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滞仏日記「地下室のメロディ」 Posted on 2020/06/01 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、いつかはやらないとならない荷物の整理をやったら、大量のどうでもいいものが出てきた。ほとんどが書物で、それを段ボール箱に詰め込んだ。それらは地下室に仕舞わなければならなかった。日本のマンションには滅多にないが、こちらの古い建物にはだいたい地下室が付帯している。地下室のことをCAVE(カーヴ)という。ワインとかをまとめ買いして、温度が一定しているので、保管している人が多い。うちの建物は築120年なので、なぜか地下室が広い。大きな部屋が二部屋、納戸のような小さな部屋まで付いている。しかし、獄門島の牢獄のように不気味で、正直言ってめちゃ怖い。階段が急で、もちろん石の階段でつんのめりながら降りなければならない。なぜか3分くらいすると光りが全部消えてしまう仕組みになっていて、借りた当初は、不意に真っ暗になって、でも、灯りをつけるスイッチの場所が分からず、暗黒宇宙のど真ん中に放り出されたような絶望感に見回われたことがあった。肝試しには最適な場所かもしれない。

滞仏日記「地下室のメロディ」

滞仏日記「地下室のメロディ」



なので、滅多に下りることはない。次の引っ越しまで使うことのない家具、古い書物、使わない音楽機材、使わないトランク、古い書類とか、そういうものが放り込まれている。ここで音楽の練習をする強者もいるらしいが、何せ窓もなく、空気が淀んでいる。空気が腐るという感じは想像つかないかもしれないが、何十年も使用されていない空き家に忍び込んだ時に感じるあの黴臭である。とても練習は難しい。で、息子と二人で本の詰まった段ボール箱を地下室へと運んだ。その時、息子が、ナニコレ、と言って一つの段ボール箱を指さした。「百年開けない」と書かれた段ボール箱が二箱積んであった。

 

滞仏日記「地下室のメロディ」

実はこれ、家族が三人だった頃の思い出の品が詰め込まれている箱である。離婚をして、だいたいのものは処理したのだけど、息子の許可なく捨てることの出来ないものがたくさんあった。赤ちゃんの頃の品々が多い。それはいくらぼくが父親でも勝手に捨てることのできないものたちだ。当時、ぼくは幼い息子(当時、小学校5年生だった)のことを思いながら、家のものをたった一人で片づけた。離婚のあと、広い家から一度狭い家に引っ越した。家具やものを半分くらい捨てなければならなかった。でも、息子の思い出を捨てる権利はない。なので、当時の写真とか絵とか赤ちゃんグッズとか、ぼくには重要ではなくても息子が将来見たかったと思うかもしれないと判断されるものは極力そこに詰めて残したのだ。辛い仕事だったが、息子には息子の人生がある。時が経ち、大人になって見たければ、自分の意志で開封すればいい、と思って封印した。その時、ぼくは表面に「百年、開けない」と大きくマジックで記した。しかし、側面には「ただし、君が開けたいと思う時はいつでも開けてよい」という小さな但し書きを付しておいた。



滞仏日記「地下室のメロディ」

そして、そのことをいつかは言わないとならないと思って生きてきた。フランスでは18歳で成人となる。その時に言うつもりだったが、逆に、今がそのチャンスだと思った。地下室だし、非日常の場所だったからだ。ぼくは息子の背中に向かって、はじめてそのことを告白したのである。こういう意味の箱だから、お前が開けたい時に開ければいいよ、と…。すると息子がぽつんとこう言ったのである。
「今あけたら、浦島太郎になっちゃうね」
 竜宮城で浦島太郎が貰った玉手箱のことを言ってるのだと分かった。
「そうだね、開けたら、白い煙が出るかもしれないね」
ぼくらはくすくすと笑いあった。不意に灯りが消えたので、手探りで廊下に出て、灯りのスイッチを探して押した。
「パパ、百年後って、ぼくも生きてないよ」
「この日から百年だからね、もしかしたら生きてるかもよ」
「それ、ちょっと気が遠くなるくらい先のことだね」
今度は大きな声で笑いあった。それだけのことだったが、いつかは言わなければと思っていたことを言えたので、ぼくはスッキリしていた。ぼくらは地下室の扉を閉め、石の階段を再び上った。この子の成長がぼくには誇らしかった。

 
©️Hitonari TSUJI
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