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滞仏日記「第二波に備えろ」 Posted on 2020/05/19 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくが今一番恐れていることは新型コロナの第二波だ。この土曜日と日曜日、パリ中心部の公園の芝生に集まった若者たちは、マスクもしておらず、中には抱き合う者たち、上半身裸で日光浴をするものたち、再会を祝い握手やハグをするもの、ソーシャルディスタンスなど気にせず車座になって談笑している者ばかりであった。信じられない光景であった。ぼくが目撃した場所だけで数千人はいた。パリ各地で、若者たちが繰り出し、太陽を喜んでいた。2ヶ月に及ぶロックダウンの反動とでも言える、あまりにも無防備な状態が広がっていた。6世紀、14世紀、19世紀に猛威を振るったペストだが、14世紀にはじまった大流行は断続的に70年も続き、1億人もの人の命(当時の世界人口は5億人)を奪っている。20世紀初頭に流行ったインフルエンザのパンデミック、スペイン風邪も1700万から5000万(一説には1億人)の人の命を奪っている。医療技術や医療体制が整っている現代だが、その猛威を食い止めるのは容易ではなく、この通り至難の業だ。感染する勢いや、季節の動き、人々の移動、経済再開などによって、流行が収束しかけたり爆発したりを断続的に繰り返し、最終的に集団免疫が出来るまで、この状態を繰り返すことになるのに違いない。

滞仏日記「第二波に備えろ」



アルベール・カミュの小説「ペスト」では力を合わせてこの伝染病に立ち向かう人間の共闘力が描かれていくが、結局、登場人物たちはこの病を制御できず、現実は不条理に飲み込まれる非情論で締めくくられている。ぼくらが迎え撃ったこの新型コロナも実はまだパンデミックの始まりでしかないのかもしれない。各国政府は目先の対応に追われていく。当然のことだが、補償や対策やワクチンの開発や学校再開や自粛要請や社会的距離を保ちながらの経済再開といった現実的な問題をこなすのが精一杯なのだ。今後、十年目安でこの伝染病との共生を計画している政府は今のところまだないだろう。人類はこの不条理の中で、動ける範囲で光りを探し、形振り構わず出口を求める行動をとらざるを得ない。しかし、同時に政治的混乱やポピュリズムの台頭や思想分断なども生み出すに違いない。新型コロナウイルスの猛威によって、ユーラシア大陸や南米大陸、アフリカなどで段階的な感染爆発を引き起こし、そのうねりが強烈な第二波を誘発させ、この地球を飲み込むのではないか、という途方もないシナリオを想像させてしまうのである。

滞仏日記「第二波に備えろ」



14世紀に大流行したペストは、収束したかにみせつつも、17世紀中庸まで消えたり現れたりを繰り返し、世界全体に見るも無残な爪痕を残した。時代が違うので、それほど大きな犠牲者を出さないまでも、一部の人たちが語る楽観論を鵜呑みにはできない、恐ろしい怪物軍の本隊はこれから上陸してくる可能性がある。ワクチンの治験などが始まったと騒いでいるけれど、うまくいけばの話しに過ぎない。特効薬の開発も噂されてはいるけれど、希望ばかりが先走り、実際はどれも決定打に欠けている。集団免疫を人類が持つまでには世界人口の7割、50億人の人々が感染する必要がある。それまでにいくつもの波が押し寄せることになるのだろう。

※DSペストについての記事はこちらをクリック➡️ペスト大流行時代と現代の驚くべき類似点!

5月11日、フランスでロックダウンが解除された時、国内で数か所のクラスターが発生した。死者数は減っているが、感染者数は増えている。中国北東部や韓国でもクラスターが増えている。ペストの時代に発明されたロックダウンだが、これは最後の手段、と言われた感染症拡大阻止の切り札である。国土や大都市を封鎖する荒業は、頻繁に使うことが出来る手段ではない。ここフランスが再び厳しい状況に陥った場合、経済の門は開き続けながら、罰金や厳しい法令を繰り出し、対処法的に抑え込みを図ることになるだろう。そのような状態で、ロックダウン以前の経済活動量に戻れるかどうか、誰にも分からない。これは欧州全域に言える話しなのだと思う。欧州各国の政府が今一番恐れているのは、大規模な第二波に飲み込まれないかという懸念だ。ぼくは楽観的に未来図を描くことが出来ないでいる。前向きに日々を乗り越えるために自分の心を律して生きようとしているが、晴れた日の公園に集まる無防備な人たちを前にすると、自分が悩んでいる恐怖があまりに愚かな夢想に過ぎないのじゃないか、と惑わされてしまう。目の前に広がる長閑な光景と人類が経験してきた非情な歴史との乖離が頭の中で反発しあう。けれども、まず間違いなく、このまま新型コロナが何事もなかったのように収束することはないのだ。第二波はある日突然、やって来る。

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