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滞仏日記「パリへの帰り道、思わず、息子に説教されてしまう」 Posted on 2020/07/16 辻 仁成 作家 パリ

これは夏の物語だ。

その時、ぼくは人間に期待をしないことが、落胆をしない一番の方法だと思っていた。
でも、息子はぼくとは根本から異なる考え方を持っていた。
「パパ、人間は期待していいんだよ」と彼は言った。

某月某日、ちょっと寝坊した。起きたら、チェックアウトの時間だった。ホテルを出て、大聖堂を拝んで、運河沿いを歩き、カフェテラスで朝昼兼用の朝ごはん、クロワッサン、パンオショコラ、カフェオレ、オレンジジュースを食べてから、出発することにした。
息子に、
「これから君のいる村まで迎えに行くけど、いいかな?」
とメッセージを送った。
「ウイ」
と一言返事が戻ってきた。

滞仏日記「パリへの帰り道、思わず、息子に説教されてしまう」

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滞仏日記「パリへの帰り道、思わず、息子に説教されてしまう」



ずいぶんと長いこと、田舎道を走った。ナビが「目的地が近づいています」と教えてくれた。
本当に何もない、田舎の村だった。
周囲は牧場…。カフェもスーパーも本当に何もない。牛とか羊しかいない土地である。「目的地に到着しました」と機械の女性の声が教えくれたので、ぼくは車をとめた。
小さな道のつきあたりに大草原の家があった。
豪華な家ではない、まさに古い家を自分たちでこつこつと改造した手作りの家である。
柵で囲まれており、覗くと庭があった。中央に木が二本聳えていて、その間にハンモックがつるされてあった。
若い子たちが椅子に座って思い思いの恰好で本を読んだり、話し込んだり、くつろいでいた。
まるで絵画のような不思議な世界であった。奥の方で、息子が掃除をしていた。ちゃんと家のことやってるんだ、と思うと微笑みが零れた。
毎日何をしていたというのだろう、変な奴だ。
女の子の一人が柵越しに覗き込んでいるぼくを発見し、息子に駆け寄って、伝えた。
ぼくが手を振った。家族が次々に気が付いて、ぼくの方へとやってきた。
見事なほどの白人家族で、その中に1人、ぽつんと混ざっている息子の立ち位置が不思議でもあった。
「やあ、はじめまして。みなさん」とぼくが挨拶をした。

滞仏日記「パリへの帰り道、思わず、息子に説教されてしまう」

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アンナのお父さんとお母さんがやって来て、門をあけた。
ぼくは笑顔で中に入った。
息子が女の子たちの後ろに立ち、鼻の下を伸ばすような感じで、くすぐったそうに、笑いを浮かべている。この子の照れている時のいつもの癖だった。
「どうぞ、コーヒーでも飲んでいってください」
と言われたのだけど、実は今日、締め切りだったので、のんびりする時間はなかった。
すぐにパリに戻らないとならないので、謝った。
「のんびりしたいところなのですが、戻らないとならないんです。次回、パリに来ることがあれば拙宅にお立ち寄りください」
と言い訳をしてそこを離れることになる。
コロナの時代だったが、ぼくはみんなと握手をした。なぜか、嬉しかった。3月17日のロックダウン以降、ぼくがはじめて握手をした人間たちだった。

滞仏日記「パリへの帰り道、思わず、息子に説教されてしまう」

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助手席に大きくなった息子がいた。
「人の家に泊るのはどんな気分? どうだった? 掃除していたから、驚いたよ。うちでは掃除なんかしないくせに」
と戻る道すがらぼくは息子に旅の感想を聞いた。うん、と息子は言った。
「まあ、そうだね」
思い出しているようだったから、話したくなるまで聞かないことにした。
ぼくたちはいつもこんな感じだ。
ぼくが運転をし、横に息子がいる。ずっと、こうだった。こうやって、二人は車で欧州を旅してきた。
会話はないのだけど、会話以上のものがある。ストラスブール、南仏、ボルドー、ブルターニュ、ベルギー、ロアール、ナント、リオン、フランス中を二人でドライブした。
この子が小学生の頃から二人で旅を続けてきた。200キロ、300キロ、400キロは普通だった。
その間、とくに会話は無かった。でも、それが逆を言えばぼくら父子の会話だった。
「腹減ったか? もう夕食の時間だけど」
「うん、減った」
ぼくらは高速道路のサービスエリアに入り、フードトラックのハンバーガーショップで食べ物を買って、少し離れた丘の上のテーブル席に陣取って、夕飯を食べることになった。
思った以上に本格的なハンバーガーで、とっても美味しかった。

滞仏日記「パリへの帰り道、思わず、息子に説教されてしまう」

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「あのね、パパは誰かいないの?」
いきなりだったので、ハンバーガーが喉につっかえてしまった。
コーラで胃に流し込んでから、変なこと聞くなよ、と戻した。
「家族っていいよ。たしかにパパが懲りてるのはわかってるけど、ぼくが結婚をして家を出たら、パパ一人になる。考えてみてよ。100歳まで生きるならまだ人生、残り40年もあるんだよ。パパは絶対長生きする。白髪もないし、ストレスないでしょ?」
「あるよ」
「でも、今はいいけど、そのうち寂しくなるよ。いつまでも自分を責めて生きても仕方ないよ。ぼくは勝手に大人になるし、パパはほっといてもおじいちゃんになる。寂しさを埋めるためじゃなく、同じような価値観持ってる人がいい。心の痛みを分かちあえるし、逆に、楽しく生きればいいじゃない。きっとパパの料理を喜んでくれるはずだ。ぼくも寂しくなくなるし」
「・・・」
「家族って、日々に意味を教えてくれる存在なんだと思う。ぼくはアンナの家族からたくさんのことを教わった。一人一人の役割とかがちゃんとあって、羨ましかった。お父さん、お母さん、娘たち、従兄がいて、その友達たち・・・。パパと二人で生きることが出来てよかったけど、ずっと二人っきりというわけにはいかない。ぼくが家族を作るまでにはまだまだ時間がかかる。ぼくのことなんか気にしないで、探しなよ」
「パパはむかないんだよ。一人が好きだし、ご存じの通り、なかなか難しい人間だからね。こういう変な人間と好んで生きてくれるモノ好きはなかなかいない、ってか、パパはもう期待してない。期待し過ぎるから、人間は苦しくなんだよ」
「それ、パパの口癖だけど、間違いだ。アンナの家族はみんな期待しあってた」
ぼくは驚いた。居心地が悪くなった。

「アンナのお父さんは、アンナに期待していたし、アンナはお母さんに期待していたし、妹たちも、アンナに期待していた。みんな、物凄く家族に期待していた。ぼくは羨ましかった。期待し合えるってすごいことじゃない?」
息子の視線から目を逸らしてしまう。
「パパはきっと期待をしなかったんだよ。期待を裏切られるのが嫌で…。でも、期待をすることの方が大事だ。たとえ裏切られても、期待し合える関係ってぼくは素敵だと思う」
息子に説教をされてしまう。途中からフランス語になっていた。
「田舎の暮らしって、期待しかないんだ。人数が少ないから逃げ場がない。だから、開かれた期待をする。ぼくは期待されたから、掃除をしたり、朝ごはんを準備したり、片付けたりしたけど、それは悪くなかったし、嫌じゃなかった。むしろ、みんなに期待されたことで、自分の存在理由が、役割が、意味がわかった。期待の向こうに、ありがとう、があった。ありがとう、と言われると、また頑張ろうって思える。それは、悪いことかな? 人間らしい。パパ、他人に期待してもいいんだよ。期待しないだなんて、思うからうまくいかなくなるんだ。知ってるよ、パパがいつも最後は人を許していることを…。でも、そろそろ、パパも誰かに期待をして生きてもいいんじゃないの?」

地平線の向こうに、夕陽が沈もうとしていた。

 
©️Hitonari TSUJI
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