JINSEI STORIES

滞仏日記「今日はちょっと調子に乗ったな、三四郎よ」 Posted on 2022/02/09 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ところで、辻家にもパリにも慣れてきたのはいいのだけど、今日はちょっと調子に乗りすぎたな、三四郎。
この前、ぼくが怒って、鬼辻大魔神になったことで、吠えてはいけないということをなんとなく学んだはずの、三四郎。
翌日には元気がなくなり、尻尾を振らなくなったので、ちょっと心配をした父ちゃんだったが、叱られたことなどなんのその・・・。
今日、父ちゃんがちょっと優しくしたら、いきなり今度はエンジンがかかって、朝からいたずらのオンパレード・・・。
ということで、だんだん、犬の人格というか、犬格というのがぼくにもわかるようになってきたのであーる。
思えば、二週間前、1月の20日に、フランスの田舎にあるブリーダーさんの家に三四郎をお迎えに行った時の、あの物静かで控えめでおとなしくてちっちゃい子犬の三四郎は、
「この子、吠えたりするのかな、何か心に暗い影を抱えているのか」
と心配したくなるほどに、おどおどしていて、超シャイであった。
しかし、あれは嘘だったのか? 
あれはポーズだったのか?
犬が猫かぶってたのかい? 
え? 三四郎よ! というくらい、今はぜんぜん別犬である。

滞仏日記「今日はちょっと調子に乗ったな、三四郎よ」



まず、いたずらをする時は、その直前にぼくの顔をちら見して、にやっとはしないけど、なんか、一瞬、様子を見たあと、よっしゃー、という感じで、不意にいたずらをやらかすのである。
その小悪魔的な変貌は確かに可愛いけど、看過できないほどに、ひどい。
ぼくがちょっと仕事部屋にこもって、エッセイを書いていたら、普段は寂しがって、鼻を鳴らして「遊ぼうよー」と訴えるくせに、シーンと静まりかえっている。
こういう時はかなり危ない。
なんか、変だな、と思って様子を見に行くと、おおおおお!
「オーマイガー!」
絶対に登れないはずの高めの椅子の上に置いておいたダウンジャケットとかマフラーとか帽子を、全部床に引きずりおろし、しかもそれらをベッドにし踏んづけ、薄手のダウンベストが一番引き千切りやすいからだろうか、牙でぼこぼこに穴をあけて、中の白いのを引っ張り出していた。
「ダメじゃん。パパ、春までどうしたらいいんだよ」
これくらいは、ま、犬を飼う上では想定内かもしれないが、お気に入りのマフラーも牙で今は毛羽だって、みすぼらしいし、ありとあらゆるものが穴だらけ・・・。
「これ、三四郎がやったんだろ? ダメでしょ? こんなことしちゃ」
といくら口酸っぱく言っても、聞いてないふりをする。
絶対、怒られていることを理解出来ているとは思うのだけど、あえて、分かってないふりをして、話をはぐらかし、どっかに行こうとバタバタしているけれど、彼の中では、やったー、と思っているに違いない。

滞仏日記「今日はちょっと調子に乗ったな、三四郎よ」



とにかく、靴は消えるし、噛まれるし、紐という紐は引き千切られるし、大変なのだ。
実は彼はダウンジェケットの方が自分のベッドより好きなようで、だから、そういう素材の旅用の丸められるマットがあればいいな、と思って買った・・・。
表面がビニールで中がふかふかの毛のようなもので出来ている、触るととっても気持ちいいマット型布団なのだけど、それの上に三四郎を寝かせておいたら、ちょっと目を離したすきに、マットのベルトを噛み千切っていた。
それがないと、丸められないのである。縫って補修しようとしたけど、ベルトが硬すぎて糸など通らない。どんだけ牙が凄いのか、が分かる。
「ダメじゃん、買ったばかりなのに」
ぼくが言っても、聞きやしない。でも、今日はこんなもんじゃなかった。

滞仏日記「今日はちょっと調子に乗ったな、三四郎よ」



ぼくが東京の仕事相手と携帯で通話している間、ほんのちょっと三四郎の部屋を出た瞬間の出来事・・・。
案の定、何食わぬ顔でついてきたので、ぼくも何食わぬ足で、三四郎を追い払って、ドアをしめ、扉の向こう側で電話をしていたのだが、数分後、なんか、静かなので気になり、ガラス越しに覗いてみたら、・・・おおおおおおお!
「オーマイガー!」
「どうしたんですか? 辻さん」
携帯の向こう側で東京のスタッフさんの声が響きわたった・・・。
三四郎が部屋のど真ん中で、こっちにお尻を向けて、もちろん、そのお尻は持ち上がっていて、そこからにょろにょろ、とポッポ(うんち)が出ていた。
でも、それならぼくはそこまで驚かない。
「かけ直します」
と電話を切って、ドアをあけると、三四郎がゆっくりとこっちを振り返り、丸い目で、えへへ、やったったー、という顔をしたのである。く、く、くそ~。
なんと、(普段は一か所でしかやらないくせに)4か所くらいで、しかも、ちょっとずつやっていて、その上、そのいくつかを踏みつけており、さらに、その踏みつけた足で、ぼくのダウンジェケットの上を歩き、その茶色い足跡が、部屋の中心部で円を描いていたのであーる。
「三四郎!!!! ダメじゃん」
三四郎は尻尾を振って、ぼくの前を楽しそうに横切ろうとしたので、これはダメだ、と思って、押さえつけ、その鼻先を自分がしたポッポ(赤ちゃん用語でうんちのこと)に近づけ、
「匂い嗅いでごらん。これはひどいよ。わざとでしょ? ここにも、そこにも、あそこにも、で、パパのダウンジャケットにも。なんでこんなひどいことが出来るの?」
と怒ると、例の小悪魔のような顔で、にやっとしたので、うううう、頭にきた。

滞仏日記「今日はちょっと調子に乗ったな、三四郎よ」



これはダメだとさすがに堪忍袋の緒が切れたのであーる。
どんなに言葉で怒っても分かってないふりをするので、ぼくは三四郎をハウス(ケージ)に閉じ込め鍵をかけた。
彼はこれまで長時間ハウスの中に閉じ込められたことがない。
だから、自分がどんなに悪いことをしているのかをわからせる上で一番の効力を発揮する、はず・・・。
「ダメでしょ。ポッポはここでしょ、ここ。シートの上でやらなきゃ、分かってるのか、三四郎」
「わんわん」
「ダメだ、出さないよ。これを見てみろ、家の中がうんちだらけじゃないか。誰が片づけると思ってるんだよ。今日は全部、わざとはずしたでしょ? 昨日も一昨日もちゃんとシートの上に出来てたじゃん。なんだよ。その顔、ダメダメダメ。父ちゃんは怒ったんだ」
ぼくが物凄い剣幕で怒ったので、やっと自分が怒られてるというこを認識した三四郎であった。
さすがに、吠えずに、ハウスの中で、うなだれた三四郎・・・。
三四郎は海より深く反省出来るだろうか?
ぼくは床に這いつくばって、うんちを除去し、清掃し、そのあと、消毒液で匂いを消した。いつものことだけれど、これが一生続くのか、と思うと泣けてくる・・・。
けれども、ここで三四郎をハウスから出すわけにはいかないので、ハウスの前にぼくも座りこんで、睨めっこをすることになった。
ううう・・・。

戦いは、つづく。

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