JINSEI STORIES

滞仏日記「男がキッチンで真剣に料理と向かう時」 Posted on 2019/02/25 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、フランスはスキー休暇に突入した。僕らはスキーには行かないし、旅行の計画もないので、息子と2週間朝から晩までずっと一緒だ。息子が学校に行ってる間は息抜きが出来るけど、休みだとそうもいかない。その上、フランスのバカンスは長い。夏は2か月も休みだし、それ以外に2週間規模の休みが4回ほどある。土日も合わせると、年の半分は学校がないという計算だ。それでもフランスの学力は高い。たくさん休むからメリハリがあって逆に効率がいいのかもしれない。でも、その分、親は大変だ。息子の飯番だけは勘弁してほしいと思いながらも朝昼晩とキッチンに立つ。昨日はほうれん草のおひたし、巻き寿司にサーディンの南蛮揚げを作り、今日は自家製のオレンジ塩で作った鯛のカルパッチョと洋風炊き込みご飯、そうだ昼には手作りの味噌カレーラーメンなんかも作った。朝は簡単な和定食かサンドイッチだが、飽きさせないように多少の工夫はしている。でも、食べることをいい加減にしないことが生活の基本なので、いわゆる手抜きとか時短というのはあまり目指さない。一食入魂が僕の料理哲学だ。

献立を考えるのがやはり一番面倒なのだが、でも、何を作って食わそうか、と考えることは同時に料理の醍醐味でもある。一人で子供の面倒を見ないとならなくなった時、僕は料理に集中した。パリは狭いのでいろいろと悪口とか噂話を言いふらすどうしようもない連中がいる。そういうくだらない世間の陰口をいちいち言いつけに来る連中もいて、離婚の直後には世の中の低俗さに辟易した。東京で何か言われる分には構わないけど、パリは狭いので、息子の耳に余計なことを入れたくなかった。日本人が経営するレストランに行く必要もないし、日本人社会と付き合う意味もない。そういう時に僕は人生修行だと思ってキッチンで料理と向かい合うようになる。たかが米を研ぐことだが、これが実に大事な人生修行となった。毎年、味噌を仕込むようになった。味噌をタッパーに叩きつけ、空気を抜く作業工程の中に、僕は生きることの基本を見つけた。包丁で鱸を三枚におろし、ピンセットで骨を抜き、薄く切って皿に並べ、手作りのオレンジ塩をかけて食らう。とにかく、時短はしない。むしろ丁寧に料理と向かい合うことにした。それが生きることを思い出させてくれる。生きることを馬鹿にしないことだと教えてくれる修行となった。確かに料理は面倒くさい。そもそも生きることは面倒くさい。でも、そういう人生を選んだのは自分だし、ごちゃごちゃ言ってもはじまらない。自分に自信があるなら黙ってろということだ。陰口に反論するのは馬鹿者だと自分に命じた。生きる姿勢を貫くことが納得する人生を手に入れる正しい道のりだと思った。丁寧にまじめに生きることしかない。そう思うと、このバカンス時期の料理はさらに僕を逞しくさせてくれる修行に他ならないと思えてくる。筋トレをやるマッチョな男子に負けない精神を僕は持っている。いや、多分、料理で鍛えた心の筋肉は鋼のように強いと思う。男がキッチンで料理と向かい合うことは男らしくないことだろうか? 男はジムで筋トレをやっていればいいのだろうか? どのような精神が宿っているのかが大事じゃないか、と僕は思う。わき目もくれず黙って料理をしろ、と僕は僕に命じる。

市場に行くと美味そうなイワシがあった。しかも大漁だったのだろう、恐ろしく安いのだ。どっさりと買って帰り、片栗粉をはたき、油で素揚げし、南蛮ダレにくぐらせ、その上から卵と紫玉ねぎで作った特製のタルタルソースをかけて、食卓に出した。息子は「美味しい、美味しい」と言いながら完食した。そうか、美味いか、それは何よりだった。それでいいじゃないか、と僕は思った。
 

滞仏日記「男がキッチンで真剣に料理と向かう時」