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滞仏日記「権利を主張しないと生きられない世界」 Posted on 2019/12/10 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、5日から始まった首都パリの鉄道・国鉄・バスの無期限ストライキは今週も続くことが濃厚となった。95年に3週間というストを経験したことのあるパリの人々はこの麻痺した首都機能と混乱の中、仕事場や学校へ自力で通っている。うちの息子の学校は今日、休校だった。(ちなみに公立校は普通通りやっている)明日から期末試験なので、それに備えての休みだったが、今しがた学校から、明日は休校にした、という連絡が届いた。友だちとスカイプで話し込んでいる息子のところへ行き、明日学校ないみたいだよ、と告げた。すると、スピーカーから、すいません、うちの母が学校に抗議したので、休校になったんです、とウイリアムが言った。どういうこと?



「明日、学校周辺で大規模なデモがあるかもしれないと発表があって…。子供たちが徒歩で学校へ集まるのは危険すぎると昼頃に抗議したらしいんです。決まりだからと跳ね返されたのですけど、子供が巻き込まれて怪我したらあなたたちは責任負えるのね、と食い下がったら、さっき校長から電話があって、休校にするって」
「マジか?」
「はい、マジです」
息子がクスクスと笑いながら、やるでしょ、と言った。
「じゃあ、試験は?」
「一日ずれて、水曜、木曜、金曜になりました」
「当然でしょ」と息子が言った。
実は火曜日のデモが最大級になるというニュースが昨日テレビで流れたばかりだった。労働組合側と政府の調整が大詰めに入った。労働者たちはここで圧力をかけたい。フランス人は普段おしゃれでおとなしいイメージがあるが、こと自分の権利や主義に対しては血眼になって戦う。明日は天王山、勝負の分かれ日である。だからパリ全域でデモがある。だいたい前もってデモのスタート地点とコースが発表になる。これは黄色いベスト運動(ジレジョーヌ)も一緒で、近くにデモ隊が来る場合は建物のエントランスに張り紙が出る。そういう時、住人は自宅近くの車を安全な場所へと避難させる。

滞仏日記「権利を主張しないと生きられない世界」



12月のパリと言えばクリスマス目当ての観光客で溢れかえり、ジングルベルのイメージだけれど、そういう空気はあまりない。この時期に観光でパリに来られた人は本当にお気の毒である。地下鉄がそもそも走ってないのだ。走っているのは自動運転のメトロだったりする。でも、凄く刺激的な街であることには変わりないし、ここで暮らしだして、人間には権利があり、それを当たり前に主張していいのだということを学んだ。ウイリアムのお母さんのように誰もが自分たちの生活の向上や安全のために声を上げる。日本だと周りを気にして、手を振り上げられないことも多い。フランスはそれが全然ない。みんな主張するので、主張しないと損をする。主張しない人は権利を貰えない。警察や区役所で、ノン、と言われても必死で食い下がり、あらゆる資料を持ち込んで、本当にあの手この手で説得し続けると、ウイ、に変わるのがフランスだ。諦めた者はここでは生きていけない。ぼくは結構図々しいくらいに主張してきた。それでこの国で20年近く生きることが出来ている。

昨日、水漏れ問題から、漏電や天井崩落の危険性までが飛び出したが、その程度のことで、ぼくは絶対に負けない。全部跳ね返す。必ずここの管理組合と渡り合い、権利を勝ち取るつもりだ。ぼくは観光客じゃない、市民だ。そうじゃなければここでは生きられないし、子供を育てられない。人間は生まれた時にぎゃあぎゃあ泣いて出てくる。『ここにぼくがいるんだぁ』、と赤ちゃんたちは主張している。言葉も喋れない赤ん坊たちはすでに権利の塊なのである。そのことを思い出すのだ

滞仏日記「権利を主張しないと生きられない世界」

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