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滞仏日記「今、もう一度、改めてコロナについて考えてみる」 Posted on 2020/06/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ロックダウンの解除からフランスは6週間ほどが過ぎた。ここでぼくはもう一度、このコロナ禍について振り返っている。先の大統領の宣言をもとに、フランスは全土で経済活動へとシフトした。この3ヶ月ほどが幻だったのかというほど一気にここパリでの日常がロックダウン以前の感じに戻りつつある。ぼくが想像していた感じとは異なった。ぼくはロックダウンが解除されてもなかなか人々はカフェやレストラン、ブティックやデパート、ショッピングモールには戻って来ないのじゃないか、と予想していた。しかし、地元のカフェやバーには以前と同じように大勢の人々が歩道に溢れるくらい集まりビールジョッキを片手に社会的距離などおかまいなく、3密状態化飲みに興じている。週末の公園やセーヌ川河畔でも大勢の人が初夏を楽しんでいる。毎週のように何千人、何万人の人がデモ行進に参加し、レピュブリック広場などは埋め尽くす人々で足の踏み場もないほどだ。もちろん、デモ参加者の多くはマスクをしているが、バーやカフェではそうはいかない。夏はコロナウイルスの活動が弱まるという説があるけれど、南米での猛威を見ているとこの説に疑問が点灯する。米国に次ぐ世界第二の感染者を出しているブラジルのここ最近の気温は22度から30度の間と高く、パリの気温は24度なので、夏だから安全とは言えなくなってきた。



ニューヨーク市は昨日、ついに、新型コロナの第一波収束宣言を出した。昨日の一日の死者は25人だった。もっとも酷かった時から考えると驚くほどの減少である。長い戦いを通り抜け、ニューヨークもパリと同様に経済活動再開の流れへと転じつつある。フランス全土の死者数はニューヨーク市よりも少なく、14人だった。一時期は毎日千人もの人が命を落としていたことを考えると、確かに、コロナ危機が通り過ぎつつあるのが数字からもうなずける。トランプ大統領にも毅然と意見し続けてきた米国立感染症研究所所長のアンソニー・ファウチ所長も「さらなる広範囲なロックダウンは不要」と発言している。フランスもこの数字が維持されるならばこれ以降はロックダウンをしないのではないか。



今は確かに一時的に感染拡大に歯止めがかかっているのは数字的にも理解出来る。しかし、急激な経済活動の再開で、この街に繰り出す人々の様子を見ている限り、新型コロナの逆襲がはじまるのは時間の問題だろうという気がしてならない。たしかに人々の衛生観念は驚くべき程に飛躍したし、各ブティックやデパートなどでは相当な対策がとられている。スーパーでも入り口には消毒ジェルが置かれているし、郵便局はいまだに入店制限措置が講じられている。コントロール出来ているようにも見えるのだけど、気が緩んでいる人々が大勢出ているのは明らかで、夏はなんとか乗り越えられても秋以降、この調子で人々の日常生活が開かれ続けていくなら、第二波の到来は目に見えている。けれども、再び感染者数や死者数が増えても、正直、再びロックダウンをやる力がフランスにも欧州各国にも残っていないのは明らかなのだ。じゃあ、どうなるかというと、感染を受け入れていくことになり、市民生活のレベルでそれは処理されていくことになるのだろう。重篤化した患者の周辺で徹底した封じ込めの作業が行われたとしても、その横で経済活動は続くことになる。こうなると、罹らないためには相当な自衛力が必要になる。クラスターが出るたびに、そのことが話題となり、観光業や娯楽業界は不安定な状態が続く可能性もある。フランスだけに関わらず、これは日本でも同様じゃないか、と思う。実際、もう経済活動をこれ以上止められる国はない。

フランスの人々の議論は「どこにバカンスに行くか」に移りつつある。EU圏以外には出られないので、国内旅行を中心にこの夏を家族と過ごす人たちが多くなるだろう。日本も一緒であろう。ぼくも息子と8月には田舎に旅することを計画している。これはパリから避難するための旅ということも出来る。そして、パリジャンが夏に大移動をすると、当然、感染者の少なかった地域で、新たなクラスターが発生する可能性がある、というイタチごっこなのである。

滞仏日記「今、もう一度、改めてコロナについて考えてみる」

自分流×帝京大学