JINSEI STORIES

滞仏日記「新年早々、ちょっと切ない愛のぽっぽっぽ物語」 Posted on 2021/01/04 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、明日から学校が始まるので、辻家も新学期に向けて時間調整に入った。
辻家の夜ご飯はフランス人と同じ、だいたい20時半過ぎなのだが、一時間早めて、19時半にはテーブルにセッティングした。
父ちゃんはおせちとか豪華なものを作り過ぎたので、今夜はハンバーガーが食べたかった。
今日はあのモスバーガーを真似てみたい、と思った。
モスのトマトソースの味付けをイメージしながら、トマトを刻んだ。仕上げにちゃんと玉ねぎのみじん切りをたっぷりと入れることも忘れなかった。
輪切りのトマトもケチらず太目にした。
ここフランスで「ほぼモス」な状態まで近づけることが出来、完璧主義者の父ちゃんはにんまりであった。
※ここで皆さんに一つ裏技を教えておくと、市販のパンズは断面をフライパンで焼いても確かにカリっとして美味しいのだけど、それだとアメリカンになり過ぎるので、あくまでも「モス」に近づけたい場合、アルミホイルに包んで180度に予熱しておいたオーブンで5分ほど温めるとしっとりとしたあの感じが出る。お試しあれ。

滞仏日記「新年早々、ちょっと切ない愛のぽっぽっぽ物語」



ということで、受験の迫る息子は速攻で食べて部屋に戻ってしまった。
あと10日で17歳なのだ。
来年の今ごろには、フランスにおける成人を迎えてしまう。
そして、うまくいけば大学生だ。
父ちゃんもウカウカしていられない年ごろになってしまった。
コロナ禍のこの時代に受験に向かう子たちは本当に大変だ、と思いながら、窓外へ視線を向けると、浴室から突き出た小さな煙突、Ł字になってる煙突に鳩が見えた。
表通りに面したにぎやかな側ではなく、フランスの建物にはだいたい小さな裏庭(大きな裏庭もあるけど、うちのは小さい)があり、煙突がつきだしている。



ここに越してきてから、夜になると、あの二羽が、どこからか戻って来て、寒い秋、冬の間はぴったりとくっつきあっていた。
朝、太陽が昇る頃に、一度、羽ばたいて並んで飛んでいくのを見たことがある。
昼間は、近くの木立を飛び回り、餌を漁っているのに違いない。
で、陽が沈むと二羽はここに戻ってくるのだ。
必ず番い(つがい)である。動物の雄と雌の一組を番いというけれど、まぁ、夫婦みたいなもので、ぼくはずっと彼らを夫婦として見てきた。
二人はどんな時も寄り添って寒さを凌いできた。ずっと一緒だった。



一度、先月だったか、別の鳩がそこに割り込もうとしたことがあった。
三角関係というか、縄張り争いか、よくわからないけど、人間みたいに、揉めていた。
でも、最終的に、二羽が力を合わせ、追い払った。
煙突なので、温かいのだろう。北海道と同じで、フランスの建物はだいたいセントラルヒーティングになっており、家の中は均一に温かい。
煙突はその温かい空気の通り道だから、きっと、居心地がいいのであろう。

実は、昔、父に貰った鳩の番いの銅の置物があった。
寄り添う鳩のカップルの置物だったが、大事にしていた。
今、思い出して、あれはどこにいっただろうと探したけど、見当たらない。引っ越しが多かったから、段ボールに仕舞われ、地下室に眠っているかもしれない。
おもえば、鳩の番いの置物というのはよくある。
鳩は本能的に番いで生きていく、代表的な生き物、というイメージが人間にはあるのかもしれない。
鳩が嫌いだという友人が多いけど、ぼくは平和の使者みたいなイメージがあって、嫌いになれない。
昔、長崎の平和の像の周りにたくさんいた鳩の群れが、人間に思えたことがあって、多分、それから鳩を追い払えなくなった。
どうでもいい記憶だけど、鳥たちの中では鳩が一番、番いが似合う、気もする。
うちの浴室の煙突にいる鳩の夫婦だけど、実は、残念なことに、去年の暮れから、ずっと一羽がいなくなっている。
クリスマスの後くらいから二羽が寄り添うのを見ていない。



ちょっと心配になったので、窓を開けて様子を見た。
ぼくが窓をあけると、一人になった鳩は驚き、ぼくを見た。
多分、見ているのだと思うけど、不意に飛び立つような態勢を保ちながら、警戒している。
「脅かすつもりはないんだよ。ごめんね。ただ、君のパートナーはどうしたんだい?」
と聞いてみた。
返事をするわけはないのだけど、鳩は僅かにそわそわしている。
何か与えたいけど、遠いし、警戒して食べるわけもないだろう。
寂しいだろうなぁ、と思った。
この寒さだし、乗り越えられなかったのかもしれない。
鳩は人間ではないけれど、こういう光景を見ると、生きるということの無常を思う。
残された鳩にきっとぼくは自分を重ねているのかもしれない。



ぼくは椅子を窓辺に持ち出し、鳩さんがよく見える場所に腰を落ち着けた。
好物のワインを舐めながら、番いの物語を考え始めた。
これは、小説になるだろうか、と空想してみた。
ぼくに怯えていた鳩は再び、ちょっと安心したのかもしれない、煙突に身を沈めた。ぼくが敵対的な人間じゃないことが分かったようだ。
「そこは寒いだろうけど、仕方ないな。せめて独り者同志、ちょっとの間、こうやって、同じ時間を過ごそうじゃないか」
ぼくはいったい誰に向かって呟いているのであろう。
ワインを床の上に置いて、傍に置いてあったギターを掴み、ECHOES時代の「ハミングバードランド」という曲を奏でた。

『この街は囲いのない動物園、
ぼくらは自由に縛られてるハミングバード
見張り台の上から見られながら
毎日、罪のない歌をさえずっている。
早く、誰か気づいて、…』

滞仏日記「新年早々、ちょっと切ない愛のぽっぽっぽ物語」

自分流×帝京大学
地球カレッジ