JINSEI STORIES

滞仏日記「恐れ過ぎず、いつも通りの生活の中で出来ることを」 Posted on 2020/03/06 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝、ドアの閉まる音で目が覚めた。息子が登校をした。この子は本当に手がかからない。高校生になってから、彼は自分で起きて、準備をやり、毎朝7時43分に家を出る。寝る前にサンドイッチを作ってキッチンに置いておくこともあるが、調子のよくない時は何もしない。今日は何もしなかった。息子は自分で朝食を作り、食べて、登校したようだ。それが朝の始まりである。

布団の中で、ぼくはまず、ネットのニュースに目を通す。寝ている間に、世界で何が起こっていたのかを知るために。新型肺炎のせいでイタリアの死者が100人を越えていた。毎日、驚くような、今まで経験したことのない出来事が次から次に起きている。いろいろと想像をしてみるのだけど、ちょっと麻痺しはじめているかもしれない。不謹慎だと思うのが、増えていく感染者の数が頭に入らなくなった。ひと月前と何かが異なっている。でも、ぼくの日常は同じなのだ。息子は大雨だというのに、傘を持たずに学校に行った。あいつ、風邪ひくじゃないか、と思った。

コーヒーを淹れて、仕事場に行き、パソコンを開いて、仕事関係のメールを読んだ。夏にちょっとした仕事の依頼。将来のことを考える余裕もなければ、長期的なビジョンを持って、新たな仕事と向かいあうことも難しかった。物凄い勢いで世界が動いていて、その世界をどうやって捕まえ、どう世界と対峙していくべきか、それがわからない。でも、だからこそ、ぼくは息子の父親でいなければ、と思った。そうだ、どういうことが待ち受けているとしても、ぼくは16歳の息子の父親として、この日々を乗り越えていくしかない。

滞仏日記「恐れ過ぎず、いつも通りの生活の中で出来ることを」



蕎麦を茹で、少し胃に入れた後、午後、気分を変えるために、ぼくは傘を差して散歩にでかけた。歩きながらいろいろと頭の整理をしたかった。こういう時は余計なことは考えず、気分が落ち着くまで歩くのがいいね。途中で雨があがり、傘を畳んで、流れていく雲を見上げた。すると、まもなく、光りが差してきた。冬の木々が広がり、綺麗な光景であった。あんなに雨が降っていたのに、物凄い勢いで雲が割れ、まばゆくて、不思議な気持ちになった。

濡れていたベンチを手で払い、ぼくはそこに座った。携帯を開いた。フランスのニュースサイトの速報がいろいろと入っていた。感染者数が400人を越えていた。パリのメトロで働いている人からも感染者が出ていた。ぼくは腕組みをして目の前に広がる景色に視線を戻した。生き抜くぞ、となぜか思った。ぼくに出来ることは家事、子育て、家回りのこと、買い物をすること、食事を作ること、そして、こんなフィクションよりも凄まじい時代だけど、小説の続きを書くことだ。それから、少しでも安い食材を探すこと、とにかく安いけど美味しいワインを手に入れること、無駄遣いをしないこと。ぼくはタバコを吸わないし、外食はあまりしないし、贅沢に興味がないので、もともとお金があまりかからない。それが生きることの基本だった。米を研ぎ、美味しい食事を世界一小さな家族のために作ること、それでいいじゃないか、と思った。

息子には手洗いを徹底させ、あとはいつも通りたくさん笑って生きていくのがいい。毎日、少しずつ、新型コロナのことが分かって来た。ひと月ほど前は何にも分からず、目隠しをされて歩けと言われているような感じだった。感染者数が増えても、自分はこうやって日常を生きて行くことしかできない、と悟るようになってきた。自分のスタンスを決めて、その範囲の中で、生きることしかできなかった。差し当たって、やるべきことは夕飯の買い物だった。日常は変えられないし、止められないのだから、恐れ過ぎず、好きな音楽でも聴きながら、美味しいものを作って、いつもよりもたくさん笑いあって、語り合って、息子とのんびり生きて行こう、と改めて決めた。そして、公園の真ん中で、深呼吸をしたのだ。

自分流×帝京大学