JINSEI STORIES

滞仏日記「心が少し楽になる日、ぼくの横にはいつも三四郎がいる」 Posted on 2023/11/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝、カフェで、テラス席に迷い込んだ鳩を、むげに追い払うのじゃなく、見守るように人々のあいだをうまく通してやり、外に誘い出し、元の世界に戻した男の人がいた。
長髪、しかも白髪で、キアヌリーブスのような人だった。
奥さんが外で、その様子をじっと見ていた。
鳩が仲間たちの元へ戻ると、彼は待っていた奥さんと歩き出した。
何気ない光景だったが、戦争のニュースに心が疲弊していたので、少し楽になった。
三四郎を連れて、犬が集まる公園に行ったら、ルルとそのお母さんがいて、新しい犬友たちを紹介された。
みんな犬好きな方々ばかり、接し方を見ていると、よくわかる。
「いい子だね、セビアン」
ぼくが仏語で、三四郎を呼んで、頭を撫でてやると、今日、はじめてあったマダムが、
「あら、この子は、バイリンガルなのね」
と言った。
「ええ、日本語とフランス語が得意ですよ」
「素敵なダックスだわ」
マダムはしゃがんで、ぼくの確認を得てから、自分の犬たち用のおやつを三四郎に与えた。
コンニチハ、とその人は三四郎に日本語で言った。
三四郎は嬉しそうにしていた。
少し心が楽になった。

滞仏日記「心が少し楽になる日、ぼくの横にはいつも三四郎がいる」

滞仏日記「心が少し楽になる日、ぼくの横にはいつも三四郎がいる」



犬を飼っている人たちの輪が広がって、だいたいの人たちと顔見知りになったが、面白いことに、犬の名前は知っていても、その飼い主たちの名前は知らなかった。
前のカルチエ(ご近所)では、ピエールもアドリアンもエステルも、みんなお互い名乗りあって、ファーストネームで呼び合っていた。
でも、ノルマンディが生活地になってから、パリは犬繋がりの人としか知り合いが出来ず、ご近所との付き合いはゼロ。
ルルのお母さんが一番親しいが、そのマダムとて、名前はわからない。
ぼくが知っているのは、ミニチュアダックスのウッディ、同じくダックスのルル、キャバリアのラベル、ビーグルのシュゼット、という具合で、全部、犬なのだ。
「やあ、ウッディ、ごきげんよう」
交差点で、ウッディに会ったので、挨拶をしたら、その親、(男性二人組のカップル)が、
「やあ、サンシー」
と言いながら、三四郎の頭を撫でた。
ちょっと心が楽になった。
みんな、公園を走り回る。
それを見ている親たちは、まるで自分が走り回っているような気持ちになるのだ。
あちこちが戦争中で、地球のそこかしこが穴ぼこだらけ。
悲しい日々が続いている。
少しでも、人のやさしさやぬくもりに触れると、嬉しくなる。この気持ちを失くさないようにしなきゃ、と思って家路についた。

滞仏日記「心が少し楽になる日、ぼくの横にはいつも三四郎がいる」



締め切りが重なっていたので、3つ、エッセイを書いて出版社に送った。
拙著「十年後の恋」が文庫化されるので、今日はそのゲラチェックもやった。校閲や校正の入ったゲラを眺め、久しぶりに言葉と向き合う作業となった。
コーヒーを片手に、足元の三四郎を踏みつけないよう、ゲラの行間を泳ぐように彷徨った。
昼ごはんのことを考えていなかったので、一仕事がついたところで、近所にあるイタリア惣菜屋に顔を出した。
見覚えのあるマダムがいた。
昨日、たまたま、三四郎と入ったカフェで隣にいた人だった。そのマダムは三四郎に、あなたは可愛い子ねー、と言った。
ついでに、ぼくには笑顔をくれた。少し心が楽になった。
素敵な笑顔だった。
たまに見かける人で、国籍や年齢はわからない。
肌は少しマロン色だけれど、頭髪は短くて白く、優しそうな雰囲気の人だった。
「あら、あなた昨日のミニチュアダックスのパパさんね」
なんとなく、話がしたい時だった。
だから、自分が日本人で、普段はノルマンディにいるのだけれど、仕事がある時は事務所で寝泊まりしている、と伝えると、
「実はね、あなたがあの可愛いわんちゃんとよくこの辺を歩いているの、前から、見ていたの。日本人だろうな、って思ってたわ。あたりね」
と言い返された。
「え、どうして日本人って、わかったの?」
マダムは笑った。
「なんでかなぁ、髪の毛長いし、ふわふわ浮かぶように歩いているし、何より」
「何より?」
「楽しそうだったから」
ぼくは少し心が楽になった。
それで、トリュフのラビオリと、チキン・ミラネーゼを買って、またね、と言い残して笑顔でそこを離れたのだった。

滞仏日記「心が少し楽になる日、ぼくの横にはいつも三四郎がいる」



滞仏日記「心が少し楽になる日、ぼくの横にはいつも三四郎がいる」

写真を撮り忘れたので、お見せ出来ないけれど、実に、美味しかった。
日記に書くほどでもない一日だったけれど、降ったり止んだりの空模様で、とくにいいことも悪いこともなかったけれど、ツジビルのラジオをやって、献立の立て方を語り、その後、三四郎と家の中でボール遊びをし、夜ごはんをどうするか悩みながら、今、この日記を書いている。
この日記、いつまで続くのだろう。
ここまで、書いて、継続は力だなぁ、と思って、少し楽になった。
でも、まだ、今日は終わっていないのだ。
なぜなら、愉しみな夕食がぼくを待っている。

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
伊勢丹アートギャラリー用のフライヤー第三弾は「祈り2」という作品の一部です。「祈り1」とセットなんですが、戦争のない時代を願う、今の自分の気持ちをノルマンディの風景に重ねて、描いた、最近の作品(5年くらい前)です。ぼくは「新・印象派」を自負しています。えへへ、ちゃうかな。でも、タイトルの通り、祈り、を込めて描いた作品なんですよ。
あなたが幸せでありますように。

あ、ぼくのライブ、観てくださいね。無料で1時間、ご覧になれますよ、太っ腹でしょ? あはは。
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https://youtu.be/YIi9N-6kt5g?si=l3SPg4Wt-jpOqToS

滞仏日記「心が少し楽になる日、ぼくの横にはいつも三四郎がいる」



自分流×帝京大学