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滞仏日記「マルシェのステファニーおばあちゃんが生きていた」 Posted on 2020/05/24 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ロックダウンの解除と共にマルシェが再開した、という噂を耳にしたので、どういう風に再開しているのかも気になったし、もう20年近く通ったマルシェなので、顔馴染みの店主たちがどうしているのか気になり行ってみた。たしかに、マルシェは復活していた。でも、なんか変だ。あれ、変だぁ。いったい何が変わってしまったのだろう。

滞仏日記「マルシェのステファニーおばあちゃんが生きていた」

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まず、4列あったマルシェが1列減らされ3列になっていた。その分の店舗が、横に増やされ、縦長に延長されていたのだ。1列減った分、マルシェを横切る通路が広々していた。前はすれ違うのもやっとだったので、かなり広々したという印象であった。

それに、みんな社会的距離をしっかりとって並んでいる。前はぎゅうぎゅうに並んでいたのに。

滞仏日記「マルシェのステファニーおばあちゃんが生きていた」

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もう一点、大きな変化はどの屋台も、ビニールやプラスティック板でガードされていたことだ。屋台全体をビニールで囲んでいる店もあった。なん箇所か四角い穴をあけ、商品やお金を手渡せるようにしてる店もあった。店員さんたちはマスクよりも、フェースシールドをかぶってる人が多かった。マルシェに来る人は年配の人が多いせいか、マスクを付けている人がほとんどだった。昔通りのマルシェではなかったが、コロナ対策万全のニューノーマルならぬニューマルシェであった。

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ぼくとしては20年近く通いなれたマルシェなので、みんなのことが気になった。とりあえず全ての店が今まで通り元気に営業しているのか、とりあえず、回ってみることにした。ところが、1列撤去されているので、マルシェ全体の店舗配置が変わってしまっていた。しかし、すぐに再会できた。パン屋も、燻製屋のおやじも、魚屋の兄ちゃんたちも、卵屋のムッシュも、スペイン食材店のご夫婦も、アラブ食材店、ベトナム食材店のおやじさんたちもみんな元気だった。しかし、見当たらない店もあった。イタリアの生ハム屋が見当たらなかった。イタリアは欧州で一番大変だったので、一時的に祖国に帰っているのかもしれない。肉屋の、いつものカーボーイハットをかぶったマダムは元気だった。
「おお、マダム、ご無事でしたか?」
「ええ、なんとかね、あなたも生きてたのね、よかった、また会えて」
「変わりましたね、マルシェ」
「仕方ないわよ。こんな時代だもの」
肉屋さんはちょうどお客さんの顔の位置にサランラップを利用した透明な幕を作り、飛沫が飛び交わないような仕組みを拵えていた。
「お国からの行政指導でね、どの店もガードをしないとならないのよ」
「でも、思ったよりも安心して買い物ができます」
「ええ、お金を扱う人を一人決めて、品物を売る人とは分けてるの。やっぱりコインとか紙幣って一番、ウイルスが付着しやすいから、その都度、消毒ジェルで手を洗うようにしてるし、気をつかってるわよ~」
それでも、こうやってある程度ながらマルシェが復活出来てよかった。
「でも、まだ、昔ほどの人出ではないわよね。マルシェを利用する人自体が年配の人が多いでしょ。みんな警戒して当然だし、時間はかかる。でも、経済が戻ってきているのも分かる。フランスは頑張ったでしょ? やっぱり、こうやって会話が出来ると安心するものよ。ところで、キャピテン、今日は何にする?」
日本でいう大将のことをこっちではキャピテンという。
「なんかフランスっぽいものを作って食べたいな、何がいいですかね?」
マダムがちょっと考えて、豚の肩ロースを指さした。
「ポーク・ロティは?」
「いいですね? 付け合わせはジャガイモと玉ねぎですね?」
「それにリンゴのコンポートを添えたら、完璧じゃない?」
「あ、じゃあ、ステファニーおばあちゃんのリンゴ屋に行かなきゃ」
マダムが肩を竦めた。あの人、もうすぐ80歳だからね、見かけないけど、出店してるかしらね、先週からマルシェは再開したけど、見てないわ、と言った。なんだか、急に不安になった。そこで、ぼくは記憶を頼りに敷地内を探してみることになる。でも、見当たらない。年齢が年齢だけに重症化すると命とりになる。あちこち探し回っていると、ワイン屋と野菜屋の間を、うろちょろしている小さなおばあちゃんを発見。よかった。
「こんにちは」
「あれ、あんた、あれれ、元気やったとね?」
ぼくには84歳の母さんが見えた。ステファニーおばあちゃんが喋るフランス語がなぜか、博多弁に聞こえた。
「元気にしとったです」
「そりゃ、よかったったい。また会えて、嬉しか」
なんとなく、泣きそうになった。小さくて、ちょっと腰が曲がっていて、人懐っこい懐かしい笑顔で、よかよか、と頷いている。
「ポーク・ロティ作るんだけど。リンゴのコンポート、添えたかとです」
「じゃあ、いろいろなリンゴを一つずつ混ぜて持ってかんね。十種類くらいあるけんね、その方が美味しいコンポートになるとよ」
ありがとう、母さん、と言いそうになって、メルシー、と言い直した。

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家に戻り、オーブンを温めて、ポーク・ロティを作った。リンゴはココットに入れて、ちょこっとだけ水を加え火にかけ、砂糖はいれず、蓋をして煮る。すると勝手にとろとろのコンポートが出来あがる。ジャムは苦手だけど、ポーク・ロティに添えられた自然の甘さのコンポートは好きだ。豚肉の肉質ととってもマッチする。息子も美味しい美味しいと言って完食をした。
「今日、マルシェでばばにそっくりなおばあちゃんにあったよ。リンゴ屋さんだ、このコンポートのリンゴを買った」
「へー、フランスのばばの味だね。はじめて食べるけど、懐かしいなぁ」
「美味しいだろ?」
「ばばに会いたいね。コロナ、早く収束してほしい」
ぼくらはなぜかコンポートとポーク・ロティを頬張りながら、福岡のことを思い出していた。

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