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滞仏日記「再び、日本を目指した多忙な父ちゃん。機上で感動をしているのであった」 Posted on 2023/11/17 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、再び、空の上から失礼します~、なのであーる。
三四郎をドッグトレーナーのジュリアのところに預けてから、空港に向かった、父ちゃん。
幾つかの仕事をこなさないとならない、日仏を股にかける、多忙な男なのであーる。
オッと、そういえば、ここでまたまた、あの光景に出くわしてしまった。
あの光景というのは離陸しようとしている飛行機から、窓の外を見ると、またしても、飛行機会社の方々が、駐機している飛行機の近くまでやって来て、「ご登場ありがとうございます」と書かれた横断幕を広げ、手をふる、ほら、日本独自のサービスの、光景なのであった。
前回、福岡空港でそれを目撃(8月26日の日記参照された)し、こんなことをやる航空会社は世界広しと言えども日本だけだ、と日記に記したばかりだけれど、な、なんとパリのシャルル・ド・ゴール空港でも、この会社の地上係員なのか空港職員の皆さんが、横断幕をもって、手を振ってくれたのであった。
すごーい。これは世界的なサービスなのであった。

滞仏日記「再び、日本を目指した多忙な父ちゃん。機上で感動をしているのであった」



天下のシャルル・ド・ゴール空港で、離陸する飛行機を見送る職員の皆さん。よく見ると、その人たちを駐機場まで連れてきた輸送車両と護衛の車が、彼らを挟んでいたのだった。
福岡空港では、空港の建物のそばで手を振っていたのに対し、パリの空港では、建物からかなーり離れた場所、・・・飛び出す飛行機の真横までやって来て、横断幕を広げていたのだから、しゅごーい。
なので心配した空港側が、こういう措置をとったのかもしれない。
なにげなく、窓外を見て、ぎょえ、となったのだが、ここまでやるサービス精神というのか、こんなことやるのは日本の航空会社だけだから、マジ、凄い、と思った父ちゃん。
これは父ちゃんを送り出すために、やってくれているのか、と錯覚を起こしたくなるレベルなのであった。ちょっと、福岡の時と比較してもらいたい。けっこう、フランスの場合、飛行場の奥深くまで出て来ている。そして、手を振ってくれたのだった。

滞仏日記「再び、日本を目指した多忙な父ちゃん。機上で感動をしているのであった」

滞仏日記「再び、日本を目指した多忙な父ちゃん。機上で感動をしているのであった」

滞仏日記「再び、日本を目指した多忙な父ちゃん。機上で感動をしているのであった」



このサービスが、どんな効果を生むのかわからないのだが、ぼくは、個人的に、福岡で感じた感動に負けない感動を覚えたのであった。(だって、異国の飛行場で、同じことやってるんだもーん。むこうみずすぎるわー、笑)
あゝ、日本人でよかった。安心して、空の旅を楽しむことが出来る、と思ったものであった。
というか、寒いのに、危ないのに、大丈夫なのか、とも思った。
手をふる地上係員の皆さんに、皇室の一族の方々のように、胸元で小さく手を振っていた、父ちゃんなのでした、はい。
さあ、日本に向かうぞ、という気持ちが漲って来た。離陸~。

滞仏日記「再び、日本を目指した多忙な父ちゃん。機上で感動をしているのであった」

※ 右端、中央にエッフェル塔が!!!!



滞仏日記「再び、日本を目指した多忙な父ちゃん。機上で感動をしているのであった」

しかも、最近の飛行機は、Wi-Fiサービスが充実しており、機内でも仕事が出来る。
12時間くらいの空の旅の間、父ちゃんはパソコンを広げて、小説の構想を練ったり、日記を書いたり、連載の文章を書いたりした。その間、CAさんが頻繁にやって来て、お食事とか、ビール(エビスだった)とか、お茶とか、お菓子などを出してくれるのであ~る。
なので、仕事が捗る捗る~、うわっはっは。
「辻さんの小説、冷静と情熱のあいだ、を若い頃に読ませて頂いて、もう若くないですが、そのおかげで、フィレンツエに行くことになりまして。それがきっかけで今こうやって、ここで仕事をさせて頂いております。今日は機中でお会い出来て、大変うれしゅうございます~」
喋り方も優雅で、実に清楚なマダムのCAさんであった。たぶん、ここの責任者さんなのだ。
「ああ、そうですか、それはそれは、どうも。どうぞ、よろしくお願いいたします」
父ちゃんは、口元を緩め、ものわかりのいいおじさんであろうと努めるのだった。
すると、しばくして、別の、今度は入社したての、若いCAさんがやって来て、
「辻さんのZOOが好きです。わたしも実はバイオリンを弾いているんです。辻さんのバンドにはかないませんが、あの、もともとはピアノを担当していたんですが、今はバイオリンなんです。バイオリンって、いい楽器ですねー」
父ちゃんは口元を緩めて、物わかりのいい、日本の紳士を演じないとならなかった。
こういう好意ある会話をむげには出来ない日本人のオヤジなのだった。
「ありがとうございます。今日は東京までどうぞ、よろしくお願いいたします」
ここにも、日本がある、と思った父ちゃん。
さらに、もう一人か、二人、CAさんが、挨拶に来てくださり、その都度、背筋を伸ばし、手を膝の上で組んで、物わかりのいい紳士を演じた父ちゃんなのであった。あはは。



滞仏日記「再び、日本を目指した多忙な父ちゃん。機上で感動をしているのであった」

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
ということで、今のところ、非常に快適な空の旅をしている父ちゃんなのであります。飛行機は順調に日本を目指しています。ここ最近は、北回りの便が多かったのですが、この機は、南廻り、つまりトルコの横を抜け、モンゴルや中国を抜け、日本を目指すのだそうです。そうすると、Wi-Fiも途切れることがほぼないので、ずっと日本とやり取りが出来るので、便利なのですね。戦争の時代なので、なかなか南廻りは珍しく、中東上空は一瞬、大丈夫かな、と心配になりましたが、大丈夫そうなので、日本の皆さん、ご安心ください。ついたら、すぐに、その日から大仕事がはじまり、パリに戻るまで一週間程度、日本中を駆け巡らないとならない父ちゃんのでした。さんちゃん、また、少しの間、お留守番だよ、お願いいたします。



滞仏日記「再び、日本を目指した多忙な父ちゃん。機上で感動をしているのであった」

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