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滞仏日記「悲しみを乗り越えて人はそれでも生きていく。切に、人間であるがため」 Posted on 2021/11/22 辻 仁成 作家 パリ

地球カレッジ

某月某日、今日、また訃報が飛び込んできて、それも、ごろごろとしていた午後に不意打ちされたので、気持ちが凍結し、驚くとか悲しいというのが実感できず、電話を切ったあとも、そして、この日記と向き合いながらも、何を書けばいいのか、わからず、文字に縋るようにして、今、一字一句を埋めている・・・。
パリの友人のカメラマン、七種諭が死んだ時も、同じだった。
瀬戸内先生が旅立たれた日もそうだった。
すばるの担当編集者だった長谷川浩さんの訃報が飛び込んだ先週も、驚くのだけど、どうしていいのかわからない。
だいたい、なんで、自分、泣かないのか、わからない。
今日、亡くなった人はぼくにとっては親戚、家族のような方で、だからかもっと衝撃を受けてもいいはずなのに、思考が停止してしまい、思えば、諭の時もそうだったなぁ。
「諭さんのお別れ会をやるのだけど、辻さん、どうされますか」
という知らせに、「誰のお別れ会? あいつまだ生きてるから殺すなよ」と笑いながら怒ってる始末で、ぼくは人の死からいつも逃げ出す癖があり、死というのは、受け入れるのに、ものすごい時間が必要になる。
だから、追悼文なんか書きたくないのだ。
でも、こうやって言葉にしていくと、だんだん、その死を認めないとならなくなるのも事実で、だから、作家というのは、実に面倒くさい生き物でもある。



しかも、今日、文芸誌「すばる」の締切日だったから、仕方なく、この日記の前に、瀬戸内寂聴さんの追悼文を書いた。
そこには、「長生きしてほしかった」みたいなことは一切書かれてない、むしろ、その逆だ。先生はとっくに死を悟っていたのに、・・・。
追悼文なんか書かないで、と生きてたら言われそう。その通りである。
悲しみって、死ぬことって、いや、それよりも、生きることとは、いったいなんだろう、と思う年末である。
ぼくの周りで、コロナ禍以降、ばたばたと知り合いが旅立っていった。
そういえば、母さんが一昨日から入院をしていて、最初はがんの疑いを感じるという本人の申告をもとに検査をしたら、虚血性腸炎ということで、即、入院となった。
家族に何かがあっても、飛んで帰ることのできない、コロナ禍の一番厄介な状況下にぼくは、そして、人類は置かれているのである。

滞仏日記「悲しみを乗り越えて人はそれでも生きていく。切に、人間であるがため」



窓辺に座り、自分の気持ちに寄り添ってみるけど、まだ想い出どころか、何も立ち上がってこない。
迷惑をたくさんかけたなぁ、世話になりすぎたなぁ、励まされてきたなぁ、と頭を下げるしかない。
そういう自分だけが、まだ、生き残っていて申し訳ない。
ああ、もうやり取りできない、とやっと、今、気が付いた。
メールを見ても一緒だった。
携帯のSMSに、七種諭の最後のメッセージが残されているのを発見したが、「またね」という言葉だった。
いつ? どこで? 次はいつ会うんだよ!
いつかきっと、津波のようなものが押し寄せてくるな、と思っているけど、来るのか来ないのかわからない水平線の先の方をじっと見つめているような、・・・今の自分なのだ。



しかし、生きるって、本当にいったいどういうことなんだろう、と60歳を超えた作家が思うのだから、若い人が悩むのは当然であろう。
ただ、親しい仲間や、家族みたいな人や、親友がいなくなるのは、無性に寂しいことだ。もう、会えないんだな、と思うと、その人の笑い声や、優しい言葉や、苦楽を共にした日々の記憶が蘇ってくる。
でも、これは世界中で、ひっきりなしに起きている運命なのだから、しょうがない。
これを受け止めて生きていくことが人間なのだ、と思うしかない。
そして、遅かれ早かれ、自分も旅立たないとならない。
その時に、あっちに持っていけるものは何もない。
想い出さえも、ここに残していかないとならないのだから、先のことよりも、今この瞬間、瞬間を精一杯生きることが大事なのだろう。
そうだ、それだけは間違いがない。



ぼくはまだその訃報を息子に伝えていない。
息子も何度も会ったことがあるし、ある意味、いつもその人に支えられてきたので、しかも、まだ子供だから、きっとぼくとは比較にならない悲しみを覚えるだろう。
今日は言えない。明日も言えない。そうだ、明日、ぼくは仕事でパリを離れないとならないから、少なくとも、戻ってくるまで、言わない。
もしかしたら、ずっと言わない手もある。
あいつは時々、日記をチェックしているので、逆に、読まれた方が、クッションになって、言いやすくなるのかな、とは思っている。
でも、1年後、たぶん、あの子は、この事実を受け止めているだろう。
それが人生というものだ。
だいたい、ぼくは死んだと思いたくないし、きっと、いろいろと頼み事もまだあるし、つまり、今日のぼくはちょっとどうしていいのか、わからないということ。
でも、いつものように明日も生きるだろう。飛行機に乗って、南へ向かうのだ。
そこで、くだらない冗談を言うし、笑っているだろうし、また、深酒もするだろう。酔った頭の中で、いい想い出だけを掬って、月にかざして懐かしもう・・・。
皆さん、この生きている一瞬一瞬を大切に生きましょう。切に、人間であるがために・・・。

滞仏日記「悲しみを乗り越えて人はそれでも生きていく。切に、人間であるがため」



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