JINSEI STORIES

滞仏日記「子犬に振り回されくたくた父ちゃん。ちょっと休みたいよ、助けてくれ~」 Posted on 2022/01/26 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、とにかく、小さな三四郎はやんちゃで困る。
パワーを持て余しているから、朝から晩まで思いつく限りの悪戯をする。
もちろん、乳歯のせいで歯が痒いのだからいろいろなものを噛むのは仕方ないにしても、それと遊びとがセットになるから、我が家の玄関(三四郎の部屋)はもう動物園状態。
疲れたら寝てくれるけど、昼間寝ると、夜中起きてるから、もっと大変になる。
全力で向き合っていたら身体が壊れると思い、昨夜も、一度三四郎を寝かせつけてから、ぼくも自分の部屋に入り、ドアをしめて、寝た。
しかし、夜中の一時くらいに、三四郎が普通にドアを開けて入ってきた。
どうやって? 
築120年のおんぼろアパルトマンだから、体当たりすればドアが開いてしまうらしい、オーマイガッ。
で、追い出し、鍵をかけて寝たのだけど、今度はぼくが不意におしっこをしたくなった。
今、部屋を出ると、絶対起こしてしまう。我慢をし続けたが、さすがの父ちゃんも、尿意には勝てない。
ペットボトルを尿瓶替わりに使おうかとも考えたが、辻仁成史にかなりの汚点を残してしまいそうで、やめることに・・・。笑。
そこまで気を使って頑張るのは、今後のためにも絶対よくない。
3時半、意を決して、ドアを開けたら、な、なんと・・・。四角いベッドマットを父ちゃんの寝室の入り口まで自ら運んで、そこで寝ていた、サンシー・・・。
見下ろす、父ちゃん。ドアが開いたので、起き上がって見上げる三四郎。
ああ、なんて、可愛い子なんだろう、とますますメロメロになってしまった父ちゃんなのであった。
それにしても、どうにかしてほしい。
無償の愛だけじゃ、身が持たないよ・・・。

滞仏日記「子犬に振り回されくたくた父ちゃん。ちょっと休みたいよ、助けてくれ~」



今日は、朝の7時にドアをノックし始めた三四郎。
「くうー--ん、くうー--ん」
と、甘い声で要求している。
まだ、3時間しか寝てないわ、朝ごはんは8時だろ、と小言を言ったけれど、通じない。
ドアを激しくひっかくので、仕方なく起きて、朝ごはんを出したら、ものすごい勢いで食べきった。
で、三ちゃん、食べながら、カカ(うんち)をする。(これが習性らしい)
食べ終わってから今日はさらに二回も続けてカカをやりやがった・・・。
ちゃんとカカとピッピをしてくれるのは嬉しいのだけど、匂いもすごいし、片付けも大変なのである。
食事の後、外に連れ出すのだけど、そこではしてくれない。
っていうか、食べたらすぐにする子なので、外に連れだした時はもう出ない。なんたるこっちゃ。先が思いやられる試練の日々なのである。

滞仏日記「子犬に振り回されくたくた父ちゃん。ちょっと休みたいよ、助けてくれ~」

※ 買い物にはもいけないので、パスタが揃わず、残った3種類のパスタを、時間差で投入して作った、トマトソースのパスタなり。笑。



ぼくは寝不足で、三四郎の部屋のロッキングチェアで三四郎と一緒に寝てしまった。
起きたら、昼ご飯の準備をし、食べさせたら、また、カカとピッピ・・・。その片付け、の繰り返しなのであーる。
午後、息子が学校から帰ってきた。今日は模擬試験だったようで、
「疲れたから三四郎の面倒はみれない」
といきなり宣言されてしまった。
子育てがやっと終わりに近づいてきたというのに、ここから子犬を育て始めた父ちゃん・・・。愚か者でしょうか?
この子には長生きしてもらいたいけれど、この子が老犬になる頃、ぼくも相当な老人になっていて、どっちが先に死ぬか、というのが次の問題になりそう。
自分が80歳を超えた頃に、この子に先立たれたら、どうやってぼくは生きていけばいいというのか? 
というか、ぼくが先だった場合、この子はどうなってしまうのだろう、なんてことを昼寝しながら考えてしまった父ちゃんの孤独・・・。
ともかく、三四郎が来てから、ぼくはある意味、幸福にはなったけれど、同時に、もの凄く疲れてしまったのも事実なのであった。



しかし、この子も戦っているのだ。ぼくがへこたれるわけにはいかない。
子育てで掴んだ「手抜き術」を大活用して、ここは乗り切っていかねば・・・。
今日、夕方、散歩に出たら、下の階の、ほら、ぼくに「ちょっとギターがうるさいですよ」と注意しに来たムッシュ眼鏡さんのところのワンちゃん、オラジオが、娘のフィリピンちゃんに連れられて散歩をしていた。
聡明なフィリピンちゃんがぼくらを見つけ、通りの反対側から、
「ムッシュ~」
と声を張り上げた。
彼女は大学生だ。ぼくがこの町に越してきた時はまだ高校二年生だった。光陰矢の如しである。
「わぁ、トロミニヨーーン(めっちゃ可愛い)」
とフィリピンちゃんが目をくりくりさせながら、言った。
三四郎はオラジオと30センチくらいのところで対峙している。
昨日のミニチュアダックスフンドの女の子には紳士的だったくせに、いきなり、自分の倍はあろうかというオラジオに噛みつこうとした。
予期せぬ事態に、びっくりぽん。
まだ、生後四か月なのに、三四郎、君はなんて勇ましいんだ!
慌てて、リードを引っ張った父ちゃん。ミニチュアダックスフンドも一応、狩猟犬なので、結構、やるものだ・・・。
「わ、元気な子ですね」
「いや、普段はおとなしいんだけど。なんか、パリに慣れてないからか、殺気立っているねぇ」
「しょうがないですよ。だって、赤ちゃんですもの。オラジオも最初は大変でした。ムッシュ、頑張ってください。何かあれば、言ってくださいね」

滞仏日記「子犬に振り回されくたくた父ちゃん。ちょっと休みたいよ、助けてくれ~」



オラジオと別れた後、教会の前を散歩していたら、ブルドックを連れている紳士が近づいてきて、ハロー、と英語で呼び止められた。
筋骨隆々の人で、同じように犬もマッチョだった。
「可愛いね。ミニチュアダックスフンドの赤ちゃんだね」
ブルドッグちゃんが三四郎に近づいてきた。
「大丈夫だよ、怖がらなくても、この子はもの凄く優しいんだから」
とマッチョなおじさんが笑みを浮かべながら、どこか自慢げに、言った。
すると、くんくん、やりだしたブルドックに向かって、三四郎がいきなり噛みつこうとしたのである。
えええ、とまたしても慌ててリードを引っ張った父ちゃん。
「ごめんさい。この子、まだ都会に慣れてないんです」
ぼくがムッシュに謝ると、ムッシュはじっと三四郎を見下ろし、それからちょっと呆れたという顔をして、
「シモン、もういいよ。行こう」
と言い残して、去っていった。
まるでぼくの躾けの悪さを侮蔑するような感じだった。ま、仕方がない。
ぼくは三四郎を抱きかかえて、
「みんな友だちになりたいから、近づいてきているのに、いきなり噛みつこうとするのはダメだよ。それじゃあ、誰も心を許してくれないよ」
と教えてあげた。
三四郎の鼻に、噛まれ傷があったことを思い出した。
もしかしたら、何かトラウマがあるのかな、と思った。

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三四郎がやって来てから、というかそのちょっと前から、インスタに料理の写真をアップできずにいる。
気の利いたものを作る精神的余裕がないのだ。
なので、デリバリーで済ませることが多くなった。
もうしばらく、リズムが掴めるまでは、なんとか頑張るしかない。
三四郎を腕の中であやしている時、ぼくはうちの息子が赤ん坊だった頃のことを思い出す。ぼくの一生はこうやって、過ぎていく。
それは、どんな一生なんだろうな、と三四郎を見ながら、思うのだった。

つづく。

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