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滞仏日記「下腹ぽっこり、ロックダウン後、4キロ太ったぼくの理由」 Posted on 2020/07/09 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、体重計に乗ってひっくりかえった。というのはこのロックダウン中に4キロ以上太ってしまったのである。そのせいで、いわゆるぽっこり腹になってしまい、昨日、ジャケットを着ようとしたら、ボタンがきつくて、超焦った。実は太ったのには理由がある。近所の行きつけのレストランが再開したので、応援しなきゃと思って、ロックダウン開けと同時に一軒一軒応援する気持ちで回り続けたのだ。中華レストランのメイライの店がいちばん被害が大きかった。ロックダウン前は人気店だったが、なぜか、ばったりと客足が途絶えた。心理的に中華レストランに行く人が減っている、とメイライが言った。息子の親戚のおばさん役を買って出てくださるるほどの仲だから、ぼくは週に3回は顔を出している。他にもフレンチ、イタリアン、モロッコ料理、近所のレストランは素通り出来ない。ギャルソンの子たちにもいつもより多めのチップを置いた。飲食の人たちが大変なのが分かるから自分に出来ることは食べることだろうと胃袋的には無理をした。そもそもぼくは小食なのだ。外食はほとんどしない。その結果、見事に下腹が出てしまった。でも、6月中旬から客足が戻ってきたので、ぼくの役目はこれで終わり、さて、身体を戻さないと…。



このぽっこり腹をへこませるために、最近ハマってるのが「ベストボディライフ」のKEIKO先生の「5分で簡単、お腹に縦の線を作る。アブクラックス・トレーニング」というYouTubeだ。息子のいない一人ぼっちの夜、ヨガマットを敷いて、スパッツ穿いて、KEIKO先生に励まされながら、頑張っている。5分といえ、かなりきつい。でも、ロッカーであり続ける以上、この下腹がなくなるまで頑張らなくてはならない。
「大事なのは、始めようと思った決意と、昨日の自分より少しずつでも進歩していく、こと」とKEIKO先生は言う。
ぼくのポリシーと見事にマッチしている。優しくて厳しい、ケイコ先生の声が暗い室内に弾ける。頑張れそうだ。KEIKO先生の決め台詞は、
「それでは、レッツトラ~イ」
なのである。若いくせに、レッツトライ、とは恐れ入った。そういうところがツボなのである。

午後、息子に ça va ?とメールを送った。本当に何にも連絡が戻ってこない。返事がないのは元気な知らせとはよく言ったものである。忘れたころに、oui、だけ戻ってくる。他に何か、ないのか? こんなことがあったとか、こんなに美味しいものを食べたとか、友だちが出来たとか、みんなとこういう会話をしたとか、日々の出来事を教えてくれても良さそうなものだが、どう思います?

滞仏日記「下腹ぽっこり、ロックダウン後、4キロ太ったぼくの理由」

昼過ぎ、息子を預かってくれているアンナのお母さんのシルヴィから一枚の写真が送られてきた。息子が浜辺で子供たちと遊んでいる写真である。広々とした浜辺にぽつんぽつんと子供たちが等間隔をとって立っている写真だ。息子はアンナちゃんと二人で仲良くしている。奇妙な絵であった。知らない家族の中にいて、その中でフランス人家族の中で何一つ違和感なく、存在している息子くん。彼はどこでも生きていけるようだ。ぼくの知らない顔をしている。フランスで生まれたこの子にとって、精神的祖国はフランスなのだろう。フランスの国歌も最後まで歌えるし、北フランスの海岸線に白人の家族の中に混じっていても、何一つ違和感を感じさせないのはさすがだ。この子はどういうアイデンティティを持って生きて行くのだろう、と思いながら、しげしげと写真を見つめてしまった。もはや、あっち側の人間で、ぼくはまたしても、寂しい、思いがした。でも、彼の幸福を考えれば当然のことであろう。一枚の写真だったが、そこにはストーリーがあった。

滞仏日記「下腹ぽっこり、ロックダウン後、4キロ太ったぼくの理由」



下腹も出たし、やることもないし、息子もいないので髪を切りに行った。どうします、と言われたので、短くお願いします、と言った。髪の毛のように、このお腹もばっさりカットできるといいのだけど、と思いながら、鏡に映った自分の顔を見つめていた。

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