JINSEI STORIES

第六感日記「巨大なオーブ現る。眠れぬ夜に闇の中の赤いキツネの目」 Posted on 2022/05/07 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、去年の暮れに急逝した秘書の菅間さんが夢の中に現れ、そこは地上階へと向かうエスカレーターの中だったが、何か言わないとならないことがあったことを思い出して、ぼくが言葉を探していると、菅間さんの横にいた女性が(名前が思い出せない)、
「あれ、菅間さん、あなたはもう亡くなっているじゃないですか?」
と言ったのだ。次の瞬間、何かを語りかけようと思って気を緩めていたぼくの背筋にざわざわともの凄い霊気が駆け抜けたのである。
すると、不意にエスカレーターが止まって、どこか知らない場所で扉が開こうとしたので、
「ほんとうだ、菅間さん、もう死んでいるんですよ」
とぼくが言葉にしたところで目が覚めた。
夜中の3時を回った時間であった。
静まりかえった寝室の中心で、現実と夢のはざまのような場所から、自分の意識が戻って来るのを暫く待たなければならないほどの不思議な非現実感であった。
菅間さんは何をぼくに言いに来たのだろう、と思った。でも、微笑んでいた。ぼくのよく知る、いつもの、穏やかな顔であった。
我に戻るまで数十分、ベッドの中で時間が必要だったが、眠れなくなり、携帯を掴んだ。昨夜、三四郎の部屋のオーブの状態を観察しながら寝てしまったようだった。
オーブが三四郎の部屋を飛び交う瞬間を撮影するのは相当な集中力が必要なのである。動かない画面を見ているうちに眠くなり、いつのまにか、寝落ちしたようだった。
電源をいれ、再び監視カメラのボタンをクリックした。
すると、次の瞬間、これまでで一番大きなオーブがぼくの目の前に出現したのである。

第六感日記「巨大なオーブ現る。眠れぬ夜に闇の中の赤いキツネの目」



携帯の画面の三分の一ほどの大きさもあるオーブで、これまでの観測では一度も目撃したことのないものであった。
もしも、それを肉眼で見たとしたら、肘掛け椅子の上に、畳一枚程度の大きさの球体が出現したことになる。
ぼくはびっくりし、再び動けなくなった。
菅間さんの夢を見た直後のオーブだったので、何か関連があるのか、と思い、ぼくは起き上がり、三四郎の部屋を覗きに行った。
三四郎はドアのたもとの自分のマットの上で寝ていた。
監視カメラは食堂との間の壁に置かれている古い中国の円形の棚の中央に設置してある。
日本で収集した年代物の器などを飾っている。明治天皇の晩さん会の引き出物として配られた文鎮の横にカメラがあった。その赤外線ライトが赤く光っていた。小さな赤い点が、監視カメラの位置をぼくに教えた。
暗くてよく見えなかったけれど、灯りをつけると三四郎を起こしてしまうので、そのまま静かに柵の中に入り、ぼくは監視カメラの前へと向かった。足元が見えない。用心をしながら、ゆっくりと進んだ。
肘掛け椅子のちょうど中心より少し上にその巨大な球体が出現した恰好になる。やはり、捉えたサイズ感からするとかなり大きなオーブだったのじゃないか。
息を潜めて、目を凝らしていると、椅子の上に三四郎が飛び乗った。三四郎の目が赤く光っている。犬というよりもキツネのような目の赤さであった。
ぼくはしばらくじっと三四郎を見つめた。
普段なら、近づいてくるはずなのに、肘掛け椅子の上から動こうとしない。
三四郎なのだけど、ちょっと何かが違う。寝ぼけているのかもしれないし、こんな時間に現れた主人に、どうしていいのかわからず、距離が測れないまま、そこからこっちを見ているのかもしれない。
ぼくは意識をすまし、目を凝らした。
肉眼で、オーブを、見てやりたかった。

第六感日記「巨大なオーブ現る。眠れぬ夜に闇の中の赤いキツネの目」



右手に息子の部屋がある。さすがに夜中の3時過ぎなので、灯りは消えている。
物音ひとつしない静寂がぼくと三四郎を包み込んでいた。まだ眠りの中にいるような不思議な感覚の中にあった。これも夢の続きじゃないのか、と思うような朦朧とした感覚。
ぼくは三四郎の部屋に置かれている古い椅子や、家具の周辺、あるいは天井や、白い壁の隅々を凝視したのである。
何かがいる、というのがもの凄く伝わって来る。けれども、目視はできない。
気配だけが飛び交っているのだけど、見えないことの不思議な感覚の中にぼくはいた。
三四郎は動く気配がない。灯りが点いてないので三四郎がどういう態勢でそこにいるのか、いまひとつ、よく分からなかった。
黒い塊が肘掛け椅子のマットの中心にあった。どうやら蹲ったようである。
暗闇に紛れていて、よくわからない。
築120年も経つ、古びた建築物の、灯りの消えた空間は、どこか宇宙空間に投げ出されたような錯覚をぼくに連れてきた。
足元が安定しない。視界が沈み込んでおり、よく見えないせいもあるのだろう。
その時、ギィ、と床の軋む音が家の玄関扉の辺りから聞こえた。ぼくはびっくりして、息を飲み込んだ。

第六感日記「巨大なオーブ現る。眠れぬ夜に闇の中の赤いキツネの目」



三四郎の部屋はもともと我が家の玄関ホールで、十二畳ほどの何もない伽藍とした空間なのだ。
見開きの扉が階段ホールと繋がっている。たしかに、音はその方向から聞こえてきた。
今、ぼくが三田文学で書いている「動かぬ時の扉」と似たような展開になって、そこへ向かって歩きながら、ぼくはドキドキしてしまった。
その扉の向こう側に誰かがいるような気がしたのである。
耳を澄まし、生唾を飲み込んで、様子をうかがった。
しかし、ドアノブを掴んで、それを開けようとしたその次の瞬間、うううう、と激しく三四郎が唸りだしたのである。
まるで警戒する侵入者に対してとるような唸り声から、最後はいきなり静寂を切り裂くような犬吠となった。
ぼくは驚き、でも、なぜか、その向こう側にいる存在が逃げ出すのではないか、と驚いてしまい、そうだ、なぜか、慌てて扉を押し開けたのである。
120年前に作られたままの古い螺旋の階段に、天窓から薄い光が降り注いでいた。
それは月光による光の屈折だったかもしれない。
ぼくの視線の先、上階へと昇る階段の途中に、丸い光の消えかかった残存が見えたのである。その直後、センサーのせいで、階段の電球がともった。

つづく。

第六感日記「巨大なオーブ現る。眠れぬ夜に闇の中の赤いキツネの目」



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