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滞仏日記「息子とぼくの2ショット写真が古い本の中から出てきた」 Posted on 2022/10/10 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、段ボール箱から本を取り出していたら、古い日記(ぼくが昔書いていたメモ帖のようなもの)が出てきて、めくっていたら、一葉の写真を見つけた。
おっと、思った。
ぼくと幼い十斗が映っている。
彼はいくつだろう。かなり幼いので、3,4歳かもしれない。
なので、15年ほど前の写真である。
場所はパリのセーヌ川にある細長い島、「白鳥の島」のグルネル橋側のところ。
この島はグルネル橋とビル・アケム橋との間に横たわる人工の島で遊歩道となっている。
秋の季節になると色づいた落ち葉がセーヌ川を覆い、実に美しい風景に包囲される。
ジョン・レオンみたいに髭をたくわえたぼくが小さな息子の顔の高さにしゃがんで、何かを耳打ちしているようにも見えるし、いや、何をしているのだろう?
息子が駄々をこねているのでそれを諭しているようにも見えなくはない。



後ろに自由の女神が見える。ニューヨークにある自由の女神の小型のものだ。
これはフランスがアメリカに自由の女神像を贈ったお礼に、パリに住むアメリカ人たちがフランス革命100周年を記念して寄贈したものである。(高さ、約12メートル)
この時、ぼくはきっと幸せだったと思う。息子もだ。
その瞬間の記録がこうやって写真になって残っていたので、思い出すことが出来た。すっかりこの日のことを忘れていたのだけど・・・。
これをさっそく、息子に送ってやった。
コメントは付けず、写真だけを送った。幼い息子の表情が実に切ない。泣きそうだけど、何かを我慢しているようにも見える)
「すごい」
という返事が戻って来た。
それだけ、・・・何が、すごいか、ぼくにはわからない。

忘れられない記憶というものがある。
忘れられない人たちがいる。忘れられない風景というものがある。
人間はこの記憶によって作り上げられるものだと思う。
生まれて生きて、その中で、いろいろなことがあって、あるものが記憶されていき、その記憶でその人の人間性が象られるのじゃないか。
忘れてしまう記憶はもう必要のないものであろう。
どうしても覚えておきたいものではないのだ。
忘れられることは素晴らしいことである。
全部を抱えて人間は生きていけないので、ちょっとずつ時間とともに忘れていくから、また、今を生きられるのだと思う。
ぼくはその一枚の写真を新たな気持ちで部屋に飾った。
この時、この写真を撮影してもらったおかげかどうか知らないけれど、ぼくが息子の傍に居たことがよくわかる。
ぼくは赤ちゃんだった息子を抱っこ紐で身体に括り付けてパリをよく歩いていた。あれから長い年月が過ぎた。
いったい、息子にはどんな記憶が残っているのであろう。彼は一切、語らない。
でも、それぞれに、忘れられない記憶というものがあるように思う。
それは別に捨てないで、大事に持って生きればいいのだ。
さて、あいつ、風邪は治っただろうか?
バイトや学校はどうしているのだろう?
「大丈夫か? 治ったか? なんか必要なら届けようか」
とメッセージをおくってみよう。

滞仏日記「息子とぼくの2ショット写真が古い本の中から出てきた」



今日も読んでくださってありがとうございます。
本が多すぎて、それに、本って捨てられないですよね? とくにぼくは作家だから、その一冊一冊の重みがわかるので、なので、読まない本は仮弟子の長谷川さんにあげることにしました。彼はきっと喜んでくれるでしょうね。その中に昔の写真が紛れていたら、返してくださいね・・・。笑。ぼくはよく写真をしおりに使っていたのです。こうやって、時を超えて記憶を思い出させる道具として・・・。

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