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滞仏日記「一日早い母の日に、一万キロの距離を超えて母の声が届く」 Posted on 2020/05/10 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくは今日が母の日だと思い込んでいて、(正確には日曜日が母の日である)、一日早く福岡の母さんに電話をかけてしまった。
「もしもし、あ、ヒトナリです」
「あれっ~、ヒトナリか、あら、そっちは大丈夫ね?」
「うん、大丈夫だよ。それより、今日は母の日だから、ありがとう、を言いたくて」
「え、あら、そうね、母の日やったとね。もう、何の日でもよか、声が聞けて嬉しかったい。ありがとう、忘れんでいてくれて」
母さんも気が付いてなかった。母の日は日曜だったが、でも、もはや曜日なんて関係ない。
「母さん、いつもありがとう。ぼくも息子も元気にやってるよ」
「そうね、それは何よりったいね。心配しとったったい。あんたら二人やけんね、もしも何かあったら、どげんするとやろってずっとずっと心配しとったったい」
「そうだね、だから、絶対、コロナにならないように頑張ってるよ」
「そうったいね、人一倍気を付けないけん。それが親の役目たいね」
「うん、わかってる。母さんこそ、気を付けないとだめだよ。せっかく長生きしているのに、コロナにかかったら、会えなくなるからね、気を付けて」
「福岡はおらん。ゼロやけんね、心配せんでよか。うちの周りにはまったくおらん」
「目に見えないだけだから、外に出る時はマスクだよ。帰ったら手洗い忘れたらだめだよ」
「買い物はつねちゃんが行ってくれるけんね、私はなんもせんでぬくぬくしとるとよ。ありがたいこったい。あんたら兄弟のおかげったいね」
そこへ息子がやって来て、ババ? と訊いてきたので、息子とかわった。
「ババ、ぼくだよ、元気?」
「あれ~、おまえか、元気しとるとか、〇▽□✕✕〇▽□・・・・」



息子が携帯を持って自分の部屋に行ってしまったので、何を喋っているのか分からなかったが、笑い声が聞こえてきた。息子はおばあちゃんっ子だから、声が聞けて嬉しいのである。何を話しているのか、気になったので忍び足で聞きに行った。
「あのね、パパがね、最近、ババにそっくりになって来たんだよ。もう、物忘れ激しいし、しつこいし、言うこと聞かないんだ。喋り方までババにそっくりになってしまった。ほんと、血が繋がってるって、すごいことだね、親子って偉大だね。だから、パパを見ているとババのことを思い出すんだよ。二人でご飯食べていると、パパがババにしか見えない時がある。コロナに罹らないでほしいなっていつも心配してたんだ」
母さんの豪快な笑い声が聞こえてきた。息子も笑っている。
「パパはいつか、もうちょっとしたら、ババみたいになるんだろうな。子供って親に似るんだよね。だからいつかつねちゃんもババみたいになるし、ぼくはパパにみたいになるんだね。それでみんな繋がっていくんだ。ぼくは絶対、一生、ババのこと忘れないからね。パパのことも大事にするよ。家族がこうやってつながっていることを大事に持って生きていく。福岡や日本が大変にならないように、いつもパパと手を合わせているんだよ。え? ぼくらは大丈夫だよ。パパは用心深いから、ぼくらは絶対に大丈夫。ぼくらのことよりも、ババこそ気を付けてね。すぐに飛んで行けないから、長生きをして、コロナが落ち着いたら、必ず会いに行くからね、それまで、元気で生きてくださいね。母の日、おめでとう。感謝してます。じゃあ、パパにかわるよ」
ぼくは慌てて、自分の部屋に走って戻った。そこに息子が笑顔でやって来て、こう言ったのである。
「ババは元気だった。喋り方が、パパにそっくりだったよ。早く会いに行ってあげなきゃね」

滞仏日記「一日早い母の日に、一万キロの距離を超えて母の声が届く」



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