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滞仏日記「やられたぁ~、ウエストポーチの安全神話が揺らいだ」 Posted on 2023/04/12 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくは渡仏してからずっと、ウエストポーチ愛用派なのであーる。
やだ、辻さん、ダサい、と言われるのは重々承知しているが、フランスを舐めてはいけない。
渡仏した直後、五つ星ホテルのピアノが置かれた広いバー・ラウンジのど真ん中の四人掛けのテーブル席で打ち合わせをした。
周囲の席は少し離れており、ゆったりとした席であった。
で、コーディネーターのAさん(在仏歴数十年のベテランさん)が注文などをやってくれたのだが、打ち合わせが始まって、30分くらいした時、
「あら、バックがない」
とAさんが騒ぎはじめた。
この人には、「パリは物騒だから鞄とか貴重品は肌身離さず持っているように」と何度も念を押されていたのである。その人の鞄が盗まれたのだ。
Aさんはぼくの対面に座っていたが、後ろに人はいなかった。
コーヒーをギャルソンが運んできただけで、誰もいない広々としたラウンジであった。泥棒なんか、そもそも入ることが出来ない超高級ラウンジ!
「財布とか家の鍵とか身分証明書とか全部入っているのよ」
大慌てになった。
Aさんはホテルの人を呼び出し、探し回った。すると、ホテルの正面ドアを出たところに中身をすべて抜かれた鞄が捨てられていたのである。
在仏歴数十年のベテランさんでも、やられる恐ろしい世界。
最近は、高級デパートに高級ドレスを着たお金持ち風の泥棒が出現し、お客さんが商品を見ている隙に、何食わぬ顔でバックを盗んでいく、というのが流行中!!! 盗んだ泥棒は普通に盗んだ鞄を肩にかけて、ドアマンに笑顔を振りまいて、しゃなりしゃなりと出ていくので、わからないのだとか・・・。恐ろしい。

滞仏日記「やられたぁ~、ウエストポーチの安全神話が揺らいだ」



ぼくはAさんが被害にあった直後から、肩掛けバックを使うようになった。
肩掛けバックも前に回しておくとまだ安全だが、後ろに回していると、いつの間にか、中のものを盗まれることがある。パリのスリはマジシャンレベル。
絶対に、盗まれない方法があることにぼくは気が付いた。それはウエストポーチだ。
自分の腰の上につけるので、さすがにスリもこれを盗むのは至難の業。
さらに、高等な防衛手段としては、ポーチを前に回しておくと、ぜったいに盗まれることはない。だって、前だもの。前だよ。あそこの上なのだから!!!
在仏歴20年、Aさん被害を目の当たりにした父ちゃんはその後、ウエストポーチ派になった。
そして、この20年、ぼくは一度も被害にあったことがないのであーる。それがパリジャン父ちゃんの自負でもあった。

滞仏日記「やられたぁ~、ウエストポーチの安全神話が揺らいだ」



今日も、いつものように朝の9時、ウエストポーチを腰に回し、三四郎とアパルトマンを出た。
海まで歩いて5分という距離。
坂道を下り、村の中心地を抜け、浜辺で三四郎を走らせ、帰りにいつものように犬カフェに立ち寄った。
朝なので、カフェは混雑しており、ぼくは中央の席に陣取った。
となりにビーグル犬を連れたムッシュが、左側にプードルを連れたマダムが座っていた。マダムは顔見知りなので、ご挨拶をした。犬たちも、集まってきて、テーブルの下で「くんくん」活動をやりはじめた。
20分くらいすると、ビーグルのおじさんが「じゃあね」と言い残して立ち上がり店を出た。それを追いかけるようにプードルのマダムが「良い一日を」と言い残して、出て言った。
入れ替わり、若いカップルと、初老の男性がやって来て座り、今度は、ぼくが帰る番となった。支払いをしようと、腰に手を当てたが、ない。
「え? あれ?」
ウエストポーチだ、盗まれるわけがない。アパルトマンを出る時にぼくはウエストポーチを腰に巻いた記憶がある。
にわかに慌てた。
20年前の、Aさん事件のことを思い出した。
あの時も、鞄はAさんの椅子に(しかも前に)かかっていたが、周囲に人はいなかった。
そういうことがおこる国なのである。
カフェは混雑していた。
でも、さすがにぼくに気づかれないで、ウエストポーチを外すのは不可能じゃないか。
家の鍵はいつもウエストポーチの中に入れてある。ポケットの中に鍵があった。つまり、ポーチから出して、ドアを閉めたことになる。
でも、ないのだ。
いったい、どういうことだ。
犯人は、あのビーグルのおじさんだろうか? それとも、あのプードル・マダム?
ウエストポーチの中には、クレジットカード入れ、財布、免許証、カルトグリーズ(車検証、規則で運転する時、携帯しないとならない)、滞在許可証、現金、が入っていた。
現金は仕方ないし、カードは止めればいいが、免許証、滞在許可証、車検の再発行は死ぬほど厄介なのだ。
車の運転が出来なくなるし、滞在許可証がないと、日本に帰れなくなる!!!

滞仏日記「やられたぁ~、ウエストポーチの安全神話が揺らいだ」



ぼくは血相を変えて、アパルトマンに飛んで帰ることになった。
「ごめんなさい、バックがないんです。明日、払いに来ますから!」
お店のご夫婦は顔なじみなので、もちろんよ、でも、どこで失くしたの、と心配してくださり、一緒にぼくが座っていたベンチシートの上も下も探してくれたのだけど、やっぱり影も形もないのだった。
誰とすれ違ったか、などを思い出しながらアパルトマンへと戻った。主人のいつもと違う雰囲気に愛犬も協力的で、階段は自力で駆け上がってくれた。
ぜったいに、ウエストポーチを腰に巻いて出たのに! と言い聞かせながら、ぼくは勢いよくドアを開けたのだった。すると、
「ああああああ!!!!!」
靴箱の把手にぼくのウエストポーチがかかっているではないか!!! 
それがオチか! 辻め、この野郎!!!!
なんでこんなところに!
そうだ、ドアを閉めようとした時、三四郎が暴れて、ウエストポーチのベルトの中に足を突っ込んで、わんわん、大騒ぎになった。それで、一度、ベルトを外して、これを把手にかけたら、三四郎が落っこちて、鍵も飛んで、つまり出がけにドタバタがあって、アパルトマンから飛び出した三四郎を追いかけて、落ちた鍵を拾って、急いでドアを閉めて、そのまま、散歩にでてしまった、・・・、ううう。
やれやれ、人騒がせな日記である。どう思います? 
え? 想像通りの結末だったって!? 辻め、この野郎!
あはは、他人事だと思って・・・。皆さんもこういう経験何度かあったでしょ? その時、笑えましたか?
でも、ウエストポーチが出てきたことで、安堵したのは、言うまでもありません。
涙が出るほど、ノルマンディの神様に感謝をした父ちゃんなのでありました。えへへ。

滞仏日記「やられたぁ~、ウエストポーチの安全神話が揺らいだ」

滞仏日記「やられたぁ~、ウエストポーチの安全神話が揺らいだ」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
そそっかしいのは生まれつきですけど、パスポートなら日本大使館が優秀だから、数日で再発行してくれるのですが、フランスの警察は申請してから1年とか普通にかかるのです。免許証とか一生ものだから、どうやって再発行をお願いしていいのかさえわからないし、そのことを考えたら目の前が暗くなった父ちゃんなのでありました。
ということで、お騒がせ父ちゃんの「カフェ飯教室、第二回」が4月16日に、「小説教室」が5月7日に開催されますので、ご興味ある皆さん、下の地球カレッジのバナーをクリックしてみてください。

地球カレッジ



5月29日、オランピア劇場、近づいてまいりました。フランス国内、もしくは周辺国にお住まいの皆さん、ぜひ、遊びに来てください。日本からは遠いですから、来ていただきたいですが、時間がせまってきましたから、ご無理はさせられません・・・。無理のない範囲でお願いします。あ、席は絶対売り切れませんので、当日券山ほどあり、ご心配なく・・・。
席のご予約はオランピア劇場のサイトから、どうぞ。

https://www.olympiahall.com/evenements/tsuji/

もしも、日本から行きたいけど、不安という皆さんには、JALパック・パリさんが協力いたしますので、こちらをクリックください。現在、日本から50名くらいの方が来るだろうという予測です。本当に、大変なところありがとう。必ず、いいステージにしますね。約束!!!

5月29日 辻仁成 パリ・オランピア劇場 ライブコンサ-ト!


ついでに、父ちゃんのニューアルバム「ジャパニーズソウルマン」、お好きな音楽プラットホームから選ぶことが出来ますので、聞いてみてくださいね。

https://linkco.re/2beHy0ru

自分流×帝京大学