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退屈日記「あの日、息子がぼくに喰ってかかってきた、その本当の理由」 Posted on 2021/10/16 辻 仁成 作家 パリ

地球カレッジ

某月某日、パリに戻ったら、気を引き締めなおし、再び主夫作家に戻った。
今日はいろいろとやらなければならないことがてんこ盛りである。
家政婦さんの面接とか、打ち上げとか、息子の部屋の掃除とか、買い物とか・・・。
でも、一日は一杯のコーヒーからはじまるので、気分を整えるために、ちょっと気合いをいれて、カプチーノとガトーショコラを朝から作って、窓辺で寛いでみた・・・。えへへ。
どんなに忙しくても、慌ただしくても、一杯のコーヒーに毎朝、助けられている。

退屈日記「あの日、息子がぼくに喰ってかかってきた、その本当の理由」



カプチーノを飲み干し、さあ、仕事でもしようかな、と思っていると、息子が起きてきたので、キッチンまで追いかけた。
彼は冷蔵庫からペリエを取り出し飲んでいた。
「大学の説明会、どこにいつ行くか日程決めたか?」
「やるよ」
「大事なことだからね」
「分かってるよ。いつも一人でやってるよ」
一人で? 小さく、かっちーーーん。
「どうやってるか、親だから、一応、知っておきたいんだけど」
でも、ぼくには怒れない理由がある。
つまり、ぼくには進路問題は難し過ぎるのだ。
「パパ」
息子が振り返った。
「分かってるから、ぼくはちゃんとやるから、大丈夫だから」
うざいのだろうか。うざいね・・・。マジ、うざいに決まってる・・・しゅん。
すごすごと引き下がる父ちゃん。やっぱ、パリはストレスの街である。



息子の学校からも、いろいろと連絡が入っているので、その辺も話し合わないとならない。しかし、それを理解するには、ぼくには、語学力だけじゃなく、フランス人じゃないし、この国の教育システムを通過してないから、フランスの受験がそもそもわかってない。
ぼくはぼくなりに、調べて、息子と向き合うのだけど、息子にしてみれば、知らない人間に偉そうにされるのが、嫌なんだろう。
言葉遣いが刺々しくなる。
「何もわかってないくせに、ぼくは一人で、ここまで生きてきたのに」と彼が誰にもぶつけることが出来ない苦悩や孤独の悩みをずっと持っていたとしてもおかしくない。
そういうのが積もり積もって、先の爆発(大喧嘩)になったのだろう。
彼は三時間ほど、ぼくに激しい口調で抗議をした。初めての経験であった。
それは離婚のことも含め、何で、自分が一人でこんなに大変な思いをしないとならないのか、という、これまで彼が感じてきた不満も含まれていた。
きっと、小さい頃から、友だちのお父さんたちが子供に寄り添い、その経験をいかして、子供たちを導いている姿を目撃してきたからだろう。
ぼくのような頼りない父親がそばにいて、お母さんもずっと不在だし、彼はほぼ自分でやってきたこと、やらざるをえなかった人生に、不満が積もっていたのであろう・・・。
ぼくには彼の気持ちがわかるから、強く言えないという弱点もある。
受験が迫る中、息子は今、神経質になっている。

退屈日記「あの日、息子がぼくに喰ってかかってきた、その本当の理由」



ぼくにできることはランチを作ることくらいしかないのか、という悩みもある。
今日はミネストローネスープと牛肉のタリアータを作る予定だけど、パリに戻ってきて、早々に現実の壁にぶつかってしまった。
ぼくは、62歳だし、自分のこれからも考えないとならないのだけど、とりあえずは、息子を一人立ちさせることが先決だろうな、と思ってしまう。
息子が子供部屋に戻るのを見計らって、再びキッチンに行き、ランチの準備にいそしむ、父ちゃんであった。
「死ぬまで生きろ」とぼくの85歳の母さんは昔言った。
ぼくだけじゃない、人生というのは、マジで、すべての人にとって、大変の連続なのである。
老後なんて、考えている暇さえもないくらいに、毎日は容赦ない・・・。
さて、今日もぼくは毎日の中でもがき、頑張るのだ。えいえいおー。

つづく。



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