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滞仏日記「一家団欒(だんらん)のある幸せな日曜日」 Posted on 2020/09/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、昼前に家に戻ると、息子がキッチンで昼食の準備をしていた。
「あ、早かったね。どうだった」
これはいつもぼくがする質問なのだけど、今日は息子に言われてしまった。
そこで、いつも息子がぼくに戻す台詞をそのまま返してやることにした。
「うん、よかったよ」
すると、息子は納得した顔をして再び料理に戻った。
よかったよ、と答えると、その次に言葉が続かない。
でも、これは生存確認のようなぼくら父子の合言葉なのである。
その時、携帯にラインが入った。覗くと、福岡の弟からであった。
「母が喜んで観ていました。明日のベルサイユ宮殿も楽しみです。ありがとうございます」
弟は昔からぼくに敬語を使う。
ぼくがのマネージャーを一時期やっていたことがあって、それ以降、ずっと敬語なのだ。
そういえば、母さんも僕に敬語を使う。ぼくは家族にまで気を使わせているということかもしれない。
「恒ちゃんから。母さんも今日のエッフェル塔からの中継観たんだって」
ぼくは料理をする息子の背中に向かって言った。
「え? 生だったの?」
「そうだよ。明日はベルサイユ宮殿から生中継。お前どうせ、見ないだろ?」
「たぶん」
たぶん、と訊いて安心している父ちゃんであった。



「でも、ババはきっとテレビ画面にうつる元気なパパの姿を観て嬉しいんだよ。だから、明日もババのためにがんばったらいいんじゃないの?」
こういう一言は本当に余計なのだ。親の苦労、子知らず、である。
「で、何作ってんの?」
「今日はスパゲッティだけど、パパのも作ってあげようか?」
「いや、大丈夫。お腹すいてない。ちょっと疲れた」
すると、息子が火を止めて、こっちを向いた。
「思うんだけど、頼まれたら断れない性格、何とかした方がいいよ」
「え?」
「パパは、ノンって言えないからいつもそうやって責任を抱えちゃう」
ぼくは驚いた。
ぼくは言葉にしたことがなかったけど、そのせいで自分が嫌いになることがあった。
人から頼まれ、頼まれると断れず、調子に乗って、でも、その一部始終を実は息子は見ている。
そして、時々、こうやって遠くから石を投げつけてくる。
「パパが全部を抱える必要ないんじゃない? 楽しんでやればいいんじゃない」
ぼくは思わず俯いてしまった。
「ぼくがパパの仕事に興味がないのには理由がある。いい時もあるのは知ってるけど、くたくたになって帰って来るの見たくない。お疲れ様って言って、肩でも揉んでやりたいけど、ぼくもそういうの出来る子供じゃないから」
痛い、痛い、痛い。
「みんな、パパに甘えてるよね」
痛い、痛い、痛い。



昼寝をした後、ぼくは出かけた。どんなに忙しくても、夕飯の準備、掃除洗濯はしないとならない。クリストフのカフェに行き、カフェオレを頼んで飲んだ。
「どうした? 浮かない顔してるね」
「そうかな? 元気なんだけどなぁ。さっき、息子にも痛いところつかれたんだ」
「一番近くにいる人間だから、いろいろ気になるんじゃないの? 楽にやればいいよ」
「楽にやれないんだよね。ぼく、休んだことないんだ。ずっと仕事している。もう何年も」
「なんで?」
「バカンスも、必ずパソコン持って行くし。休日は繁盛期で、ぼくにとって日曜日っていうのは頑張る日なんだよ」
「そりゃあ、女にもてないタイプだな」
ぼくが笑うと、クリストフも笑った。
ロックダウンの後、カフェが再開した初日、クリストフがぼくを見つけるなり駆け寄って来て、「嬉しいんだ。こうやって仕事が再び出来ることが嬉しいんだよ」と興奮気味に叫んだ。
ロックダウンの前まで、不平ばかり言っていたのに、と思った。
でも、人間はこうやって働いて生きてる実感を掴んで、生きる生き物なのだ、と思った。自分もそうだ、と思った。
5月のクリストフの顔を思い出した。
「たぶん、明日の朝になるとまた元気になっていると思う」
ぼくがそういうと、
「じゃあ、このカフェオレはぼくからのギフトだ。明日のための」
と言った。
「なんで?」
「たまにはいいじゃないか? そういう日があっても」
なんか、心に優しくて響いた。
「そういう日があっても」いいと思う。



魚屋で小ぶりのスズキを買い、蒸した。クレソンのお浸しも作った。
「ご飯だよ」
暗くなったので、夕飯にした。ぼくはビールを飲んだ。会話は無かった。
「学校、どうだった?」
すると息子がふきだした。それから、真顔になって、
「パパ、今日、日曜日だよ。明日に備えて寝なよ」
と言った。

滞仏日記「一家団欒(だんらん)のある幸せな日曜日」



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