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滞仏日記「映画「中洲のこども」がついに公開になるのだ。兄弟愛が作った映画なのだ」 Posted on 2023/06/17 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ついに、解禁、になった。
映画「中洲のこども」がいよいよ、劇場公開されることになったのであーる。
この映画は、拙著「真夜中のこども」(河出書房刊)を原作に、2019年に映画「真夜中のこども」としてクランクインしたが、コロナ禍など様々な理由で中止となった。
しかし、2022年に、新たな制作陣によって、「中洲のこども」として、制作を開始、「真夜中のこども」製作委員会から古い2019年のフィルムを一部借りて、二つの時代を繋げることになったのだ。
この日記でも何度も書いてきたが、中止になった時の子役、古賀迅人くんは、3年の歳月のせいで、大きく成長してしまい、彼が主演を続投することが困難になった。
絵が繋がらないのである。あまりに別人に成長していたのだ。残酷な話だった。クランクイン、一週間前に、ぼくが、彼ではインできない、と宣言することになった。苦しい判断だった。あんなに楽しみにしていた少年の夢が不意に閉ざされたのだから・・・。
新たな製作チームは、オーディションをはじめたが、イメージ通りの子はいなかった。
ふと、迅人に弟がいたことを思い出した。古賀蒼大くんに白羽の矢が立った。
実際は、3年前の迅人よりも、一歳小さい年齢だったが、撮影を工夫し、2019年の迅人と2022年の蒼大を繋げるべく、かつて経験したことのない、外科手術のような撮影が行われることになったのである。

滞仏日記「映画「中洲のこども」がついに公開になるのだ。兄弟愛が作った映画なのだ」



ここには、書けない、無数の難題の嵐がぼくら撮影隊にはふりかかった。
ぼくは精神の維持に相当な執念と忍耐をもたなくてはならなかった。
新しい製作・撮影チームは若い福岡の人たちで、もともとの撮影チームより経験不足だったが、その分、若さとガッツがあった。
先輩たちが撮影した映像を無駄にせず、若い人たちが文句も言わず、経験を上回るエネルギーで、時空を繋いでいく姿には幾度と感動を覚えさせられた。
ぼくは最初の作品「真夜中のこども」が中止になった時、もう、二度と映画監督はできない、と思った。
悔しいが、この映画とともに、沈もう、と思っていた。
正直、疲れたのだ。
人間関係や、あらゆることに、疲れ切って、ノイローゼになりかけていた。
でも、そんなぼくを再び立ち上がらせたのは、主演の古賀兄弟の兄弟愛だった。
迅人が現在のプロデューサー、相川満寿美氏に、「ぼくのせいであの映画はなくなったの?」と泣きながら訴えた。
相川は迅人に、絵が繋がらないからよ、と教えた。
でも、相川は、なんとか、迅人で映画を完成させたいと思っていたのだ。
ぼくが、気持ちはわかるがそれは無理だ、と厳しい現実を通告した。原作もあったし、現実的には無理だった。
しかし、弟の蒼大が残りを受け継ぐなら、この二つの時代は融合できる、とぼくは言った。
相川が蒼大の説得をはじめた。
蒼大は「お兄ちゃんがそばにいるなら、やる。お兄ちゃんの夢だから」とこれを引き受けることになった。
彼は1%も映画俳優に興味がない。
でも、兄が好きだ、だから、引き受けたのだった。

滞仏日記「映画「中洲のこども」がついに公開になるのだ。兄弟愛が作った映画なのだ」



もともとモチベーションのない蒼大は何度も過酷な撮影途中に動かなくなった。
まだ、小さな子供なのだった。
俳優を目指してないので、過酷な仕事についていけないのは、当然であった。
俯いて、動かなくなり、時には泣いて、撮影が何度も中断をした。
酷い時は、朝から夕方まで何時間も・・・
撮影隊は誰一人、文句を言わなかった。言わなかった。
ありがとう・・・。
笑わなければならない場面で、少年は、泣いた。
迅人がカメラの前に立ち、変顔をやったり、合図を送ったりしながら、ワンカットワンカットを撮っていくことになる。
この撮影期間、迅人は、毎日、弟を励まし続けたのだった。
自分の場を譲った主演の蒼大のために、必死で、頑張ったのだった。
助監督、カメラマン、みんなも必死だった。
ある意味、感動の連続であった。しかし、しかし・・・。
無理だ、もう無理だ、とぼくは何度も諦めかけた。
こんな風に撮影をしていい映画が生まれるわけがない。
これはもう、映画じゃない。
資金もない、時間もない、なにもかも準備不足、あらゆるものが不足した戦地だった。
兄は弟に演技指導をしていた。その後ろ姿・・・。
しかし、途中から、考え方を変えた。いや、この兄弟のために映画を完成させよう、と・・・。
自分のことなど、もうどうでもいい。
この子たちを繋げよう。
かくして、この二人の少年たちの絆の強さが、ぼくら、大人の背中を押し、映画「中洲のこども」を完成へと導いたのである。
様々な事情で中止になり、二度と日の目をみることがなかった時代の光が、なんとか、今の時代と融合できたのだった。

滞仏日記「映画「中洲のこども」がついに公開になるのだ。兄弟愛が作った映画なのだ」



古賀蒼大が演技するすべての場面の裏方に迅人がいた。
フィルムに映っていない場所で、迅人が必死で弟をささえた。
焼きもちもやかず、蒼大が拍手を浴びる場面で、迅人も、拍手をしていた。
素晴らしい、と思った。ぼくはそんな迅人を見て、目元が湿った。すまない。
完成が精一杯の映画だった。
でも、ぼくの中ではこの二人に「主演男優賞」を上げたい。
ほんとうに、おめでとう。
生きる意味を君たちから学ばさせてもらったよ。
君たちと出会えて、人間不信になりかけていたぼくはまた、こうして、元気に生き続けることが出来ている。

今日、博多の大洋映画劇場のご厚意で、試写会があったのだそうだ。
ぼくは行けなかったが、たくさんの福岡の関係者が観たという。RKB放送の細谷一希さんから、このメッセージが届いた。
「試写行かせていただきました。本当にコロナ前後が見事につながっていました。辻さんの博多愛と中洲流へのリスペクトに溢れた作品だと思いました」

最後に、この映画の予告編をここに掲載したい。

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https://vimeo.com/alphaproduce/kodomoyokoku 



人生はつづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
ともかく、ぼくにとって十本目の監督作品がやっと、日の目を見ることになりました。応援してくださった皆さん、待ちかねている皆さん、福岡の皆さん、山笠関係者の皆さん、撮影協力してくださった中洲の皆さん、前作「真夜中のこども」に力を貸してくださったリアル・ファンの皆さん。今作「中洲のこども」を応援くださった皆さん、撮影スタッフ並びに関係者の皆さん、本当に、本当に、感謝が絶えません。
2023年6月30日より、中洲大洋映画劇場にて公開!
熱血~~、うりゃあああ。

さて、父ちゃんに戻りますが、6月18日、明日ですね、サンジェルマン・デ・プレ界隈を散策するオンライン・ツアーが開催されます。一緒にツアーに参加したい皆さん、下の地球カレッジのバナーをクリックしてみてください。めるしーぼく。

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滞仏日記「映画「中洲のこども」がついに公開になるのだ。兄弟愛が作った映画なのだ」



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