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精神安定日記「落ち着かない時、おちつきました、と唱えることで落ち着くのである」 Posted on 2023/11/12 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、時々、丹田のあたりが、ぽっかりと、穴があいたような状態になる。
丹田とは、身体を縦に走る気の脈と、腹部をぐるっと一周する気の帯が重なるところが、まさに、田んぼのように見えることから、そう呼ばれるようになった。
エネルギーを耕す田んぼが臍の辺りにあるのだ、という。
そこに力が入らない。これが丹田なのだな、とわかる。
腹の底から声を出せ、とよく言われた。
腹の底のところに丹田があるのかもしれない。
出し続けると、そこが空洞のような感じになるので、丹田はたしかに、ある。
人間は筋力だけじゃなく、気力で生かされているのだ、と気づかされる。
逆を言えば、腕っぷしがどんなに強くなくとも、目に見えない丹田がしっかりとしていれば、乗り越えられる・・・。
気力だ。
その気力というのは、いったい、どうやって整えることが出来るのだろう。
人間にとって、とっても大事なことなのである。

精神安定日記「落ち着かない時、おちつきました、と唱えることで落ち着くのである」



気力とは気持ちの張りのことであろう。
気持ちが張っていれば、人間、負けることはないが、気持ちが緩んだり、破れたり、萎えたりしていると、戦うことさえできやしない。
じゃあ、どうやって気力を養っていけばいいのか、とぼくは自問する。
一番、大事なのは、休むことであろう。
ぐっすり寝るのが一番なのだ。
休息は、精神と肉体を整える一番の方法である。
荒れた土地が休息の中で再び、再生され、新しいエネルギーの芽を吹くようになる。
ぼくは今、休息をとらないとならない。
丹田に力が入らない時は、自分をリセットしないとならない。
水を飲んで、食道を流し、お風呂に入って、疲れを癒す。
丹田が空っぽになった時、水がぼくを潤すのだった。
草木と一緒である。
ぼくら人間も、大地に芽吹く樹木のようなものだ。
ぼくという樹木のカタチ・・・。

精神安定日記「落ち着かない時、おちつきました、と唱えることで落ち着くのである」



それから、ヨガマットに座り、脚を組んで座す。
背筋を伸ばし、目を閉じて、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
身体の中心を流れていく風をイメージするのがいい。
鼻から吸った空気を口からゆっくりと吐き出すのだ。
吸って吐いて、吸って吐いて、・・・。
一定のリズムで、整えていく。
吸って吐いて、吸って吐いて、・・・。
それを繰り返していくと、汚れた何かが自分の体内で剥がれ落ちていくような気がしてくる。
めりめり、めりめり、と音をたてて、汚れが剝がされていく・・・。
「落ち着きました」
とぼくは過去形で、言うようにしている。
まだ、実際、落ち着いてはいない時に、先回りをして、過去形で「落ち着きました」と言葉にすることで、それは決定され、落ち着いたイメージが出来ていくから不思議である。
「出来ました」
と口にすると、出来ないことがないような気持ちになるから過去形は頼りがいがある。
そうやって、ぼくは自分を取り戻していく。
「出来ました」
「落ち着きました」
そうだ、そして、ぼくはまっさらな田んぼの中心に、新しいSEED/種を植えるのだった。

つづく。

今日も読んでくれてありがとう。
疲れた時は、どうか、無理をしないで、ゆっくりと休息をとってください。長い人生ですから、焦らないで・・・。そして、元気が戻ってきたら、また、次の目標に向かって、少しずつ、進んで行けばいいのです。

精神安定日記「落ち着かない時、おちつきました、と唱えることで落ち着くのである」



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