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退屈日記「なんか、息子が傍を離れず、ずっと喜んでいるので、嬉しかった父ちゃん」 Posted on 2022/06/06 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、三四郎をジュリアの家に迎えに行き、久しぶりに家族三人が勢ぞろいした夜、ぼくは息子と長話をした。
忙しくて料理を作る暇がなかったので、中華の持ち帰り弁当を二人でつつくことになった。
不意に息子が口火を切った。
口元が緩んでいて、彼が上機嫌であることが伝わって来る。
受験校が決まらなくて喧嘩した時の顔を思い出すと、ホっとする。
どうやら息子は、3つ合格をした大学のうち、ぼくが一番行ってほしかった大学を選んだようだ。
と同時に、他の2校は権利を放棄することになった。
「そうか、よかったな」
「いろいろ調べたんだけど、すごくいい大学だった。立派な校舎だし、ぼくの担任の先生が言っていたけど、その分野では世界的に有名な学校なんだって。日本のことを研究しているアソシエーションなんかもあった」
嬉しそうだ。そこの大学を出ると、どういう職業につけるのか、初任給はどのくらいか、とか、聞いたら、いろいろと調べたようで、即答だった。
「将来、そういう仕事につけるんだ、すごいね」
「うん、ぼくにはあってる。それに、この仕事は日本のために役立つことにもなる。だから、日本とフランスをぼくが繋ぎたい」
何だか知らないけど、夢ばかりが膨れ上がっていた、そして、こう言ったのだ。
「ぼくはかなり今、安心しているんだ」
「ホー」
それはよかった。世界がこんなに悲惨な時代なのに、そこまで言い切れるこの青年は幸せかもしれない。
ぼくのような変な父親に育てられたけれど、それはそれで、良かったのかな。笑。

退屈日記「なんか、息子が傍を離れず、ずっと喜んでいるので、嬉しかった父ちゃん」



「トマとか、君のクラスメイトたちは、どうだったの?」
「まだ、誰も合格通知が出てない。みんな、補欠だけど」
「マジか」
「うん、結構、厳しいみたい。トマはぎりぎりの補欠だから、どこか入れると思う」
「君は、運がいいな」
「あの、実力ですよ」
ぼくはふき出してしまった。
「補欠の大学が合格になったら、どうするの?」
「迷うよね。無理だとは思うけど、ぜんぜん、受かった大学と補欠の大学は方向性が違うんだ。でも、行く場所があるんだから、今は素直に喜んでいたい、やっぱり、ぼくは安堵している」
「その先のことは、その時にまた、話し合おうか」
「うん」
「とりあえず、大学生になったら、アパルトマンを借りないとね」
「予算ないでしょ? だったら屋根裏部屋だよね」
「大学の近くがいいね。学生食堂は安いし、勉強に集中できる環境がいいよ」
「楽しみなんだ、大学生が」
「そりゃあ、そうだ。すごいな、大学生か、あんなにチビだったのに」
「なんか信じられないね」
「やったな」
「うん」
喜びが堂々巡りしている辻家なのであった。
息子がこんなに幸せそうにして喜んでいるのが不思議でならない。
珍しく席を立とうとしない息子。その喜びをぼくに必死で伝えようとしていることも親としてまた嬉しい。
ぼくは足元の三四郎を抱きかかえた。
十斗が三四郎に手を伸ばした。渡すと、笑顔で、抱きしめていた。



それにしても信じられないのは、あの小さかった息子が、大学生になるということ。
幼稚園の送り迎えをし、小学校でフランスの社会で揉まれ、中学校で恋をし、高校で人生を見極め、そうやって、少しずつ少しずつ大きくなって、ついに大学生である。
この日記の読者の皆さんは、その道のりをずっと黙読されてきたのだ。有難いことに、何年もずっと・・・。
そういえば、忘れられない光景がある。
息子が大通りの反対側を、リュック背負って歩いている姿を、目撃したことがあるのだ。中学生、高校生の下校時だった、と思う。何度か、目撃した。
教科書の詰まった重たいリュックを担いで、とぼとぼと帰る息子くん。
切ない光景でもあった。なぜか、すまない、とぼくは思っていた。
ぼくにとっては異国で、彼にとっては祖国のようなフランスの道を歩く日本の少年だった。胸がきゅんとなった。「歩む」ということはこういうことなのだ。一歩一歩、着実に歩んでいるその姿はぼくにとっても大きな励みの一歩であった。
パパもがんばらなきゃ、と思った。
まだまだ、これから先の長い人生なのだけど、とりあえずの、大きな節目を乗り越えることが出来たのじゃないか、と実は、ぼくが今、一番、安堵しているのかもしれない。
大学に入ったら、また、新しい人生の難題が待ち受けていることだろう。
でも、もう大丈夫じゃないか。彼は間違いなく、巣立っていく。
おめでとう、十斗。

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
うーん、一時間くらい話し込んだ辻親子でした。
いつまでも浮かれていられないけれど、日記でずっと書いてきた日々なので、こういう着地になって、マジで、良かったと思います。皆さんを悲しくさせることもなかったし、こういう父子ですが、これからもどうぞ、よろしく、そして、ありがとうね・・・。
さて、お知らせです。
6月13日、父ちゃんの日本公演のチケットの発売日になります。
8月8日、大阪ビルボード、12日は横浜ビルボード!!!!!!!
NHK・BSの新作「ボンジュール、辻仁成の春ごはん」の本放送は6月17日に迫ってきました。
それから、6月30日はマガジンハウス社から、いよいよ「パリの空の下で、息子とぼくの3000日」が発売に。
で、
6月26日に、地球カレッジ、前期エッセイ教室の最終回、総まとめ編です。
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