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滞仏日記「解除の日、哲学者アドリアンだけが歩いていた」 Posted on 2020/05/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ついにロックダウン解除となった朝、街がどんな感じだろうと思って、窓から外を覗いてみたら、その瞬間、ぼくの視線に、お馴染み哲学者のアドリアンが飛び込んできた。思わずぼくの相好が崩れた。彼はどういう家に住んでいるのだろう?いつもふらふら歩いている。やっぱり、朝一で出歩いているのはこの男だけであった。おもえば、アドリアンと最初に知り合ったのはロマンのバーだった。あの頭であの体形なので、失礼だけど、最初はマフィア関係の人か、と警戒してしまい、なるべく近寄らないようにしていた。不敵な笑い方をするし、葉巻をいつもふかしているし、一度、暴走族がかけているような変な薄っぺらい眼鏡をかけていたし、その時はまじ怖かった。で、ある日、目が合ったので、いつもいるね、と話しかけたら、どすの利いた声で、何人、と訊かれた。ジャポネ、と返すと、日本の大学に招かれたことがある、と言い出し、拍子抜けとなった。なにやってるの? と訊いたら大学で哲学を教えていると言った。尊敬する哲学者は? と畳みかけると、自分しかいない、と言った。すでにその時、アドリアンはアドリアンであった。

滞仏日記「解除の日、哲学者アドリアンだけが歩いていた」



それから、ある日、ぼくは自分のフランス語に訳された本を何冊か彼にギフトした。しょっちゅう見かけるので、読ませたいと思って鞄に入れて持ち歩いていたのだ。翌日だったか、その翌日だったか、公園のベンチでぼくの本を読んでいるアドリアンを見かけた。次にバーで会った時、ふーん、と言われた。君は作家だったのか、と。もちろん、本の感想などは言わない。その頃からぼくはアドリアンにいろいろ質問をするようになっていた。哲学とは何か、とか、ロックダウンは必要か、とか、人間はなぜ生きているのか、など。フランス人哲学者らしいひねくれた返事が戻って来た。哲学っていうのは何にも考えてない連中の護身術だ、と言うし、マスクを付けたことで安心をしてしまう方が怖い、と言ってマスクはつけないし、葉巻は長生きしないための緩やかな防止グッズだと笑うし、死を恐れるのは死ぬことより生まれることの方がもっと恐ろしいことを忘れている愚かな証拠だと嘯くし、新型コロナに関して言えば怠惰から目覚めさせてくれる神からのギフトと言った。

滞仏日記「解除の日、哲学者アドリアンだけが歩いていた」

ぼくは暇だから、この男を掴まえて質問攻めにするのが楽しくてしょうがない。あの風貌で大学教授で、学生たちにサルトルとかデカルトについて語っているのかと思うと笑いがこみ上げてくる。でも、もしかしたら凄い先生なのかもしれない。ぼくは自分が暮らす街が好きだ。アパルトマンを探す第一の条件は物件の素晴らしさじゃなく、そのカルチエ(地区)が面白いかどうかだったりする。ぼくの街はユニークな奴らが大勢いる。アドリアンをはじめ、いろいろな人間がそれぞれの思考を持って生きているこの街角に自分も棲息しているのだと思うと、ウキウキする。それがすでに一つの短編集みたいじゃないか。新型コロナの出現には腹が立つけど、こういう時代だからこそ、哲学が大事なのかもしれない。残念なことにぼくの仏語力では彼と深い話しをすることが出来ない。しかし、人間というのは醸し出すものだから、匂わせるものだから、誤解を与えあって空想しあうものだから、すれ違うだけで心が躍る存在に万歳と言っておきたい。人間は面白い。ぼくは人間が好きだ。



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