JINSEI STORIES

滞仏日記「別れのクレープ」 Posted on 2019/08/11 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、人は恋する生き物だ。息子も例外ではなかった。この星に生れ落ち、いろいろと苦しい経験もあり、こんな無粋なオヤジとの二人暮らしを得て、15歳で恋人が出来た。恋に落ちた息子は何かが変化した。その変化がこれから家庭にもたらすだろう問題もだいたい想像がつく。その変化が彼の未来に及ぼす影響もある程度は想定内である。そして、楽しかった出会いの4日間が過ぎた。今日は別れの日。

朝9時に息子の恋人は宿にやって来て、二人で出かけた。12時にチェックアウトしなければならないので、父ちゃんはパッキングをやってから、締め切りのエッセイの仕事を片付けた。11時少し前に二人が戻って来たので、パッキングをさせて、チェックアウトし、三人で別れの昼食を食べにナント名物のクレープ屋さん(HEB KEN、サイトで見つけたのだけど、おススメ)に出かけた。僕はオーソドックスなハムと卵のそば粉のガレットを注文した。息子はソーセージとマッシュルームの塩辛いガレットを、エルザはチョコレートと生クリームの甘いガレットを注文した。塩バターのしょっぱさが決めての実にうまいガレットであった。

食べている最中に、「エルザの親が正月一週間いなくて、彼女一人なんだけど、パリに呼んでもいいかな」と息子に日本語で聞かれた。僕はガレットを頬張りながら、ダメかな、と冷静に返した。
「なんで?」
「君たちはまだ未成年だからだよ」
と僕は出来るだけ優しく言った。
「でも、向こうの親ごさんは許可をくれるみたいだよ」
「それはそっちの親ごさんの意見であって、こっちはまた別だろ? 受け入れる側のパパがノンなんだから。そもそも15歳の娘さんを受け入れるだけの許容量はうちにはないし、そこには物凄く大きな責任が生じる。会いたければ日帰りでナントまで自力で行け。格安チケットを探し、与えられているお小遣いの範囲で行動するのには誰も反対はできない。でも、そのためにパパが旅費を払うこともしない。自分たちで話し合い、学校や、法律や、親の意見を守りながら、この国の成人となる18歳までは遠距離の愛を貫くしかない」
僕はそこまで日本語で言ってから、最後にフランス語に切り替えた。
「恋は焦らずに」
二人は顔を見合わせた。エルザは静かに頷いたが、息子は納得出来ない顔だった。

僕は息子が恋人をトラムの駅まで送っている間、路駐している愛車の車内で待った。幼かった頃の息子のことを思い出していた。あの子に恋人か、と思うと微笑みがこぼれた。でも、甘やかすわけにはいかない。

今回の旅はそれなりに意味があったけれど、アッシー父ちゃんには二度とならない。ここから先、会いたい気持ちをどうやってコントロールしていくのか、息子と彼女にとっては試練になる。でも、人生を生き切る上でお互いいい勉強にもなるはずだ。こればかりは自分たちで解決していくしかない。戻って来た息子は無口だった。帰り道の400キロ、僕らは一言も口をきかなかった。家に帰ると、彼は自分の部屋に入り、珍しくドアを閉めた。がんばれ、と僕は心の中で呟くのだった。 
 

滞仏日記「別れのクレープ」

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