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滞仏日記「シーナ&ロケッツ、鮎川誠さんの訃報を聞いて、思い出したこと」 Posted on 2023/01/31 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、春が近づきつつある。
パリは少しずつ暖かくなっている。久々、青空が見えた。
ここのところ訃報が続き、いくつもの時代の終わりに驚かされる毎日なのだけれど、今日はあのシーナ&ロケッツの鮎川誠さんが旅立たれてしまった。
青空を見上げながら、鮎川さんのことを思い出していた。
福岡県の久留米の出身で、前進のバンド、サンハウスの頃からぼくは鮎川さんが気になっていた。
はじめてお会いしたのは仙台のロックンロール・オリンピックでのこと。
ECHOESのサポートギタリストだった谷君(元ロッカーズ)が仲介してくれた。(谷は、その後、首都高でバイク事故死、陣内孝則氏が彼のことを映画にした)
とにかく、鮎川さんは、何もかも、かっこいい人だった。
会った時から、「辻」と呼び捨てだったが、日本のロック界にありがちな威圧的な上から目線など、マジ、一切ない人だった。
鮎川誠という人は、常に紳士な人だった。シーナさんも、素敵なレディだった。
ほんと、素晴らしい奇跡の二人であった。

滞仏日記「シーナ&ロケッツ、鮎川誠さんの訃報を聞いて、思い出したこと」



ECHOESが解散してから、ぼくは下北沢を根城にしていた。
鮎川さんたちも下北沢で暮らされていた。もう、ぼくは作家活動もスタートしていた。30代前半の頃のことである。
細かいことはちょっと忘れてしまったけれど、駅前を歩いていたら、大きな家具を運んでいる、やたら目立つ人がいた。
革ジャン着ているし、サングラスかけているし、周辺の人よりも頭ひとつ半でかいし、・・・。誰がどうみても、鮎川さん以外、考えられない雰囲気だった。
あの光景だけは忘れられない。
日中、人の多い駅前の十字路を、めっちゃロックな鮎川誠が、でっかい家具を、せっせと運んでいるのである。
2メートルほどある大きな、たぶん、食器棚だったと思う。
で、よく見ると、シーナさんが横にいた。
記憶があいまいなのだが、もちろん、シーナさんも手伝っていた。
ただ、基本は鮎川さん一人で運んでいた。
いくら鮎川誠でも、あんなにでかい棚を一人で運ぶのは容易じゃない。だから、休み休み、ちょっとずつ、牛歩な感じで、運んでいるのである。
シーナさんが手を伸ばして、鮎川さんを支えようとしていたように、記憶している。
おっと、これはほっとけない、と思って、気が付いたぼくは飛んでいった。
「おー、辻か、なんしよっとか」
あの九州弁丸出しのアクセントで、縦に長い顔が笑顔になり、ぼそっと告げたので、おかしくなった。
なんしよっとですか、って、こっちが聞きたかった。こんなにでかい棚を人通りの多い駅前で運ぶロックな二人・・・、と笑いそうになったが、大先輩なので、
「この辺に、住んどっとです」
と間抜けな返事をし、自分の家の方を指さしたのだ。
へー、という顔をシーナさんがされた。
かっこいい二人だった。
シーナ、素敵だった。

滞仏日記「シーナ&ロケッツ、鮎川誠さんの訃報を聞いて、思い出したこと」



「手伝いましょうか?」
「ありがとう」
ありがとう、がこんなにカッコよく言える人は滅多にいない。手伝いましょうか、と言わないとならないオーラが全身から放出しているのだけど、ちっとも嫌味じゃないのである。ほんもののロックスターってこういう二人のことだな、と思った。とにかく、この人たちのために頑張らなきゃ、と思ってしまった若い頃の父ちゃんなのであーる。
それで、なんと、鮎川さんと棚を一緒に運んだのだ。
坂道を下りながら、福岡のことを少し話した。ぼくの実家が薬院にあった。
残念なことにどういう話しをしたか、もう覚えてない。
というのは、・・・棚がめっちゃ重かったのである。
なんで、あんなでかい棚を運送屋に頼まないで、二人で運ぼうとしたのか、ロック過ぎるやろ、と今思い出しても、不思議でならない。あの目立つ革ジャンの二人が・・・。(当然、人は避けていたけれど・・・)
南口から下る坂道をぼくらは黙々と運んだのである。25年ほど前のことである。
シーナさんが玄関を開けて、ぼくと鮎川さんとで棚を家の中へと運び入れた。
「ここでよか」
玄関入ってすぐの、たしか、壁に立てかけたような気がする。(この辺は、よく覚えてないのだ)
その時、連絡先を交換して、いつか、飯でも食うか、と言われて、はい、と返事し、別れた。こんなぼくでも役立ってよかった、と思いながら鮎川邸を離れたのである。
残念なことに、鮎川さんとはそれっきりになった。
思えば、あれが最後だった。シーナさんが先に亡くなられ、きっと今頃、二人は天国で落ち合っているのだろうな、と想像をする。

滞仏日記「シーナ&ロケッツ、鮎川誠さんの訃報を聞いて、思い出したこと」



鮎川さんのご冥福をお祈りします。

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
報道によると、森厳寺で「ロック葬」が執り行われるそうですね。ぼくはその森厳寺のまん前に住んでいたんです。そこに今もある「打心蕎庵」はぼくが命名した蕎麦屋さんで、その敷地に、20年くらい住んでいました。森厳寺で葬儀が行われるということは、もしかしたら、鮎川さんはずっと下北にいたのかもしれませんね。ロックンロール・オリンピックで歌うシーナの横でギターをかき鳴らした若き日の鮎川誠の姿を思い出します。
さて、父ちゃんも頑張って、一つ一つのライブを全力でやりきりって生きていきたいです。5月29日、パリ音楽の殿堂、オランピア劇場での父ちゃんのライブ、二度と出来ないすげーライブになるはずだから、ぜひ、観に来てください。
直接チケットを劇場で予約する場合はこちらから。FNAC(フナック)でも買えます。

https://www.olympiahall.com/evenements/tsuji/

フランス以外からお越しの、ちょっとチケットとるのが不安な皆さんは、ぜひ、ジャルパック・サイトをご利用ください。こちらです、

https://www.jalpak.fr/optionaltour/tsujiconcert/

そして、新作「辻仁成のパリごはん 2022年秋冬」(59分) 放送時間のお知らせです。
2023/2/17(金)後10:00~10:59【BSプレミアム・4K同時】
2023/2/21(火)後5:00~5:59【BS4K】※再放送
2023/2/21(火)後11:00~11:59【BSプレミアム】※再放送
さらに、
●「ボンジュール!辻仁成のパリごはん2022夏」の再放送が決まりました。
【NHK BSプレミアム】 2月12日(日)12:30〜13:29
(初回放送 2022年9月23日)
お知らせ多すぎますね・・・。メモしておいてねぇ。えへへ。

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