JINSEI STORIES

退屈日記「ぼくの人生にリタイアはない。毎日ごはん、の中に生きるヒントがある」 Posted on 2022/10/29 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、自分を落ち着かせる。これはとっても大事なことである。
ぼくの場合、忙しく何かに向かっている時は確かに充実しているし、そこへ向かってやらないとならないので、つまり、目標がある間は悩まなくていいのだけど、その目標が終わった途端、ロスというか心が空洞になり、不意に不安定になったりするのである。
これは人間にみんな共通する問題じゃないか、と思う。
毎週心待ちにしていたドラマが終わってロスになったり、好きなアイドルグループが解散をして寂しくなったり、打ち込んできたスポーツが出来なくなって道を見失ったり、なんてことは万人に起こってきたこと。
なので、極端な話になるが、リタイアという発想はよくないのだ。
退職してもいいけど、その代わりになる何かがないと、いくらお金があっても目標がなくなったら、人間はやっぱり不安定になる。
毎日、遊んで暮らしていいよ、と言われても、これは逆になかなか難しい。
気力がおきない。どんなものでもいいので打ち込めること、人生を傾けられるもの、のめりこめる何かが人間には必要なのである。
なので、ぼくには引退とか、リタイアとか、そういうものは存在しない。何もやらなくなる時は死ぬ時だけ。

退屈日記「ぼくの人生にリタイアはない。毎日ごはん、の中に生きるヒントがある」



とはいえ、常に全身全霊で打ち込めるものなどはない。
だからぼくは料理をするのであーる。ある人にとってそれはスポーツでもいいし、マラソンでもいいし、バンドでもいい、カメラでも、絵を描くということでもいいだろう。
昨日はキッチンでニンニクの皮をむいたり、肉を静かに煮込んだり、スープを作ったりした。そこに小さな目標を作り、そこへ向かって進むだけで、心というものは安定をする。
朝、起きたら煮込んでいる肉の状況を見にいき、再び火をつけ、味見をし、スパイスを加えたり、水を足したりして、美味しい、をひたすら目指す。
この、目指すことが大事で、そこに心の安寧が宿るのだ。
昨日は久しぶりの料理だったので、これから数日、ぼくが美味しいものを食べるための基礎作りみたいな一日となった。
出しをとり、ソースを作り、料理のベースが出来上がった。
こういうことが出来るまでに相当な時間と研究と忍耐がつぎ込まれてはいるのだけど、それと引き換えに、ぼくは心の安定を手に入れることが出来ている。
料理が美味しく出来た瞬間の納得というものは代えがたい。達成感がある。
失敗をしても、よし次はもうちょっと工夫してやるか、という気持ちが芽生えるので、どっちに転んでも悪くはない。
そして、料理には終わりはない。
死ぬまで作り続けることが出来るし、美味しいものであれば食べてくれる人も出現するし、そういう方々から、美味しい~、と言って貰えるのは創る者の冥利に尽きる。

退屈日記「ぼくの人生にリタイアはない。毎日ごはん、の中に生きるヒントがある」



ぼくにはそもそもリタイアがない。
再来年から年金がもらえるようだけど、どちらにしてもぼくは仕事を続けるので、税金も払っていく。
きっとお金にならないことでも、お金になっても、日々の中に達成感がある方がいいに決まっている。
ぼくには定年退職というものがない。作家によっては「筆を折る」(文筆活動をやめるという意味)というようなことを口走る人がたまにいる。
そういうものを宣言することはぼくにはない。書けない時は書かないだけで、書きたくなったら書くだけのことだ。いちいち、ちらつかせることじゃない。
料理をしたくなったらするのと一緒である。むしろぼくは筆を折るつもりなんか一グラムもない。引退する気なんかきっとない。
引退したら鬱になりそうだから、何かはやっている。料理は間違いなく続けている。
「毎日ごはん」は素晴らしい。何を食べようか、で悩むことは嬉しい。
どう作ってやろうか、と悩むことはもっと嬉しい。誰かを招くぞと意気込んでいる時はワクワクしている。
仕事もこれと一緒なのだ。本が売れない、CDが売れない時代だと言われているけれど、売れなくても書けばいいじゃん。そこでやめちゃう人がけっこういるけれど、そういう人は書くことや音楽をビジネスにしていた人たちなのだろうと思う。
他の仕事をしながらでも、続けられることだからだ。どっちでもいい。
とにかく、リタイアからの新しい自分探しというのが人間には大事なのである。リタイアから始まる第二の人生にかける、これは実に愉快なことじゃないか。
もしも、小説や音楽で生きていけなくなったら、ぼくはついにパリの郊外に、十坪程度の小さな持ち帰り専門の和食屋を経営することになるだろう。いいなぁ。
あはは。
「合言葉は熱血」

退屈日記「ぼくの人生にリタイアはない。毎日ごはん、の中に生きるヒントがある」



つづく。

今日も読んでくれてありがとう。
忙しい時は時短料理がありがたいですが、ぼくのように安定を求める人は料理にこそ、時間をかけてください。コツコツ、コトコト一昼夜煮込んだ煮込みはやはり最高に美味しかったりします。美味しくなーれ、美味しくなーれの魔法なのです。

退屈日記「ぼくの人生にリタイアはない。毎日ごはん、の中に生きるヒントがある」

※ これらの料理写真はすべて2020年春の過酷なロックダウンの最中のものです。料理があったので、家から出られなくても、心の安寧を得ることが出来た、料理は最高ですね。楽しいですよ。ぜひ!!!



自分流×帝京大学