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滞仏日記「おかえり、と息子が笑顔でぼくに言った」 Posted on 2020/11/05 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、羽田空港に負けないほど人がいないシャルル・ド・ゴール空港であった。
そして、驚くべきことに、PCR検査は無かった。
誰にも呼び止められることなく拍子抜けするような感じで、つまりノーチェックで外に出ることができた。
もちろん、日本みたいに二週間の自主隔離など、一切無し。
こういうことをしているから感染拡大するのだ、と思いながらタクシーに乗った。
「日本から何時間?」と運転手さん。
「12時間かな」とぼく。
「ぼくは5時間だ」
「???」
「午前11時から君をここで待ってた。だって、客がいないんだもの。ずっと君を待ってた。ありがとう、帰って来てくれて」

滞仏日記「おかえり、と息子が笑顔でぼくに言った」

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滞仏日記「おかえり、と息子が笑顔でぼくに言った」



ところが驚いたことに、ロックダウンとは思えないほど、パリ市内は車が走っていた。
市内に近づけば近づくほどに交通量が増えていき、一部では渋滞していた。
それだけじゃない、セーヌ河畔なんかでは、大勢の人が普通に歩いている。
自転車に乗っている人もいる。
「ロックダウンじゃないみたいだね。渋滞しているし、人も出歩いてる」
「今回のロックダウンはかなりユルユルだよ。経済をとめられないから、名目だけのロックダウン。1キロ散歩できるから、みんな散歩三昧さ。でも、俺たちは客がいないからもう最悪、死活問題だよ」
ぼくがパリを出た時と変わらないパリの風景に、思わず、拍子抜けしてしまった。
これが現在のパリのロックダウン風景なのである。

滞仏日記「おかえり、と息子が笑顔でぼくに言った」



タクシーはぼくの仮住まいの新しいアパルトマンに到着したが、パリ中心地でもかなりの人出だった。
しかもなぜか、ご年配のご夫婦ばかりが目立つ。
「おじいさん、おばあさん、出歩かない方がいいのにね」
ぼくが言うと、運転手さんが通りを見回し、
「彼らの命を守るために僕らがこんなに苦労しているんだ。なのに、老人ばかりが散歩している。家でじっとしててくださいよって、仕事の激変した俺の身にもなってくれよって、言いたい。わかるかい?」
運転手さんはため息をついた。難しい問題であった。
彼が手伝ってくれて、荷物を建物の中へと運んだ。

滞仏日記「おかえり、と息子が笑顔でぼくに言った」



荷物を部屋に上げ、寛いでいると、夕方、息子が帰ってきた。
ドアが開くなり、珍しく大きな声で「おかえりー」と声が弾けた。玄関に行くと、マスク姿の息子が笑顔で、
「おつかれさま。大変だったね」
と本当に珍しく弾けるような声で言った。
「学校変える」問題で悶々としてきたぼくの身にもなってくれよって…。
この子は本当に嬉しい時、鼻の下がちょっと伸びて、口元がゆがみ、笑いを堪えるような顔をする。
嬉しいのだな、というのが伝わってくる。
「学校を変える」問題については明日以降話すことにしよう、と思った。
とりあえず、落ち着こう。とりあえず、休むのが先決だ。
ただいま、が言えて、ぼくも嬉しかった。
そうだ、ただいま、と言える、おかえり、と言ってくれる家族がぼくにはいる。
これはよく考えれば凄いことじゃないか?
頼りない息子だけど、この世界一小さな家族はぼくの誇りだ。
日本に戻っても「おかえり」と言われ、パリに戻っても「おかえり」と言われる。
有難いことである。



ユバーイーツで出前をとり、アメリカの大統領選挙を見ながら、息子と並んで食事をした。
とくに会話は無かったが、なんか安心した。
でも何も語らないのは不自然だから、
「どう? 学校は?」
といつものように訊いたら、息子もいつもと全く同じ感じで、
「普通」
と言った。
ただ、いつもと違うのは、笑顔だった。
この子と二人で暮らしはじめた7年前からぼくらはずっとこうやって二人で食事をしてきた。
コロナでテロで不景気でアジア人狩りが流行ってる最悪のパリで、でも、そこに世界一大事な家族がいた。
ここが地獄であろうと、ぼくは戻る。それはここがぼくのホームタウンだからだ。
とりあえず借り住まいだけど、息子がいればそこがぼくらの家になる。
息子にとってはこんな変なおやじでもぼくが戻ってくれば嬉しいみたいだ。こんなぼくでも父親だからだ。
何よりじゃないか、と思った。



「どっちが勝つ?」
ぼくが訊くと、息子が即座に
「バイデン」
と答えた。
「でも、バイデンが勝ったら、勝ったで、アメリカは大混乱になるんだよ、パパ」
「だね。で、コロナはどう?」とぼく。
「ぜんぜん、おさまってないよ。たくさん、亡くなってる。医療崩壊は始まってる」
「やれやれ。テロは?」
「軍隊が出てるよ。そこら中に兵隊が出てる。テロ警戒レベルも一番上だから」
そういえば、空港も重装備の軍隊が警備していた。
「アジア人狩りはどう?」
「この辺は大丈夫。あれは郊外だよ」
「あ、お前に頼まれたもの買って来たぞ。ちょっと手伝え」
食後、ぼくらは玄関でトランクや旅行バックを開けて、買ってきたものを床に広げた。
食べ物がほとんどだったけれど、中に、息子に頼まれていた、ビタミン剤、歯磨き粉、育毛剤などが紛れていた。
「ありがとう」と息子。
その時、テレビの司会者が「バイデン氏がミシガンを制しました。でも、トランプ大統領は不正が行われていると訴えています」と言った。
息子が育毛剤を握りしめたまま、民主主義が崖縁にあるね、と呟いた。
たしかに、大変な世界でぼくらは生きている。
でも、なぜか、世界がこんなだというのに、ぼくは幸せなのであった。

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