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滞仏日記「息子が19歳になった夜、ぼくはとっても幸福だった」 Posted on 2023/01/15 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、とっても幸せな夜だった。
いったい、どのような言葉で、それを皆さんに伝えることが出来るだろう。
思い出しながら書いているけれど、それはいろいろな長い歴史の積み重ねの結果の幸福であり、カタチのある幸福ではなく、じわじわっと押し寄せてきた、ある瞬間に、ああ、嬉しい、と気づかされた幸福でもあった。
とくに、誕生日会が終わり、三四郎の散歩に行かなければならないので、十斗も自分のアパルトマンに帰ることになり、遊びに来ていたマノンも一緒に出ることになって、三人で、外に出た時の、建物のエントランスホールで、何気なく、ぼくが息子の肩をポンと叩いて、それにしてもおめでとう、と言った時に、不意にぼくの心の中で炸裂したのだ、幸福というものが・・・。
駅へと歩いていく息子、反対側へ歩いて帰ったマノン、そこに残った三四郎とぼく。
「なんてぼくは幸福なんだろう」
こう思ったのである。
「こんなことが待ち受けていたのか、ほんとうに、この人生は素晴らしい」
ぼくは天に向かって感謝をしていたのである。

滞仏日記「息子が19歳になった夜、ぼくはとっても幸福だった」

※ 息子はポテサラづくりに凝っているので、まず、これを食べ、これどうやって作るの、と聞いてきた。ジャーマンポテトサラダ。



夕方、息子がやって来た。
だいたい料理を作り終わっていたので、ぼくの仕事部屋のソファに座って、少し世間話をした。
昨夜、ウイリアムたち、いつものオタク五人組とクレープ屋で誕生日会をやったことを息子は楽しそうに語りだした。
そこで食べたタンドリーチキン入りのガレットクレープの写真を見せられた。
それから、自分で作ったという親子丼の写真も見せられた。
7日のライブのこと、そこに集まった音楽仲間のこと、はじめての大学での試験のこと、あ、それから、夏に車の免許を取りたい、と言い出した。
2時間くらいこういう話をしたのだ。
そのほとんどが彼の方からの話だった。
19時にマノンが来たので、テーブルにつき、誕生日会が始まった。
息子の饒舌は止まらなかった。
マノンにも親子丼の写真を見せていた。
マノンは無口な子だから、終始笑顔で頷いていた。二人のやりとりは仏語の早口会話なので、ぼくは半分ほどしか理解できなかった。
ニコラが最近、クラスメイトとシャトレーにあるフランスのハンバーガーチェーン店によく行くようになった、なんていう話題とか、そこのハンバーガー屋がいまひとついけてない、だとか、若者に人気の店について、だとか、その店の情報交換だとか、つまり、とるにたらない、たわいもない話なんだけれど、でも、わかりますか? とるにたらないどうでもいい話を、横で聞いている父ちゃんのこの心の安寧・・・。

滞仏日記「息子が19歳になった夜、ぼくはとっても幸福だった」

滞仏日記「息子が19歳になった夜、ぼくはとっても幸福だった」

※、今日は、息子が生まれてはじめて、父ちゃんのシャンパンを飲んだ。呑むか、と訊くと、ちょっと、と返事。驚き、シャンパングラスに注いだ。手が震えた、笑。



目の前に19歳になった息子がいて、よこに不意にある時から辻家に出入りするようになった元ご近所のマノンがいて、足元に三四郎がいて、何かおこぼれを授かろうとぼくをじっと見上げていて、(みんな不思議な縁で集まった)すると、息子が、
「信じられないなぁ、19年も生きたんだなぁ」
と言ったのだ。驚いた。
実は、本当にその直前、この子を19年も育てたんだ、すごいことだなぁ、と思っていた矢先であった。
マノンが微笑み、十斗が、満面の笑みになった。肯定的な笑みだった。
「すごいね、おめでとう。それは凄いことだな。ぼくが年を取るわけだよ」
「パパ、ありがとう」
感動という陳腐な言葉では言えない。地面から吹きあがって来るような幸せがぼくを包み込んだ。
静かな食卓に座るぼくを包み込んだのだ。

滞仏日記「息子が19歳になった夜、ぼくはとっても幸福だった」

※ ハッピバースデー!!!!! 19歳、おめでとう!!!



買っておいたケーキに蝋燭をたて、映画やドラマのように、バースデイソングを歌いながら運び、それを息子が吹き消す前に、ぼくとマノンは携帯でそれを撮影し、炎が消えた瞬間、マノンが拍手をし、ぼくは得も言われぬ幸福を実感した。
これは、もしかしたら、すごいことが起きているんじゃなか。まさか、ぼくの人生にこういう幸福が待ち受けていただなんて、・・・。
箱詰めにしたZARAのセール品を息子に渡した。マノンが覗く中、十斗が箱をあけた。「わ、コートが欲しかったんだよ。パパ、ちょうど、冬から春にかけて着ることが出来るロングのコート、ああ、これ、素敵だね。色も形も」
と信じられないことを言ったのだ。
そして、カーキ色のコートを着た。似合う。ぴったりだった。
いつもなら、くすくす笑って感想も言わない癖に・・・。
「あ、靴下じゃん。靴下が欲しかった。ちょうど、穴があいてまた足りなくなっていたんだ。靴下、助かるよ」
もう、自分が選んだものが全部肯定される経験は19回の誕生日の中で初めてのことだったから、卒倒しそうになっていた。頑張れ、父ちゃん。
そして、最後に、肩掛けのバッグを掴んだ息子が、それを胸にかけたのである。
「パパ、これ、探していたんだよ。なんで、全部ほしいものがわかったの? めっちゃ嬉しいじゃないか」
「よかったわね、ジュウト」
懸命な読者の皆さん。3500回近く書き続けてきたこの日記をずっと読んでくださってきた皆さん。子育ての奮闘は「かっちー-ん」の連続であったし、心を痛めることの連続で、反抗期、思春期にやられっぱなしの父ちゃんだったじゃないですか? 
今まで、プレゼントを贈って、ここまで喜んでもらえたことがあったでしょうか? 
もちろん、去年のバーバリーのコートは喜んでくれたのだけど、あれは彼が自分でほしい、と前もってリクエストを受けて買ったものだから、・・・。
ぼくは幸せだった。
息子は、19年間を振り返るような喜びと不安と興奮をぼくに言葉で伝えた。
「おめでとうございます」
とマノンが言った。

滞仏日記「息子が19歳になった夜、ぼくはとっても幸福だった」



最後に、彼のリクエストでiPadをネットで買ってあげたのだ。
「授業で使えるから、助かる。毎日、大きなパソコンを持って学校まで行ってるんだ。でも、それで問題はないんだけど、iPadは軽いからじっさい助かる」
そうか、そうか、それはよかったじゃないか。
そういう時間が流れ、22時くらいに三人と一匹は外に出たのだ。みんなバラバラの方角へ分かれて歩いて行った。別れる前、ぼくは息子の肩を叩いた。
「19歳にもなってくれて、ありがとうな。嬉しいよ」
そしたら、息子がこう言ったのである。
「19歳だなんて、ぼくも、よく生きた、信じられないよ」

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
素晴らしい夜でした。今も、思い返しながらこれを書いているけれど、息子よ、君、本当によく育ってくれた。本当にいい子になった。安心したし、とにかく嬉しいんだよ。無事に大学を出て、いい社会人になってくれ。ありがとう。ありがとう。
ふー。
さて、文章教室のお知らせです。
オンラインで、1月29日に、パリの仕事部屋から文章教室、今年の第一回を開催いたします。まだ課題募集をしているから、応募してください。課題提出がなくても、みんなのエッセイをぼくが推敲したり、アドバイスしたりするのを聞くだけで勉強になりますよ。
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滞仏日記「息子が19歳になった夜、ぼくはとっても幸福だった」

5月29日にパリのミュージックホール、オランピア劇場で単独ライブ!!!
5月29日のオランピア劇場ライブの翌日に、JALパックさんが企画をし、ぼくがよく知るレストランで、せっかくだからランチ会をやることになりました。ぼくも顔を出し、トークをやる予定ですので、せっかくパリに来られる皆さま、よろしければ、どうぞ、ご参加ください。JALパックさんに相談をすれば、モンサンミッシェルなどのツアーも・・・。この機会に、ぜひ。
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5月30日 辻仁成 オランピア公演記念 『感謝!Merci!』 トーク&ランチ会 《追加設定》



続いて、父ちゃんのニューアルバム「ジャパニーズソウルマン」はこちらです。無料でも聞けます。ってか、ほとんど無料に近いですので、思う存分楽しんでください。音楽が危機的な状況ですけど、ミュージシャンたちは頑張っています。


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