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滞仏日記「眠れない夜に、ぼくの前にマリア様が立った」 Posted on 2022/09/26 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、例によって、眠れないので、食堂のテーブルにパソコンを持ってきて、今、これを書いているのだ。
横になると、咳き込むのだけど、明らかに「気管支」がやられているのが分かる。
喉じゃなく、気管支(気道の下の部分)に痰が絡んでいるような不快さがある。
ネットで「気管支炎」を調べたら、大きな原因の一つにハウスダスト、ペットの毛、化学物質というのがあった。
ハウスダストは引っ越し中だから当然最大級だろうし、ペットはべったり横に張り付いているから間違いなく最大級かなぁ。笑。
そして、近藤先生が言っていたパリ市の大気汚染も十分に考えられる。田舎にいた時には、ならなかった。(三四郎の毛は、大きな要因じゃないような気がする)
パリに戻って、少しずつ片付けを始めた頃から咳が出始めたので、ハウスダストはどんぴしゃかもしれない。
大気汚染も今、パリ市の情報によると、かなりひどい。部屋のダイソン空気清浄機君、「かなり汚れている」と赤い警告を出している。
三四郎の毛がここに加わった、に違いない。
とにかく、気管支炎が肺炎にならないように、どうするべきか、を学習した。
新しい薬に変えて一日目だけど、まだ成果が出ていないので、週明け、ダメな場合は先生に相談をし、大学病院などを紹介していただき、精密検査をすることも考えている。
引っ越しはあと、少しなので、マスクをしてやるしかないか。
となると、三四郎は引っ越しが落ち着くまでジュリアかマントさんに数日預かってもらった方がいいかもしれない。マスクは手放せない。
とりあえず、ジュリアに状況を説明し、引っ越しが終わり、落ち着くまで一週間程度、預かって貰えるだろうか、とメールを認めた。

滞仏日記「眠れない夜に、ぼくの前にマリア様が立った」



深夜、二時半、横になれないので、仕方なく、FFP2マスクを着けて、ちょっとだけ片付けをしていたら、古い段鞄の底から、小箱を発見した。
開けて、びっくり。マリア様であった。こんな、場所に、こんな時間に・・・。
ぼくはそれを掴んで、棚の中段においた。
そして、信仰はないのだけど、手を合わせてみた。このタイミングで、いきなり、出てきたので、目が覚めた。
というのも、このマリアは、十数来、行方不明だったのだ。
そして、正確にはマリアではない。
ぼくは2005年か、2006年頃、十斗が生まれてすぐ、仕事で北アフリカのモロッコを訪れていた。
ここからアルジェリアとの国境周辺にあるサハラ砂漠へと入る計画があった。
サハラ砂漠でラクダに乗って、冒険家たちと、アルジェリアへと渡ろうと計画していたのである。
その砂漠の入り口に、ベルベル人の集落があった。
ガイドが、寄りませんか、と流暢な日本語で言った。
ベルベル人のことを知ったのはそれがはじめてだった。
北アフリカに古くから住み着く先住民で、イスラム教を信仰しているが、アラブ人とは異なり、ベルベル諸語をつかい、独自の文化圏を形成している。
目の澄んだ不思議な人たちなのだ。とにかく、やたら、男も女も半端ない透明感・・・。
その集落は土で出来た小さな家が集まって小高い丘を占拠している。
迷路のような道が縦横無尽に入り乱れ、ガイドさんがいなければ、迷子になっているような、そういう世界だった。
彼らはイスラム教を信仰している。

滞仏日記「眠れない夜に、ぼくの前にマリア様が立った」



迷路を歩いていると、彫刻家を名乗る男の小さな店にたどり着いた。
普段、そういう場所で何かを買うことなどないが、このマリアのような土の人形に目が留まったのである。
ベルベル人はイスラム教徒なので、マリアであるはずがないのだけど、なぜか、ぼくには「マリア様」に見えた。
ベルベル語が分からなかったので詳しいことは聞けなかった。
もしかすると、イスラムの神話の人物だったのかもしれない。ほしい、と英語で言ったら、青年がきれいな目で、(いや、もしかすると記憶違いかもしれないが、目が青かったような気もする)
「誰にでも売らない」
と英語で返したのだ。
「じゃあ、どうやったら売ってくれるの?」
「あなたが何か一つ、いいことをすると約束してくれたら、売ります」
「ああ、一つなら出来るかもしれない」
青年は笑った。
ぼくは、彫刻の後ろにサインをしてもらった。イスマイルという名前であった。
こんなに、弱っている時に、このマリア様の出現はぼくを喜ばせた。
勝手にマリアと決めつけて申し訳なかったが、ぼくには最初からそう見えていたので、有難く、そう思わせてもらっている。
十数年ぶりにぼくの前に出現したベルベルのマリア様。
これからはあなたを大切にします、とぼくは約束をし、手を合わせるのだった。

滞仏日記「眠れない夜に、ぼくの前にマリア様が立った」



つづく。

今日も読んでくれて、ありがとうございます。
このマリア様をじっと見つめていたら、不思議なことに、咳が止まりました。あんなに苦しかったのに、・・・。これからは、大切にしますね。
さて、そんな父ちゃんからのお知らせです。
早くも「夏ごはん」の再放送も決まりました。本放送をお見逃しになった皆さまもいらっしゃると思いますので、どうぞ、ご覧ください。
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●「ボンジュール!辻仁成のパリごはん 2022 夏」(59分)
【再放送日時】2022/9/27 (火)23:00~23:59<BSPのみ>
       2022/9/27 (火)17:00~17:59<4Kのみ>
そして、そして、10月31日にオンライン講演会「プロの編集者から学ぶ。物書きを目指す方々への最強アドバイス」を開催いたします。そうなんです。父ちゃん、映画が完成をするので、10月の後半からまたまた日本出張になります。気管支炎、治さないと。
今回は、辻仁成のエッセイ集「息子とぼくの3000日」や、小説「孤独にさようなら」を担当した現役担当編集者2名を招いて、編集者サイドから考える、作家のあり方、物書きになるための道、新しい書き手へ向けての編集者側からのアドバイスなどを、オンライン講演会形式でお送りいたします。父ちゃんが物書きへの道を語りつつ、その都度、お二人にご意見を聞いて、より、深い講座にさせてみせます。ごほごほ。本当に一つ上の書き手を目指される方々に必要な講座となるでしょう。
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