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滞仏日記「ロックダウンによって始まる様々なメンタル問題」 Posted on 2020/03/28 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ロックダウン(外出制限)になってから10日が過ぎた。フランス全土の学校が休校になってからはすでに二週間ほどが経過している。その間、息子は一歩も外出せず自分の部屋に籠り続けてきた。毎日何をしているかというと、平日は先生たちとオンラインでつながり授業を受けている。フランスは日本よりもパソコンを授業で使う率が高く、中高生くらいになるとほぼ全員がネットで繋がっている。(中高生を繋ぐ全仏ネット網がある)なので、ふだん学校に行くのと同じように、息子はパソコンを通して朝から夕方まで授業を受けているのだ。ネットの学校の中では、テストもあるし、質疑応答も出来る。ネットを通して、勉強を前に進めるシステムがもともと整っていたということだ。勉強が終わると、仲間たちとゲームサーバを介して仮想空間で集まり、遊んでいる。なので、息子は外に出る必要がなかった。ただ、親としては家にいることは安心だが、健康面が心配だ。

滞仏日記「ロックダウンによって始まる様々なメンタル問題」



昨日、パリ郊外に住む息子と同じ年の16歳の少女、ジュリーさんが新型コロナのせいで死亡した。ジュリーは1週間ほど前に軽い咳が出始め、21日に病院に行ったが陰性と診断された。その後悪化、数回検査を受け、最終的に陽性と結果が出た時には手遅れだった。疾患もない健康な若いジュリーさんが死んだことでフランス全土に衝撃が走った。この子の死は瞬く間にフランスの中高生たちにさらなる恐怖を植え付けることになる。

こういうニュースが途切れないので、新型コロナの恐怖から子供たちは外に出たがらない。現実を見たくない、だからネットの世界に潜り込んでしまう。しかもネットを介して、怖い情報が渦巻いている。ますます、出られなくなる。しかし、育ち盛りの中高生が部屋からほとんど出ないのは身体に悪い。子供を心配する親のメンタルも悪くなる。ロックダウンが進むにつれ、ウイルスを怖がる子供たち、そんな子供たちを心配する親たち。この先の展望が見えないせいで、誰もかれもが鬱々としている。この結果、家庭内暴力が僅かこの1週間でこれまでよりも30%も増えた。そこで急遽、その相談窓口として薬局が対応にあたることになった。薬局とスーパーはロックダウン中でも店を開けている。家には相手がいるし、子供もいるので、被害を受けた人は買い物のついでに薬局に行き、相談をする。警察も人が足りないのである。誰にも喋れないことが被害を拡大させる。そこで薬局でまず相談をするのだ。ここから警察への通報が行われ、DVの被害を押さえていこうという試みである。ロックダウンが人々に与えるメンタルの問題は今後も増え続けることだろう。残念なことに、フランスのロックダウンは来月15日まで延長が決まった。最低でも4月15日までは外出制限が続く。家でじっとしていられる人ばかりではないので、メンタルの綱渡りが続くことになる。

今日、やっと息子を外に連れ出すことに成功した。数日前から「明日は一緒に走ろう」と言い続けてきたが、勉強があるからと断られ続けてきた。「このままじゃ、病気になる。パパが一緒に走るから、出よう。大丈夫だ、パパが一緒に走るんだから。世界は何も変わってない、ちょっと出ればわかる。光りは溢れていて、気持ちいいぞ」と説得し続けた。ジャージに着替えた息子をつれて、近くの公園へと向かった。ジョギングをする人たちとすれ違った。
「ほら、何も変わらないだろ」
「うん」
「ちょっと走ろうか」
二人は30分くらい走って家に戻ることになる。バレーボール部員なので、逞しい身体を持っているが、まだまだ16歳である。30億人もの人が家から出られないこのような世界を前に怖がるのは当たり前のことだ。幸いなことにロックダウンが始まってからずっと快晴で、この天気は来週も続く。明るい光りが家の中に差すのは有難い。走ったことで、なんとなく、息子の顔つきが変わった。「明日も走ろう」と言ったら「うん」と戻って来た。

滞仏日記「ロックダウンによって始まる様々なメンタル問題」



八百屋で買ったプンタレッラというイタリアの野菜とサルシッチャを使ってパスタを作った。春のまだ少し力のある風が抜けていく食堂のテーブルに並んで座り、ランチをした。やはり運動をした後は食事も美味しいし、気分も変わる。ロックダウンと言っても一時間程度の運動は認められているし、食材の買い物は自由にできる。あとはウイルスの感染が落ち着いていくのを家で静かに待つことしかぼくらにはできない。「家にいよう」という合言葉でフランス全土は繋がっている。しかし、残念なことにそれでもルールを破る者がいる。ロックダウンが始まってからこの僅か10日間で26万人もの人たちが検挙され、罰金をとられている。
「日本も感染者が急激に増えはじめたんだよ。いよいよ外出制限がはじまるかもしれない。今週末は都知事さんが外出の自粛を都民に訴えた」
息子は黙々と食べている。ぼくはネットニュースを開き、大勢の人で賑わう東京の花見の様子や、渋谷や原宿に集まる中高生の画像を息子に見せた。息子はちらっと見たが、再びパスタを頬張った。
息子は食べ終わると、自分の食器を持って立ち上がった。そして、こう言ったのだ。
「パパ、桜は来年も咲く。再来年も咲くんだけど、昨日亡くなったジュリーはもう来年咲くことが出来ないんだよ」  

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