JINSEI STORIES

滞仏日記「この不条理な世界の片隅で僕が考えたこと」  Posted on 2019/06/25 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日は大変な一日となった。フランス生まれの息子の通行許可証(仮のパスポートのようなもの)の更新のためにシテ島にある警察へと出向いた。パリで生まれた移民の人たちもまたここで同じような許可証を作り、更新していかなければならない。息子はフランスで生まれているので僕とはタイトルが違う。彼にはフランス国民と同じような権利が与えられている。しかし、だからこそ同時に、その更新は容易ではない。必要書類だけでも30数枚を超える。そのどの一つにもミスがあればはじかれてしまう。書類集めだけでも膨大な時間がかかるし、(日本から戸籍謄本などを取り寄せ、法定翻訳しなければならない)とにかく、一苦労なのだ。

前はランデブーがとれなかったので、長蛇の列に並ばなければならなかった。たぶん批判が相次ぎ、予約制になったのであろう、時間に行けば中に入れるようになった。でも、僕は10時ちょっと過ぎに警察に行き、そこを出たのが15時過ぎだった。受付が終わって許可証更新のセクションのベンチで4時間近く待たされたことになる。アフリカ系が一番多く、次にアラブ系、アジア系と続く、白人の人は意外と少ない。僕の周りはアフリカの子供たちであふれかえっていた。目の前の子は2時間くらい泣き続けていた。泣いていても事態が変わるわけじゃない。パリは今週猛暑が続いていて、40度近い異常事態だ。泣くのも無理はない。もちろん、冷房なんかないし、係員は昼の時間になるとみんなご飯を食べに行くので、彼らが食べ終わって戻ってくるまでそこで待つという不条理が続く。気の立った男が騒いだ。一瞬で警官がやってきて連れ出されてしまった。

しかし、外国で生きるということはこういうことの繰り返しで、パリに来るなら観光ビザで滞在するのが一番幸福であろう。僕のように20年近くもここで生きているとタイトルの更新ばかりに神経を使ってくたくたになる。「パリで暮らせていいですよね~、羨ましい」とよく言われるけど、この経験を一度でもしたら、「もう、結構です」となるのは明らかだ。こういうことを日々乗り越えていくことが異国で生きるということなのである。

僕の番が回って来て、審査がはじまってすぐ、担当の人が「この写真、眉に前髪がちょっとかかっているけど、これじゃ、許可できない」と言い出した。ここで追い返されるわけにはいかないので、必死で頼み込んだ。「じゃあ、通行許可証の受け取りの時にひたいが全部出ている写真を新たに持ってきてください」と言ってくれた。内心焦っていたが、それを顔に出すことも出来ないので、黙っていた。受取日を7月14日と指定された。
「すいません。それは無理なんです。僕も息子も週末から日本なんですよ。木曜日、金曜日が中学卒業試験で、それ終わりで息子と僕は日本に向かうんです。だって、バカンスじゃないですか」
「え、君、何を言ってるの? 申請から15日間はどこにもでちゃいけなんだよ。通行許可証がないと戻ってこれなくなるよ」
「知りませんでした」
「そういうルールなんだよ。秋までまだ時間があるから出直してください」
「いや、ちょっと待って、秋はオーチャードホールで還暦ライブが」
「は?」
「いや、秋は、仕事で日本なんです。その時期にこれをもう一度やるのは難しい」
「じゃあ、今、今週末発の飛行機のチケット持っていますか?上司にかけあうので、本当に、日本に行くという証拠が必要になります」
目の前が真っ白になった。そんなもの持ってるわけがない。必要書類の項目の中に書かれているだけの書類しか持ってこなかった。でも、待てよ、と僕は自分に言い聞かせる。もしかしたら、携帯に記録が残っているかもしれない。携帯を取り出した。
「ああ!」
思わず大きな声を出してしまった。
「どうしました?」
4時間半控室で待っている間、僕は退屈だからずっと携帯を見ていたのだ。そのせいで電池の残量が1パーセント。こういう時、人間というのはおしっこをちびりそうになる。僕はそうなった。その上、そのまま後ろにひっくり返りそうになった。でも、探すしかない。余計なことを考える暇はない。なんとかチケットを携帯の中に発見した時の僕の興奮と不安をどう言葉で表せばいいだろう。僕は急いで携帯を担当官に見せた。1パーセント、もってくれ。彼はじっと携帯を見ていた。そして、しぶしぶ、OK、と言った。担当官は彼の上司を呼びつけ、どうしたらいいか、と意見を仰いだ。年配の女性だったが、僕を一瞥し、やってあげなさい、と言った。
「でも、見て。今週はどの日もびっしりだよ。こんな状態なんだから。出直してきてもらいましょう」
と担当官が否定をした。するとその上司は予約表の明日のページをいきなり開いて、
「ほら、ここ。空いてる。明日だけど、あなたはこれますか?」
と僕に優しい声で言ったのだ。
「ぼく、もちろんです。来ます。明日、貰えるんですか?」
「大丈夫よ。そうすれば息子さんは新しい通行許可証を持って日本に行くことができる。つまり、フランスに戻ってくることが出来るでしょ」
僕にはそのマダムが天使に見えた。

しかし、今日の大変はここで終わることはなかった。家に帰り、息子と写真を撮りに出たところで、今度は息子の同級生のお母さんから電話がかかって来たのだ。
「ムッシュ、大変なことになった。この夏の異常気象で、週末の中学卒業試験が7月の2,3日に延期になるんだって。あなたたち、日本でしょ?」
僕は思わず車を側道に止めてしまった。
「パパ、どうしたの?」
と息子が聞いてきた。
「ちょっと、待って。今は何もパパに訊かないでほしい。少しだけ自分を保つ時間が必要なんだ」

滞仏日記「この不条理な世界の片隅で僕が考えたこと」