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滞仏日記「日本伝道師として生きる父ちゃんの願い」 Posted on 2021/01/05 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、在仏19年になった。
実は渡仏の準備のために足蹴くフランスに通い出したのは、2001年以前。
その時期の長期滞在も数字に加えていいのであれば、20年もフランスで生きていることになる。
最初はオデオン地区のアパルトマンに転がり込んだ。
今、住んでいるところもそこから本当に目と鼻の先で、いいカルチエ(地区・街)だ。
写真家のサエクササトシさんとミカちゃんが所有していた可愛いアパルトマンを借りた。それは2001年のことになる。
だから、やっぱり20年だな。滞在許可証を取得してから19年という長さだ。
実は、ぼくはアメリカでもオーストラリアでも、どこでもよかった。そのことは20年前から言い続けていることだから、後付けの話しじゃない。
でも、いろんな事情があって、気がつくと、ここに辿り着いて、居座っている。
今はフランスでよかった、と思っている。

滞仏日記「日本伝道師として生きる父ちゃんの願い」



「フランスかぶれ」という言葉があるけれど、逆で、渡仏したばかりの頃は本当に後悔の連続で、ぜんぜん、良さが分からなかったし、フランス人と揉めてばかりだった。
不思議なくらい、当時と今は気持ちが真逆なのだ。
期待もせずに転がり込んだフランスだったけれど、気がつくと生活地になり、息子が生まれ、シングルになって、多分、今はだれにも負けないくらいこの国の良さを理解できたし、数年後には、フランス政府から年金まで支給される身なのだから、驚く。年金だよ? 笑。



狭いパリだから歩いていると、「よー、ツジー」と声を掛けられることが結構ある。
マジ、悪いことが出来ないくらい、知り合いが増えた。
目立たないように地味に地味に生きてきたつもりなんだけど、態度デカ過ぎるんかな?
渡仏した頃は日本もまだ景気がよかったから邦人が結構住んでいた。
大企業関係の家族が多かったけど、不景気になりどんどん日本人がいなくなって、しかもコロナだから、本当にぐんと減った。
フランス語で異邦人のことをエトランジェ(étranger)というけど、ぼくのことだね。
「年金なんか貰えないよ。何もフランスのためにしてないし」
と会計士のブリュノに言ったら、
「貰う権利があるよ、貰っときな、払い続けてきたんだから。それに、ヒトナリは、資格的にはフランス人と同等の権利を持ってる。選挙権がないくらいのものだよ」
と言い返された。
何気なく彼は言ったつもりのようだったが、そんなこと考えたこともなかったので、ちょっと不思議な感動があった。
日本の国政選挙はパリで毎回、投票しているから、フランスで選挙権がなくても仕方ないかな。
ぼくは日本を世界に伝える伝道師でありたいだけだから、えへへ。

滞仏日記「日本伝道師として生きる父ちゃんの願い」



で、在仏日本伝道師協会会長のムッシュ辻がいつものようにランニングしていたら、エリゼ宮近くの路上でリコに呼び止められた。
「ツジーーーー!」
「ッリコ~!」
リコの、リは思いっきり巻き舌で、プエルトリッコーみたいに発音する。
こんなところで、何してんの、とぼくが訊いたら、指を唇に当てて、シーっとやられた。
「スパイ活動だよ」
「は?」
マシンガンを持った警察官が通りの反対側に立っている。ぼくはジャージ姿なので、止まるとなんか言われそうだから、動きを止めずにリコと立ち話しした。
「スパイは冗談。あれ、言わなかったっけ? ぼくは政府関連の仕事をしている」
「ワォ、知らなかった。ただの酔っ払いだと思ってた」
指を突き刺され、アハーーン、という顔をされてしまった。
「それ仮の姿だ」
「なるほど、人間、見かけによらないってことだな」
「その通り。で、君はランニングか、この寒いのに」
「ああ、毎日、走ってる。ぼくは作家でミュージシャンだから、鍛えてる。コロナに負けない免疫力を付けるためにも運動は大事だ」
ぼくらは微笑みあった。

滞仏日記「日本伝道師として生きる父ちゃんの願い」



ロックダウンの前はいつもロマンのバーで毎晩、並んで飲んでいたけど、あれから、約一年、ぼくらは一緒に飲むことが許されなくなった。
「また、飲みたいな」
とリコが言った。
「ああ、楽しかった。あの頃が懐かしい」
リコは変なマスクの付け方をしている。耳にかける片方のヒモを頭に回し、もう一方は顎のあたりで揺れている。
アラビアのロレンスのような感じ。新しいね、と言ったら、ニヤッと笑った。
「ツジ、俺は決めたことがある」
「なに?」
「もう、抵抗はしない。考えるのをやめたんだ。言われた通りにやる。この問題に関しては、考えることを終わりにする」
「コロナ禍に関してということ?」
「イエス! ロックダウン、と言われたら黙って従う。外出禁止、と言われたら家から出ない。
いちいち、考えてもどうにもならない船に乗ってるってことに気がついたからだ。いちいち頭にきても、俺一人じゃどうにもできない。若い政府の連中は頑張ってるから、あいつらにかけるだけだ。今は辛抱して、飲み歩けないけど、今は辛抱をして、年配の人たちを守ることに、今は考えるのをやめて、出来るだけのことをやる。ツジは日本に帰らないのか?」
「俺? 帰ろうと思ったけど、今は、移動しない方がいいと思って、春、そうだな、5月までは日本に戻らない。いろんな意味で、みんな神経を使ってる。イギリスから誰か来たら、会いたくないだろ? そいつのことがどんなに大好きでも」
リコが笑った。彼のルーツはスペイン人だ。
いつか、リコに辻版のボレロを聞かせてやりたいと思った。
「それがいい。ツジ、今はじっとしてろ。そうだ、この間のアーシペル劇場でやったお前のライブ、すごく好きだった。東京って曲が好きだった。行ったことないけど、素敵な街なんだろうなって、思った」
 台風とコロナのせいで延期になった、自分のコンサートのことを思い出した。
「ああ、ぼくが生まれた街だ。東京とは何度も喧嘩した。大嫌いだけど愛している」
「いつか、また、お前のライブ、見せてくれ。必ず、行くよ」
「ありがとう」
ぼくは、手を振り上げて、サリュー、と言い残して走り出した。
5月にみんなに会えることだけを祈って、今は移動制限下のパリで、最強の身体を作るだけである。
 

滞仏日記「日本伝道師として生きる父ちゃんの願い」

※ これ、幻となった2019年のオーチャードホールのセトリである。笑。こういう感じで、幕が開くはずだった。悔しいけど、もう一度、曲順を考えている。走りながら、…。



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