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リサイクル日記「無理して上を見ない、まっすぐ前を向いて生きる。人と比較しない幸福論」 Posted on 2022/08/26 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝起きると、ぼくがまず自分に向けて呟く言葉がある。
「また、朝が来た。また、起きた。今日を精一杯生きたろう」
である。
この話は、前日の夜から始まっている。ベッドに潜り込んで薄暗い天井を見上げながら、
「また一日が終わるんだ。よく生きたねぇ」
と自分に呟く時から…。
生きてきたことに感心するというのか、これはある意味、自己最高記録を更新した達成感であり、ずいぶん長く生きてしまったね、という自分への労りと驚きであり、人間の不思議を思う祝辞でもあるのだ。

ある時間になると目が開き、人間は朝を迎える。「おお、朝が来たよ」という感動と共に、「また、起きた。新記録だ」と喜ぶのだ。当たり前のことだけど、この当たり前を有難いことだと思えるかどうか、で人生は変わる。

リサイクル日記「無理して上を見ない、まっすぐ前を向いて生きる。人と比較しない幸福論」



まず一日と向き合うモチベーションが違ってくる気がしてならない。
「ありがとう」は「有難う」であり、「有難い」は「なかなかあり得ないこと」なので、その奇跡に対する感謝が「ありがとう(有難う)」なのだと思えば、自ずと口元が緩まないか。

辛いことが続く毎日だからこそ、朝がやってきたら、まず流れを掴みたい。悪い気持ちに包まれながら「また、嫌な朝だ。きついなぁ」と思って起きるのと、「今日を精一杯生きたろう」と前向きな気持ちに包まれて元気よく目覚めるのとではずいぶん違う。
人生というのは、小さな波の連続だ。朝は間違いなく、その波の始まりである。この朝のリズムを掴む運動は、とっても大事で、まさに、「運気を上げる」最初の行動となる。運気なんて、そんなに信じてないけど、ようは流れのことだと思う。流れに乗れると、なんかいいことを呼びよせることが出来るような気がしてくる。
くらーくなっている人のところにはなぜか、明るい話題が集まらない。昔、暗かった頃、暗かったものしか呼び寄せることが出きなかった。ある日、これじゃダメだな、と気づくことが出来た。そうだ、これも奇跡の一種なのだ。
だから、そういう時こそ、気分を変える、流れを変えるのに、適しており、一日の中でも、朝は最適ということになるのだ。自然と自分のペースを打ち出すことが出来る。
「また、朝が来た。今日を精一杯生きたろう」



午後、仮に悪いことが立て続けに起きたりすることもあるので、そういう時には素早く気分を入れ替え「今日はダメだった。ここは抗わず、揉めずにおとなしくやり過ごそう。明日になればまた、希望がやってくる」と考えて、謙虚に、流れをまた変え手仕舞えばいいのである。
都合がいい感じもするけれど、一生は自分のもの、悩んで生きても、楽しく生きるのも、その人次第なのだから、楽しまないと損だと思う。想定外の悪いことが起きる場合は、厄払い、と決めつける。

いい日と悪い日は交互にやって来るのだから、悪かったということは明日よくなる、と理由のない安心感で乗り越えていく。ようは、大事なことは、いい風に解釈をし、いい風に考えていくことだ。躓いて転んでいつまでも、そこでいじけても一生。何かを拾ってすぐに起き上がって再び歩き出すのも、一生である。転んだ時に掴んだものが「経験」ということになる。ぼくは若い頃、自分にこう言い聞かせていた。

「落ち込んでもいい、人間だから。でも、すぐに立ち上がれ。ぐずぐず生きるくらいもったいないことはない。落ちこむ瞬間は全部一緒で、違いはそれをどれだけ早く断ち切れるかだ。倒れたら、すぐに、起き上がれ」

これは息子にも言っている。誰かにいじめられて、そこが生きにくかったら、そいつから離れたらいい。78億以上の人間がいるのに、その人は君の運命じゃない、と教えてやっている。

今、生きている場所、働いている場所、学んでる世界が、自分に合わないなら、軌道修正をすればいい。君が生きる場所はそこだけじゃない。地球は広いんだ、と教えてやる。もちろん、そんな簡単なことじゃないし、投げ出さないで頑張るのも、ある程度はいいと思う。でも、苦しいなら、それはすでに間違いだ。乗り越える価値がある時に歯を食いしばるのは、苦しいことではない。苦しい、辛いのにそこで頑張る必要はない。意味のある苦しさか、意味のない苦しさかで判断をすればいいのだ。

そもそも、その悪い環境や関係は呪縛でしかない。呪縛なら振り払え。とらわれないで済む。人間なんて、いつかは死ぬんだから、何に対して頭を下げ続けないとならない?ひと様に迷惑をかけず、愛を持って生きることが出来たら、あとは自由だ。ぼくはそうやって毎朝をスタートさせている。



リサイクル日記「無理して上を見ない、まっすぐ前を向いて生きる。人と比較しない幸福論」

新しい朝に新しい一日をどうしてやろうと考えられる幸せ。ぼくはこれを幸福と呼んでいる。人と自分を比較しない、むやみに手の届かない世界を見上げない。自分の場所にあるささやかな幸福に勝るものはなし。
「また、朝が来た。また、起きた。今日を精一杯生きたろう」

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