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「ガラシャ、愛の祈り」 Posted on 2020/02/07 辻 仁成 作家 パリ

NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」で俳優の長谷川博己さんが演じるのが本能寺の変で織田信長を討った明智光秀ときいて、ああ、ガラシャのお父さんじゃないか、と思った。ぼくは海外在住者だからドラマを観ることができないけれど、この明智光秀という人物は長年つかえていた主君を討ち、その直後の山崎の戦いで敗れ、逃走中に農民に殺害されている。細川家に嫁いでいたガラシャ(細川珠)は謀反人の娘とされ、丹後国の三戸野に幽閉される。ここから先は歴史に譲るが、細川珠はその後、キリスト教と出会い、ガラシャ(グラティア)という洗礼名を受ける。ぼくはこの人物の熱くまっすぐな生き方に心を奪われた。そして、生まれたのが戯曲「ガラシャ、愛の祈り」である。

「ガラシャ、愛の祈り」



この戯曲は、人が信仰と出会い、苦難受難からどうやって人間としての尊厳を取り戻し、与えられた生を昇華するのか、というところにこそ、注力した。細川家の家老、小笠原少斎はそのガラシャの過酷な人生の中で、距離を保ちながらも彼女を応援した護衛隊長であった。その少斎の目を通して、この舞台は進行していく。小笠原少斎にもまた苦悩があり、彼自身はキリスト教徒には(わざと)ならなかったものの、キリスト教徒の理解者であり、そして、ガラシャを守る人間であった。

物語の最後、その少斎によってガラシャは介錯され死んでいる。小笠原少斎はガラシャを介錯した後、屋敷に火を放ち、自らも自刃した。この壮絶な物語をぼくは少斎の一人語りで戯曲化した。歴史的な観点から、ガラシャの行動言動には謎が多い。当然、小笠原少斎の資料もほぼ残っていない。ぼくはそこを推理し、たぶん、これまでにないガラシャと小笠原少斎を描くことが出来たと自負している。70年以上続く早川書房の戯曲演劇誌「悲劇喜劇」に送り、編集委員の矢野誠一氏の許可を得て、3月号に掲載となった。自分で演出をしてみたいと思っているが、ぼく以上にこの作品に惚れ込んでくれる人が現れるならば、こだわるつもりはない。

ガラシャには台詞がないが、けれども行間には多くの言葉を隠した。ガラシャを演じる方は熟練のダンサーであり、身体を使ってその人生を表現して頂きたい。なので、正確に言えば、二人劇となる。この作品を仕上げるために、ぼくはポルトガル、スペインの各地を取材旅行し、歴史的な背景、当時のキリスト教の宣教師の資料を調べあげた。事実にない部分はほぼすべてが創作になるが、いや、事実と言われている部分でさえ勝手な解釈を施した。あながち外れてはいないような気がする。短い戯曲だが、完成した時、ぼくの中に、ガラシャと小笠原少斎がいた。いつか演出をできるものならば、人間の中にある愛と祈りの部分を表現したい、と思った。ぼくはキリスト教徒ではないけれど、渡仏後のこの18年間、ずっと教会の横に住んできた。信者ではないけれど、キリスト教徒の祈りを目撃してきた日本人の作家である。



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