は、オーヴェル=シュル=オワーズ(Auvers-sur-Oise)。パリから電車で行ける場所にあって、本当に絵の中を歩いているように美しい町だ。

※ゴッホ『7月14日のオーヴェル=シュル=オワーズ市役所』

※実際の市役所
1890年5月にオーヴェル=シュル=オワーズへやってきたゴッホは、わずか70日ほどの滞在中に、80点以上の作品を描いている。
町の中心部にあるのは、小さな小さな市役所。ゴッホはこの市役所も描いており、現地では実物をそっくりそのまま近くで見ることができる。

※ラヴー亭。現在もレストランで食事ができる
ここで早くも気持ちが浮き立つのだが、さらにその向かいに見えるのが、ゴッホが下宿していたという「ラヴー亭」。宿とレストランを兼ね備えたオーベルジュで、ゴッホは宿の5号室に滞在し、1日1フラン、食事代2.5フランで部屋を借りていたという。※この金額は安い滞在費では決してなかったとされている。

※ラヴー亭のサイドにはゴッホにまつわるパネルがいくつも
ラヴー亭に掲げられていたパネルの内容も、すべてが非常に興味深い。宿主の長女、アドリーヌによれば、
「私たちは彼のことがとても好きだった。“ムッシュー・ヴァンサン”と親しみを込めて呼んでいた。彼は正午ごろ昼食に戻ってきた。肉、野菜、サラダ、デザートという当時の旅館らしい食事だった。彼は一度も料理を残さなかった。とても感じのいい人だった 」
とのこと。
こうしてインパクトある場所からスタートするオーヴェル=シュル=オワーズ。ラヴー亭の角を曲がれば、今度は「画家の道(Chemin des Peintres)」と呼ばれる道が続いていて、ゴッホの絵と、そのモデルになった場所を比べながら見学できるように整備されている。


※ゴッホ『オーヴェルの階段』

※実際の風景
この「画家の道」が、本当に絵のように美しいのだった。まるで夢の中にいるようで、『オーヴェルの教会』 や『カラスのいる麦畑』が描かれた景色をたどりながら、ゴッホが歩いたのと同じ道を歩いていく。以前から平面として見てきた彼の絵が、目の前で突然「立体」になる瞬間だった。

※オーヴェル=シュル=オワーズの教会

※『カラスのいる麦畑』

※実際の風景
「画家の道」はそれほど長くはない。ゴッホが眠るという墓にも、『カラスのいる麦畑』からほどなくして着く。なお、墓地はオーヴェル=シュル=オワーズでもぜひ訪れていただきたい場所で、ゴッホの墓が、実の弟テオと隣り合わせで残されている。
ふたつの墓を覆う緑のツタは、ガシェ医師(ゴッホを診ていた医師)の庭から移植されたものだそう。二人の絆を思わせる、とても印象深い場所だ。

※ゴッホと弟テオの墓。ひまわりが散りばめられているのも印象的
そして1890年7月27日、ゴッホはピストルで自らを撃つ。その直前に描かれた『木の根と幹』のモデルとなった場所が、2020年に特定されたということで、今回はそちらにも足を運んでみた。

※遺作『木の根と幹』のモデルとなった場所

※ゴッホは別の場所で自分を撃った後、歩いてラヴー亭に戻っている
彼が最後に歩いたであろう道に、木々がいまも根を張っている。ちなみにゴッホが『木の根と幹』で描いた陽の光は、午後の終わりに向かっているものらしい。この日は、訪れた時間とちょうど重なり、絵とまったく同じ色が現れて驚いてしまった(特に斜面のあたり)。
なお、ゴッホの死後、ラヴー亭の宿主はゴッホの弟テオに「旅館の1階で追悼式をしてはどうか?」と提案したそうだ。1890年7月30日には、ひまわりで飾られた食堂で葬儀が行われ、棺の周囲にはゴッホ最後の作品が置かれたという。

※ラヴー亭の庭先にいまも残るひまわり
とはいえ、オーヴェル=シュル=オワーズは「ゴッホ最期の町」というより、「ゴッホが見ていた風景を感じる町」という、もう少し柔らかな表現が似合うと思った。事実、推奨ルート以外にも、この町にはため息が出るほど美しくて長閑な光景が広がっている。時間に余裕があれば、ぜひ足を伸ばして、画家たちが愛した町の周辺を散策してみてほしい。(大)

【オヴェール・シュル・オワーズ(Auvers-sur-Oise)】
最寄り駅:Auvers-sur-Oise駅 (パリ北駅からローカル線Hで約30~45分)


