JINSEI STORIES

滞仏日記「海を目指して突進する三四郎。ナタリーが失った夫との想い出を語る」 Posted on 2022/05/27 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、マガジンハウスさんから出る予定の新刊「パリの空の下で、息子とぼくの3000日」の表紙案が届いた。
ぼくが描いた自分と息子の絵に装丁家の鈴木成一さんが色を付けてくださった。
めっちゃ、可愛い。ちなみに、ギターを持っている方が父ちゃんで、笑、髭を蓄えている方が息子だ。

滞仏日記「海を目指して突進する三四郎。ナタリーが失った夫との想い出を語る」

※ こっちが父ちゃん、えへへ、デフォルメデフォルメこんにゃろメ。

滞仏日記「海を目指して突進する三四郎。ナタリーが失った夫との想い出を語る」

※ こっちが大人になった息子くん。デフォルメデフォルメ、メ、メ、・・・・



カフェのテラス席で携帯を覗き込んで、いいなァ、実にいい、と一人悦に浸っていると、足元で、バキ、とか、ボキ、と凄い音がした。
はて、なんだろう、と思って足元の三四郎を覗き込むと、ぎゃああああ、何食べてるんだよ、おさんちゃーん!!!
三四郎が椅子を食べていた。慌てて、とめさせたが、ギャルソンさんが通りかかり、ありゃりゃあ~、と大きな声を張り上げたので、周囲の人がこっちを振り返った。
「すいません。弁償します」
三四郎を抱きかかえ、一緒に頭を下げさせた。
「いや、いいよ。オーナーには黙っときます」
「そんなわけにもいきませんから」
「大丈夫、犬だもの。あとで直しておきますよ」
あはは、犬だもの、で許して貰えた。
気が変わらないうちに、退散した方がよさそうだ。
多めのチップを置いて、そそくさと席を立った父ちゃんであった。

滞仏日記「海を目指して突進する三四郎。ナタリーが失った夫との想い出を語る」



三四郎の噛み癖、本当に困る。
食べ物は十分与えているのに、ちょっと目を離すとあらゆるものを噛み千切る。
家のものはほとんどが傷らだけなのだ。
電源コードも噛み千切ろうとするので、目が離せない。死んじゃうよ、と注意しても犬にはわからない。あはは、犬だもの・・・。
三四郎はカフェを飛び出すと、勝手知ったる海への道を一直線に脇目も振らず歩き出した。そして、遠くに海原が見えはじめると、落ち着かなくなった。犬だもの。
海の入り口で顔なじみのナタリーおばあちゃんとばったり・・・。
「あら、この子、いつもの子よね」
「ええ、そうですよ。サンシローです」
「そうそう、日本の名前。かわいいわね、相変わらず」
おばあちゃんは薄着である。泳ぐのかな?
「海に入るんですか?」
「ええ、こう見えても昔は水泳の選手だったの。でも、もう90だからさ、泳ぐのは主治医に止められている。でも、水浴びをしたいから、夏だし」
「そうですね。足を濡らす程度ならいいでしょう」
「内緒の話だけど、いいかしら」
「どうぞ、内緒話、ぼくは好きです」
「海で夫が待っているのよ。だから、毎日、この時間に、海に足をつけるの」
「ほー。(待ってる?)」
「だから、内緒よ。ジャックの骨をここに埋葬したの。やっちゃいけないけど、遺言だから、仕方がなかった」
ぼくは驚いた。どう返事をしていいのかわからなかった。
三四郎が、ナタリーの足を舐めている。でも、気づかない。
もう、足の感覚が麻痺しているのかもしれない。やめれ、とも言えないので、噛まない限り、ほっとくことにした。犬だもの。

滞仏日記「海を目指して突進する三四郎。ナタリーが失った夫との想い出を語る」



「ジャックは船乗りだった。大きな輸送船の船長だった。退職して、ほら、そこの、あの大きな館に小さな部屋を買って、二人で暮らしてたんだけど、数年前に、死んじゃったのよ。あなたは知らないかもしれないけど、フランスは火葬した骨をそこから持ち出したらダメなの。でも、ジャックの遺言だったから、一部を手のひらに隠して、火葬場から出た」
「ほー」
ほーしか言えなかった。
「海に撒いたら罪になるかな、と思って、ポケットに忍ばせて、海の中に入っていたら、いつの間にかポケットが空になっていた。空になったのを知ったのは二年くらい前のこと」
「はー」
「だから、自然に出て行った感じ。この海に」
「へー」
「ジャックは海の男だからね、地面の下とかに埋葬されるのが嫌だった。私もそう思った。彼は自由人だったから。ただ、この話には大きな問題が横たわってるんだわ」
「なんですか?」
「私もいつか、ジャックと同じ海に眠りたい。でも、私の火葬された骨の粉を同じように撒いてくれる家族がいないのよ」
「あー」
「以上、どう思った?」
「いい話だと思います。実は、ぼくもお墓はいらないと息子に言い続けているので、いつか、死んだら、骨を海に撒いてもらうつもりです」
「フランスでは難しいわ」
「ええ、分かっています。でも、認められている海も世界中にはあります。そういうことを職業にしている人もいるんですよ」
「本当? じゃあ、私が死んだら、その人たちが代行してくれるかしら」
「たぶん」
「でも、海が違うんじゃ、ジャックに会えないわね」
「いいえ、マダム、朗報があります」
「なに?」
「海は世界中で繋がってる」
「まー、あんた詩人ね」
「作家です」
ぼくらは笑いあった。三四郎が老女の靴を噛んでいた。やばい、でも、もう、遅い・・・。
「すいません。こいつが、あなたの靴を噛んじゃいました」
「平気よ。こんな靴でよければこの子にあげるわ」
そういうと、ナタリーは靴を脱いで、そのまま海へと歩き始めた。ぼくと三四郎は静かに見送ったのだった。
ナタリーはそのまま、波打ち際の向こうへと歩いて行った。

滞仏日記「海を目指して突進する三四郎。ナタリーが失った夫との想い出を語る」



ぼくはそこに座り込んで、しばらく輝く海を縁取るナタリーのシルエットを見ていた。
三四郎は、ええと、ナタリーのお言葉に甘えて、それを噛み続けていた。
「ええかげんにせーよ」
一応、小さな声で、叱っておいた。三四郎がぼくを一瞬見上げた。
やれやれ。人間ってなんだろう・・・。人間だもの。

つづく。

ということで今日も読んでくれてありがとう。
辻󠄀仁成 アコースティック セレナーデ フロム パリ
Jinsei Tsuji Acoustic Serenade From Paris
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