JINSEI STORIES

滞仏日記「ぼくがフランスから離れられない大きな理由があったのです。それは・・・」 Posted on 2024/02/07 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、「なぜ、辻さんはフランスに住んでいるのですか?」
よく、聞かれるが、なぜか、という明確な理由がこの20年、よくわからなかった。
しかし、最近、とくに個展に向かって、カンバスと日々向かい合っているせいもあるのだろう、それがフランス人が好む「色」のせいだ、と気が付いた。
パリでも、ノルマンディでも、南仏でも、フランスにはだいたい共通の色の配合というものがあって、人々はその色味の世界をかたくなに守っている。
なので、パリの街中に(最近、アジア系のショップが派手な色を持ち込んでいるのが目立つが、もちろん、反発をかっている)歌舞伎町のような華やかな看板とか、電飾とか、広告塔とか、は、ほぼない。
洗濯物を干す家もないし、もし、干しているアパルトマンがあると、すぐ、抗議が入る。
それで、色も、統一された落ち着いた配色が中心になっており、たぶん、その眺めがぼくは気に入っているのだ。
フランス人に関しては、出版などで揉めていやな思いをしたことがあるし、個性が豊かだから、合わない人も多いのだが、交差点に立って、その風土を眺めていると、やっぱりこの配色が好きだ、と思うことしばしば。
ほかの国にはない色味があってね、そこが気に入っている。
あと、前はイタリア人の方が、ファッション・センスはいいと思っていたが、衣服に関しても、最近は、特に、地味なパリジャンたちの服の色の選び方とかに、なるほどねー、そっかー、と思うようになってきた。
イタリア人男性は、彼らがイタリア人だから、似合うファッションというのがあって、フランスの男たちがあの格好になったら、パリとか、ボルドーの街の外観的色味を壊してしまう。
しかし、なぜか、マダムはちょっと、奇抜でも許されるのが、フランスの面白いところかな。

滞仏日記「ぼくがフランスから離れられない大きな理由があったのです。それは・・・」



フランス人マダム、やばい人がけっこういる。
7,80歳くらいだろうに、オードリーヘップバーンのような体系を維持して、バカでかい派手な赤い帽子とかかぶって、しゃなりしゃなりと歩いている人が、各地にいる。
おおお、あれは異次元じゃあ、とさすがの父ちゃんも2歩、下がって崇めてしまう。
それが、似合っているのである。まァ、許されてしまう、国なのだ。
逆に、ムッシュたちは、実に地味で、ダサい、と思って、20年、彼らを眺めてきたのだけれど、マフラーがねー、靴下とか、手袋とか、ハットもそうだけど、何か一点だけ、特殊な色を挟み込んで、上手に着こなしている人が多くて、ハッとさせられる、あはは。
ぼくは、辛子色系が大好きで、ちょっとくすんでいる黄色とか、モスグリーンとか、ボルドールージュとか、原色をひねった大人のセンスたっぷりの色味を、一色だけ、混ぜこんで、歩いているおじさんたちが、普通でありながら主張があって、実に、素敵なのである。
イギリス人とも、イタリア人とも違う、地味ダサおやじたちなのに、街の中で、溶け込んでいるんだよねー。
ちょい悪おやじってのが、昔日本ではやってたけれど、苦手だったなァ。笑。
同じ欧州でも、フランスはやっぱり、独特のおさえこんだ色彩を上手にまとう文化があって、その偏屈さと地味さに、最近、感服しはじめた父ちゃんおやじなのであった。

滞仏日記「ぼくがフランスから離れられない大きな理由があったのです。それは・・・」

※ 改修中のノートルダム寺院、なんとなく、見た感じだと、オリンピックまでには元通りにはならない感じやね・・・。

滞仏日記「ぼくがフランスから離れられない大きな理由があったのです。それは・・・」



今日はスタジオで個人練習が終わったあと、ギター担いで、岡本君がデザインしたお気に入りのコートをまとって、セーヌ河畔を歩いたのだけれど、サンルイ島の河岸の家々の色味、色彩、もう、足と目が動かなくなって、15分くらいずっと眺めていたのだ。
そこを過ぎるとシテ島の中央に、どーんと、改修中のノートルダム寺院が出現し、そこでまた、15分、ため息をつきながら、黄昏れてしまった父ちゃんなのだった。
そこから、オデオンの方に入り、ややカーブした歴史的路地をくねくねと歩いて、サンシュルピュス教会の前に出て、おおお、また、立ち止まって、15分、色を愛でたのであーるぬーぼー。
美しい、世界だ・・・。
こりゃあ、詩や哲学や小説や絵画がぼんぼん生まれてもしょうがないなァ、と思うそいう街角なのだった。
建物を構成する一つの石、あるいはカフェの看板、普通に歩いているマダムのコートの色とか、一つ一つ、この色を守るために長い歴史がこの国で受け継がれてきたのか、と思うと、やっぱりここに住み続ける意味があるな、と思うのだった。なにせ、今、ぼくが見ている風景、100年前に生きていた誰かが見ていた風景とほぼ変わらない、というのが、同時に、すごいことだったりする。

滞仏日記「ぼくがフランスから離れられない大きな理由があったのです。それは・・・」

※、このマダムの紫のキャップとか紫のコートの色、ピンク系のマフラーとか、なかなか、選べないよねー。笑。

滞仏日記「ぼくがフランスから離れられない大きな理由があったのです。それは・・・」

※ 文房具屋で見つけたノート。金の箔押しで名前を入れてくれた。センスいいね。

滞仏日記「ぼくがフランスから離れられない大きな理由があったのです。それは・・・」

滞仏日記「ぼくがフランスから離れられない大きな理由があったのです。それは・・・」



つまり、歴史が作り上げた色なのだ。それを思うと、京都とか鎌倉とか、日本の古都には、同じような配色感が今も残されている。これは、守らないといけないものだ、と思った。
東京をばんばん新しくしていくのは、もはやとめられないし、それはそれでいいのだと思うが、世界の大都市、東京でさえも、残しておいてほしい空域というのはあるよね。
受け継がれた色は、真似できないのだから、美しいのだ、とぼくは思う。
さて、歌もよく歌えたので、戻って、カンバスと向きあうことにします。心がいっぱい。

人生はつづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
人間のセンスって、子供の頃から養われてきたものだろうから、見続けてきた色の影響を人間は受けているように思うのです。ぼくも、幼い頃、北海道で過ごしたことは色彩感覚の上ではとっても良かったのじゃないか、と思いますね。帯広の十勝川の川面の色、函館十字街の色の配色、フランスにも通じるものがありました。ぼくはね、パステルカラーが苦手なんですよ、ごめんなさい。えへへ。
ということで、個展が近づいてきましたよー。
さて、今年の父ちゃんのスケジュールのお知らせですが、なりすましが問題になっているので、最初にひとこと、父ちゃん作家、フェイスブックはやっておりません。なりすまし偽辻に、要注意、お願いします。
●小説「十年後の恋」集英社文庫版が1月19日全国発売。
●小説「東京デシベル」がイタリア、Rizzoli社から刊行されました。
●2月28日から、新宿伊勢丹のアートギャラリーで個展.
●3月3日、両国国技館、ギタージャンボリー出演。(検索ください)
●3月6日、ツジビル・ライブ(SOLD OUT)
●4月19日、ロンドン、ライブ。詳細はこちらから☟

https://www.eventbrite.co.uk/e/2gz-tsuji-and-hide-live-japanese-music-in-london-tickets-790578039197?aff=oddtdtcreator

●6月30日、パリ・ライブ決定(詳細、待って)
●7月3日、リヨンでライブ!!!
以上です。

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自分流×帝京大学

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