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滞仏日記「解除後初の週末、あのパリが戻って来た。これは幻想か?」 Posted on 2020/05/17 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ロックダウンが終わって最初の土曜日、ぼくは太陽を求めてセーヌ河畔を散策することにした。途中まで息子も一緒だった。彼は2ヶ月ぶりに友人のイヴァンと会う約束をしていた。最初の頃はぼくとジョギングしていた息子だが、ロックダウンの中ほどから「怖い」と言い出し家に引きこもった。今日は久々、彼自身のロックダウン解除日となった。
「パパ、やばいね。この人たち。マスクもしてないし、間違いなく第二波が来るね」
「仕方ないんだよ。見てごらん、みんな大学生くらいだろう。家に2ヶ月も閉じ込められていたんだ、これ以上我慢させるのは酷だよ」
ぼくらは広場に屯する若者たちの間を進んだ。ワインを持ち込んで、酒盛りをするグループがいた。上半身裸で日光浴をしている連中もいる。3蜜どころの騒ぎではない、みんなべったりと膝を突き合わせて騒いでいる。中には抱き合っているカップルもいる。何をしたのか分からないけれど、警察官に職質を受ける集団もいた。でも、老人の姿はない。若者たちは笑顔だ。去年の今頃と何も変わらない光景が広がっている。みんな自由を謳歌している。まるで野外ロックフェスティバルの敷地内であった。ぼくと息子はその中を進んだ。

滞仏日記「解除後初の週末、あのパリが戻って来た。これは幻想か?」



「パパ、この2ヶ月が何だったのかって、不思議でならない。苦しかった日々も、そこを過ぎると幻想のようになってしまうのかな。そしてまた繰り返すの?」
「みんな、自分は大丈夫だと思ってる」
「こんなに気持ちのいい季節なんだから、仕方ないね」
「感染再拡大は必ず起こる。その時に備えるしかない。お前も気を付けろ。自衛しかないからな、気を緩めるよ」
「うん、わかった」
「でも、ずっと家に閉じこもり続けるのは精神的にもよくない。イヴァンと遊んで来い。飛沫を避けながら、賢く遊んで来ればいい。夕飯までには帰って来いよ」
そう言って、息子の肩を叩いて送り出した。息子はお兄ちゃんお姉ちゃんたちの間を抜けて、市中へと一人向かった。この公園は長いこと立ち入りが禁止だったが、今は柵も取り払われ、見渡す限りの若者の群れであった。みんな車座になり、いったいどれくらいいるのだろう、千や二千という人出じゃなかろうか。しかし、高齢者は皆無だ。重症化を恐れて、大人たちはマスクをして家にいるのかもしれない。

滞仏日記「解除後初の週末、あのパリが戻って来た。これは幻想か?」

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ロックダウン解除後、世界は二分化した。解除に浮かれて元通りの日常に戻った人たち。そして新型コロナを今まで以上に恐れて警戒を強めた人たち。ぼくと息子は後者である。これまでは法によって移動が制限されていたが、国が経済へと舵を切ったことで、ここからは自衛するしかない。若者に同調して一緒に市中に出て感染すると、重症化する可能性が高い。この2ヶ月、嫌というほどその情報を植え付けられた大人たち、そう簡単に外に出ることが出来ないのである。

滞仏日記「解除後初の週末、あのパリが戻って来た。これは幻想か?」

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セーヌ川河畔にはもっと多くの人たちが溢れていた。セーヌ河畔沿いの道は歩行者天国になっており、ジョギングをする人、自転車の人、ローラースケートの人たちで賑わっていた。クレープ屋とか飲み物スタンドまで出ていた。まるでテーマパークに来たような拍子抜けする世界が広がっていた。ぼくは岸辺にずらっと並んだ若者たちの間に、社会的距離を保ちながら座ってみた。セーヌの流れを見つめた。流れる川面に太陽の光りが照り返し、思わず目を細めた。正直、このような長閑な光景がすぐに戻ってくるとは思ってもいなかった。パリが元通りの風景を取り戻すまでにはさらに長い時間がかかると思っていた。もちろん、これはパリの一部だ。デパートやメトロの中ではみんなマスクをしている。ここは屋外だからマスクをしてないだけで、ポケットの中に忍ばせているに違いない。レストランやカフェの再開がどのように行われるのか市民には知らされていない。それでも、初夏の風が吹き、眩しい太陽に目を細め、人々は喜んでいる。観光客のいない、パリ市民だけのパリがそこに広がっていた。いったい何がかつてと異なり、何がこれまでと一緒なのであろう。少しずつ、徐々に分かってくることに違いない。とりあえずぼくは第2波を警戒し、太陽に感謝しつつも、浮かれないよう気持ちを引き締めておくことにした。

滞仏日記「解除後初の週末、あのパリが戻って来た。これは幻想か?」

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